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8000回の悔しさ [新聞記事]

「野球をするアスリート」武智幸徳氏、日本経済新聞2013年8月23日朝刊を読んで

イチローが日米通算で4千本の安打を積み重ねたその翌日のコラムである。「8000回以上は悔しい思いをしてきている」というイチローのインタビューがあまりに強烈で、誰が何を書いても、ほめようとけなそうと、この言葉の力にはかなわないだろうと勝手に考えていたのだが、武智氏の切り口は意表を突いていた。

イチローを野球選手だと思うなという。イチローはまずアスリートという定義で考えなければならないと。聞き違いかと確かめたくなるような主張だが、納得するところがある。つまり、従来のプロ野球選手は「職業」野球に従事する人のこと、さらに言えば野球で飯を食っている特殊技能の持ち主でしかなかったと。

打撃術、投球術という言葉が表すように、ボールをバットの芯でとらえる、遠くへ飛ばす、狙ったところに投げる、といった術の習得こそ、この競技の肝。そのコツを体得する道のりは険しいが、投手以外は試合中にそれほど運動量は要求されない。メタボな体系になっても何かと許される範囲は大きい。

武智氏は痛烈に書いているが、その技量は素人が届く類のものではないが、その一方で実はあまり体をいじめなくてもやっていける、要領さえわかれば、そして投手以外は試合中の体力はあまり要求されないのだと。

「イチロー以前」のプロ野球には際どいタイミングで足を伸ばしてベースを踏むと肉離れを起こすとか、三塁打を放ってベースにたどりつくと肩でぜーぜー息をする選手がいた。「運動不足じゃないの?」と疑いたくなるようなスポーツ選手が。

そう言えば確かに、巨漢の長距離打者や相撲取りかと見間違うような球界を代表する投手もいたような記憶がある。それでも素人にはできない術を操ることで、異人としての価値が認められてきたのだろう。それはそれで、否定するようなことでもないとは思う。

しかしアスリートとして人間の限界に挑むことが許されているほんの一握りのスポーツ選手達、その中に間違いなくイチローがいる。すべての人類から尊敬されうる領域のアスリートの一人が、たまたま選んだジャンルが野球だったということなのだ。

私がスポーツ記者になりたてのころ、プロ野球選手は必ずしも他の競技者に尊敬されていなかった。喫煙、飲酒、有り余る運動能力を使い切っていない・・・・・・。五輪競技に打ち込む者たちの「やってもカネにならない自分たちの方がよほど厳しい練習をしている」という嘆きを何度も聞いた。イチローは今。プロ、アマ、競技の垣根を越えてアスリートとして尊敬されている。




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