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クオリティペーパーと格差 [雑誌記事]

AERA 2013.3.18号、内田樹の大市民講座、「1億総読者を願う新聞人の素志とは」 を読んで

「新聞は亡びるだろう」、これが内田氏の基本スタンスである。

内田氏は、朝日新聞の紙面審査委員を2年続けてきた中で、ずっと新聞というメディアの行く末について考えてきたという。

欧米には「クオリティペーパー」という新聞のジャンルがある。日本語にすると「高級紙」ということだろうか。
ガーディアン、ニューヨークタイムズ(NYT)、ルモンドなどがそれにあたるとされている。もちろん日本にはない。朝日新聞の発行部数は750万であるのに比べ、最も部数の多いNYTでも100万部に止まっていることが、その新聞が誰をターゲットにして作られているかを明瞭に物語っている。クオリティペーパーは最初から「多様な」読者を狙ってはいない。

これらのクオリティペーパーは知的上層に読者を「限定」している。読者はクオリティペーパーを読んで、政治経済文化についての質の高い調査報道や分析に触れ、現実理解を深める。そして、質の高い情報にアクセスすることのできない「情報弱者」に対するアドバンテージを一層確固なものにする。


欧米のクオリティペーパーの目的は「全国民の啓蒙」ではないし、むろん「知的な平準化」ではない。むしろ、「知的階層格差の再生産」である。


わが国では、古くから国を富ませる源泉は国民の知的水準を高めることにあるとされ教育が重視されてきたが、近代になってからは新聞にもそうした役割があるとされてきた。これまで朝日や読売に代表される新聞が第一に取り組んできたことは、啓蒙主義に立脚した国民の情報格差の是正であったはずだ。大新聞の社是には、「知的階層格差の拡大」などということは微塵もない(はずだ)。


しかし、内田氏は考える。
日本でも、社会の階層化と市民たちの原子化がこれ以上進めば、新聞は亡びるだろう。


悲しいかな、わが国も徐々にではあるが社会格差が拡大を続けている。やがて誰の目にもはっきりとわかるような、少しも平等ではない、でも全体としては豊かな(はずの)、社会が姿を現してくるのだろう。それでもなお内田氏は、
「1億3千万を読者に想定したクオリティペーパー」という虚しい夢を追い求めている日本の新聞人の素志を私は「可憐」だと思うのである。”、と記している。


ほんの一握りのスーパーエリート達が国を引っぱって行く、その情報基盤としてのクオリティペーパー。なるほど、と膝をたたいて更なる欧米化を志向するのか、あくまでも日本的な平等主義を貫くのか。読売だ朝日だと互いを罵っている場合ではないのだが...
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