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戦争は官吏の事務 [読後の感想]

「昭和16年夏の敗戦」猪瀬直樹、中公文庫版(2010年6月)、を読んで

太平洋戦争の開戦の半年ほど前の夏に、官僚・軍人・民間人から集められた若き俊才達35名が、やがて直面する戦争を精緻に机上演習(シミュレーション)し、最後に到達した結論は日米戦日本必敗という紛れもない敗北であった。

この本のあらすじをまとめるとこのようになる。事前に知識がないままに読み始めてしまうと、これはフィクションなのか実録なのかという疑問がすぐに湧いてくる。あたかも、パラレルワールドとしての太平洋戦争を見つめるもう一つの目が存在し、最悪の選択を避けようと歴史に抗ったもう一つの開戦史のようだ。ところが、これはまぎれもない史実なのだ。昭和20年夏の敗戦の4年も前に、はっきりと結末が見えていたにもかかわらず、この予測は一切顧みられることなく歴史の闇に沈んでいった。

この舞台となったのは、太平洋戦争直前の昭和15年に設置された「総力戦研究所」。名称からは軍事に特化したシンクタンクのようにもみえるが、むしろ養成学校といったほうが設立の目的には近かったかもしれない。この研究所は、英国の国防大学を範として計画されたという。英国国防大学とは、単なる軍事の高等教育機関ではなく、軍部と他の政府機関との連携強化をはかり、かつその要員を養成するために設けられている。学生は少佐中佐クラスの軍人と主要官庁の適任者からなり、教官は佐官クラスの将校と政治経済等の学識経験豊かな専門の文官からなる。この結果として、国の将来を託すような第一級の軍民エリートがここから連輩出することになる。軍部とシビリアンが一体となって国外の敵あるいは競争相手に対峙しなければ、国際競争の嵐に沈むしかないという危機感がその底流にある。それにしても、開戦の直前にならないとこうした機関を設けることにすらならなかったというのも日本の実力であったのだろう。

日米開戦の裏に隠された秘話のひとつだが、日本が抱える組織の病癖であり、そのまま現代に通じる問題と見ることもできる。この研究所に集められ予測を命じられたエリート達だけが日本の敗戦を見通していたのではなく、実は軍部も官僚も同じような見通しを持っていた。いつか形成されていく空気の流れが、開戦以外の可能性を順に消していき、やがて一つしかない答えに全体が少しずつ向かっていくことになる。

東京裁判における東条英機の口述に関連して当時の毎日新聞の「余録」は「これでは戦争は、最高の『政治』ではなく、官吏の『事務』となる。全く満州事変以来の戦争はそれ以外のものでなく、一人の政治家もいなかったのだ」と匙を投げているが、この指摘のとおりそこには官僚の生真面目な、まさに司つかさたる働きしか存在してはいなかった。事実に執着するあまり、やがて事実に畏怖をいだくようになり、本来の目的からいつか離脱しつじつま合わせに走るしかなくなる。これと唯一対立するのが政治であり、政治は目的のために事実を従属させるためにこそ存在するのだが「余録」が指摘するように、どこにも政治はなかったのだ。

この不思議な史実書(フィクションではなく)の最後は、総力戦研究所で机上演習を行った35名の人たちのその後で締めくくられている。後に大会社の経営を担った者や官僚の頂点を極めた者も少なくはないのだが、はっきりと全員に共通した点がある。それは、これだけの経験を積んだにもかかわらず、誰一人として政治の道には入ろうとはしなかったことだ。これは、あまりに象徴的に過ぎて言葉もない。

3.11から4ヶ月が過ぎてしまったが、やはりいまの日本にも政治の姿は見えない。

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