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海ゆかば [講演を聞いて]

「災害と日本人のこころ」 山折哲雄氏講演,2011.9.8 を聞いて

震災後、宗教学者である山折氏は、前にも紹介しているように、東日本の震災についていくつかの論考を示している。とくに、被災者の「穏やかな表情」に大きく心を打たれ、その理由が何千年続く日本人の生き方の中にあること、そしてそれがこれからの復興を考えるときの大事なよりどころになることなどを述べている。

その山折氏の講演を聴く機会があったので、その概要を紹介したい。

氏は、3.11から1ヶ月経ち、被災地の東松島、石巻、気仙沼などに足を運んだ。そこにある見渡す限りの瓦礫に声を失った。仏の気配がまったくない、地獄だと思ったという。津波に襲われた街にはまだ無数の死体が残っているが、埋葬の儀礼がすめばそれで本当に心は癒されるのかと厳しく問いかける。

海行かば 水清く屍 山行かば 草生す屍 大君の 辺にこそ死なめ かへり見はせじ” 万葉集の中で、大伴家持がこの歌にこめた思いは死者に対する静かな鎮魂であり、魂に深く思いをいたす日本人特有のこころの有様だというのだが、未曾有の災害を目前にしている現代の日本人には、家持が示したような死者の魂に対する思いやりが果たしてあるのだろうかと疑問を投げかける。

万葉集といえば相聞歌(恋の歌)を連想するが、挽歌(葬送の歌)が多いことも特徴となっている。挽歌の内容をみると、死者の多くは事故死によるもので、戦乱、飢饉、そして何より災害によるものが多い。万葉の時代から千数百年、災害と戦乱が繰り返し、多くの命が犠牲となってきた。日本は、地震・津波・台風・洪水などの自然災害の激しさと頻度が高く、この恐ろしさがまさに五臓六腑にしみわたっており、日本特有の危機管理の考え方が時代を越えて受け継がれているはずだ。そうした国に生きるものとして、死者の魂に深く思いをはせることがこの現代でもできているだろうか、と。

自然災害に対する深い思索を示した二つの代表的著作、寺田寅彦の「日本人の自然観」と和辻哲郎の「風土 人間学的考察」、いずれも昭和10年に出版されている。寺田寅彦は関東大震災を地震学者でもある自らの目で観察しその本質に迫ろうとした。日本人の災害観とは、抗いようのない大きな自然の力に対し、頭を垂れ、膝を屈していかにやり過ごすかを考えることにあり、仏教が伝来するはるか以前から天然の無常観が形成されていた。

しかし、西欧的には、無常観は単なる環境決定論と決め付けられ、それを克服することこそ文明の役割とされてしまう。これに日本として異議を唱えてこなかったことが今回の災害への取り組みを混乱させている理由の一つになっているのではと問いかける。災害を考えるときに、西欧的ではない違った尺度があってよいのだと。英国にもフランスにも地震はなく、台風も来ないのだから。

台風といえば、和辻哲郎は「風土」の中で台風災害を中心に論考を展開しており、地震については一言も触れていない。関東大震災の直後にまとめられたことを考えれば意外ともいえる。和辻は、理系の寺田と異なり、倫理学者で人と人のつながりや社会ネットワークの観点から日本の精神風土にいどんでいる。そして、日本はアジア独特のモンスーンで特徴づけられるとする。モンスーン(あるいは台風)の特徴は、寒帯的(大雨)かつ温帯的(熱暑)であること、そして季節的かつ突発的であること。この対比を和辻は“しめやかな激情”あるいは“戦争的恬淡”という言葉で表し、矛盾する二つの性格が並存することが日本のこころであると述べている。

山折氏の講演は最後に福島原発への対処という重い課題にいたり、犠牲論という深淵に踏み込むのだが、メモが不十分なこともありこの部分は割愛したい。


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