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被災地の医療崩壊に挑む [講演を聞いて]

震災から4ヶ月が過ぎた、あの時は雪が舞うような寒さだったのに、もう厳しい夏が来てしまった。そんなタイミングで、災害医療の現場で今も戦っている人々の存在を知った。里見進氏(東北大学病院長、東北大学副学長)の講演から概要を紹介したい:東日本大震災 ― 大学病院の対応と今後の課題 ― 7月10日、東北大学関東交流会での講演。

報道メディアの関心が被災者の置かれている環境改善に向いているためか、医療の視点で復興をとらえたものは少ない。貴重な話しを聞くことができた。

「前線の後方基地になる」
地震が発生し、大学の研究棟では棚や多くの設備が倒れる状況で、次に天井が落ちてきたら万事休すとまで覚悟したという。研究棟でこうであれば、患者のいる病棟は更に深刻な状況に陥っており、市内でも家屋倒壊が多発しているはずで、時を置かずに大学病院は野戦病院と化すに違いないと里見氏は判断した。しかも、市内すべて停電になった中で、非常用電源が動いて明かりのみえる病院には、近隣の人が避難して来るに違いない。そうなれば医療機関としての役割が果たせなくなるので、医療措置が必要な人を除いては近くの避難所へ回ってもらうよう敢えて指示をしたという。責任はすべて院長の自分が持つから。
この判断によって、病院ではトリアージ体制も準備し、担ぎ込まれる負傷者を待ったのだが、発災当日にはほとんど来なかった。肩すかしを食ったことになったが、これは次の宮城県沖地震が目前に近づいているという認識が県内特に仙台市内で徹底しており、耐震補強工事などが進んだことと、神戸のような直下地震ではなかったことによるのかもしれない。地震を意識して訓練を繰り返しており、これが役に立った。福島の放射線への対応についても、事前の準備はできており(女川原発の事故を想定したものだったが)あわてずにすんだ。こうして大学病院は前線の後方支援基地に変わった。

「専門を捨てろ」
時間の進行とともに、沿岸部が津波で甚大な被害を受けていることが明らかになってきたが、行政からの情報はほとんど得られず、週末に東北大から地方の病院に出向いていた医師が週明けに戻り始め、ようやく各地の病院や避難所の状況が見え始めた。医療体制が壊滅した地域が少なからずあることが判りはじめた時点で、大学病院が中心となって医師の派遣を開始することになった。このとき、「専門を捨てて総合医として活動」することを全員に要請した。さらに手が足りないことから、同時に全国に医療チーム派遣支援を要請した。

「エリアに権限を」
支援の手がそろってくると、次は全体の調整と統括を誰がするかという課題がたちまち持ち上がってきたが、県の災害対策本部との検討でまず大きくエリアを分け、その中での判断は中長期に滞在して支援してくれるエリアの責任者にゆだねること、重症患者への対応など全体の調整が必要な部分だけ大学病院が関与することなどをルール化した。大学病院から現地への派遣もできるだけ抑制し、被災地からの患者の受け入れに注力することで役割を明確に分けた。地域を支えていた病院が施設もスタッフも失った状況下で、医療をこれからも息長く継続させていくために、後方支援の形はどうあるべきかを最初に想定し、これを地道な行動で裏付けた。いまでも上からは見えにくいが、深く堅実な活動が進められている。

こうした医療の現場の壮絶な戦いが被災地の復興を支えている。もっと多くの場で知らされてもよいし、むしろ支援がその役目を果たす後の地域医療体制を再構築するためにもこうしたシステムの重要性を広く訴えるべきだ。ちなみに、7月2日のNHKスペシャルで「果てなき苦闘 巨大津波 医師たちの記録」という放送があったようだ。里見氏の講演でも出ていた石巻赤十字病院における医療崩壊に立ち向かう医師チームの記録だ。見逃したのが悔やまれる。

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