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データセンターは発電所だった (1) [読後の感想]

「クラウド化する世界」:ニコラス・G・カー:翔泳社を読んで
原著 "The Big Switch" by Nicholas G. Carr

ある新年会で古くからの友人であるM君から、エネルギーと言えば“あれ”読んでますよねっ?と話題をふられた。ほら、カーの「クラウド化する世界」。発電事業の変遷と現在のクラウド化が同じ流れに沿っているという見方。え?ああ...すいません、まだ読んでません。ということで早速ゲット。これは久々に引き込まれた。幾つかの要点をまとめておく価値があると思えたので、時間をいつもよりかけて読み込んだ。

もう2年以上前の出版、しかも日本語訳にそれなりの時間を要しているはずなので、3年あるいは4年くらい前の状況で書かれた内容である。その証拠にFacebookやTwitterが出てこない。なので、普通に考えれば、そんなこともう知ってるよ本、かもしれない。要するにまたグーグルの話しでしょと決め付けたい。ところが、そうした時間差を全く感じさせないし安易な先入観はふっとんだ。というより、そもそもの視座がしっかりしているので、述べている内容に普遍性がある。単調な楽観論に依存しておらず、なにより揺るがない筆力がある。

プロローグは、不機嫌にしかも静かに始まる。フェンウェイパーク近くの古臭いビルの奥に案内され、そこで見せられた薄暗い倉庫に設置された巨大なサーバー群と停電用のディーゼル発電機と予備電源として積み上げられたバッテリー。空調のファンの音以外は聞こえない、この異空間こそが新しいタイプの「発電所」のプロトタイプであり、これこそ真のユーティリティであり、未来だと著者は断定する。

そして続く第一章で時間は1852年に飛ぶ。そこで現れるのは高さ20m、重さ250トンの巨大な工業用水車。ニューヨーク北部の鉄工所が、競合する他社に対する決定的な優位性を得るために必要な機械動力を得るために設けたものだ。そしてさらにその50年後。同じ場所でその巨大水車は、雑草に覆われ錆びつき放置されている。何が起こったのか。遠く離れた発電所が電力を生み出し、それが電線網を通して工場に送られ、その電流で機械を動かすことができるようになったのだ。

電気を動力に変える技術が生まれたときには、まず工場の中あるいはその近くに発電機を置き、工場とを一本の電線でつなげばよかった。食事を作るためにすべての家に七輪があるようなものだ。しかし電力の需要が増大していくなかで、効率を上げるために発電機を共用したり集約したりすることが生じ、それが送電線のネットワークを形成し共通に利用するというアイデアにつながっていく。ここで巨大な発電所が登場し、個人規模の工場では追いつかない「規模の経済」が確立される。

いったんこの仕組みができてしまうと、製造業で自前の電源を持つことが逆に弱みに転じ、競争に勝てるより安価なエネルギーを手に入れるため、配電網に工場をつながざるをえなくなっていく。発電所という形態の成功は、発電所自体の発展にもつながり、さらに「規模の経済」を実現して電気の価格を急速に引き下げることになり、短い期間で国中の事業所と家庭が電気利用という新しい道具を使えることになった。

電灯は生活の仕方もリズムも根本から変え、安い電力を自由に操ることのできる仕事場は、仕事のやりかたも意味も完全に変質させた。これが19世紀の終わりころに生じた一つの革命である。そこからわずか百年と少ししか経過していない。

(2)に続く

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