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自分を信じはい上がる [新聞記事]

「私の履歴書」日本の若手へ、トム・ワトソン、2014年5月30日、日本経済新聞朝刊を読んで

トム・ワトソンの「私の履歴書」、大変に読み応えのある内容が続き、そして最後に日本の若手選手、とくに松山そして石川遼への熱いメッセージである。

石川について言えるのは、まず、あの若さで多くの注目を集めたことに伴う重圧は相当なものだったろう、ということだ。

ここでワトソンは、石川遼が米国のメジャーの厚い壁にはね返され続けている現状を前提にして語っていることが明白である。重圧をエネルギーに転じて前進できていた時と、もがき苦しんでいる今はいったい何が違うのか。この難問の前に立ちすくむ石川遼に対して、ワトソンはあくまでやさしく語りかける。

次に言えるのは、ゴルフには良い時と悪い時がつき物だということ。その繰り返しの中で、できるだけ好調を長引かせ、不調を短くすることが肝要だ。好不調の波を重ねながら、最終的には自分のゴルフが右肩上がりになっていけば、それでいい。

「最終的には」という言葉から、焦ることは何もないよというワトソンの声が聞こえてくる。そしてさらに、具体的なアドバイスを述べている。

できる限り、練習を重ね、何が自分に合っているかを突き止めろ
探求とか追求とかいう言葉ではまったく足りないような世界がそこにあるということか。
試合中でも自分のスイングを変えることを恐れてはいけない。そこから学ぶことは必ずあるからだ。
機械のようにスイングしろというのとは違うらしい。人間が体を使ってボールを操ることの難しさ奥深さとでもいうことか。
「こだわり」は時に重要だ。しかし、それがうまくいかない時には、変える勇気も持たなければならない。
そして、ここで、ジャック・ニコラウスを引き合いに出し、
ジャックはマスターズ選手権の最終日でもスイングを変えることを厭わなかった。
変えることに対する「恐怖」に打ち勝つしかないのだと述べている。

最後に次のように語っている。
ゴルフにおいて「己を知る」ということだ。そこに他人が入り込む余地などない。自分自身を信じ、皆、はい上がっていくしかない。
信じるものは自分だけ、恐怖に打ち勝ち、はい上がる、それしかないという。煉獄の道だ。

この暗示に満ちたワトソンの記事が出たのが5月30日。そしてその翌々日の6月1日に新しいヒーローが誕生した。

「松山英樹、米ツアー初優勝 男子ゴルフ、日本勢で4人目」
なんという偶然、そしてあまりにも残酷で輝かしい希望。それでも、だからこそ、石川遼、がんばれ。



祈らずとても [新聞記事]

「私の履歴書」福地茂雄③、日本経済新聞、2014年6月3日朝刊を読んで

福地茂雄氏は、アサヒビールの社長会長を歴任された方だが、それよりその後NHK会長として活躍されたことの記憶が新しい。今回の「私の履歴書」は、まだ始まったばかりで、これからが楽しみなのだが、両親から受けた影響の大きさについて述べているところに強い印象を受けた。次のような書き出しである。

“両親の教えや振る舞いが私の人生に影響を与えたのは間違いない。とりわけ母の影は今でもつきまとっているような感じがする。

「つきまとう」という表現が出るほどの典型的な、あるいは徹底的に厳しい「教育ママ」であったらしい。指導は小学校の卒業式の送辞文章にまで及び、母親の手による完全な添削指導を経て、次のようになったという。

厳しい冬の寒さに耐えて、清く気高く咲き匂いし梅の花もいつしか散って、緋桃、白桃、木曽伊作弥生の候となりました。

これはどうみても小学五年生の文ではないが、母親の際限のない愛情と熱心さは、まあよくわかる。げっぷの出るほどの深い愛ということか。

母は長男である私を厳しくも、溺愛していた。こちらも反発することはなかった。実は社会人になっても帰郷するたびにお小遣いをくれた。特に断ることもないので、もらっていたが、さすがにアサヒビールの副社長になった頃には「もういいから」と小遣いはやめてもらった。

もう一つ、福地氏が母親から受けた教えは「心」。
母親の口癖は、“心だに誠の道にかないなば祈らずとても神や守らん”、だったそうで、祈るという形ではなく心のありようだと。“母親が仏壇を前に手を合わせる姿は見たことがない。それでも朝3時には起きて、仏壇に水や花、ごはんを備えるなどが日課だった。

祈らずとてもの句は、菅原道真の作と伝えられているのだが、大事なのは中身であり、形式に囚われてはいけないが、形もきちんと押さえなくてはいけないというのが、福地氏の母親の示した生き様だったのだろうか。






秀才は独創的でない [新聞記事]

「日本の生きる道」 私の履歴書、利根川進 (第30回)、日本経済新聞、2013.10.31 を読んで

この日で一か月続いた利根川進氏の連載が終了した。1987年にノーベル生理学・医学賞を受賞し、現在もMIT教授など研究の第一線で活躍されている。研究は分子生物学や免疫学から始まって、現在では脳や神経の機能といった領域に対象を広げており、視野のきわめて広い知の巨人でもあることを連載から知ることができた。その連載の最終回では、科学者の適性という話題から入って、研究のような独創的な仕事をする者はどのようにして選ぶべきか、そうした視点では日本の大学の入試の仕組みはあまりに画一的に過ぎるとも述べている。

まず日本には人という資源しかないのだから、自ずと重きをおくべきは教育と研究であるとしている。

日本は天然資源の限られた国です。世界の中でしっかりと認められて豊かな社会を維持していくには、人という資源を生かすしかないでしょう。そのためには教育と研究への投資が欠かせません。

21世紀はアジアの時代だといわれます。人口が多く経済発展の著しいこの地域では今、選ばれたリーダーたちが長期のビジョンを持って教育と科学技術に重点的に投資しています。

表現は控えめだが、これに比べて日本には長期のビジョンがどこにあるかわからぬ状態で、教育にも研究にも力点が置かれていない惨憺たる状況であるとの厳しい指摘であろう。またMITでは、アジアの他の国から多くの若者が集まり競い合っている一方で、日本人留学生は激減しているという。

さらに、MITの学生の選び方は日本のように画一的ではなく、試験の点数の少しの多少よりも小論文と面接を重視し、MITが必要とする学生を見つけ出す努力を続けていること。さらには入学させた学生が本当にMITにとって必要な人材だったかを検証して、問題がある面接官はたちどころに交代させられるという。成績や点数も考慮はするが、MITの大学としての特徴を維持するためにはそれだけでは不十分というのがベースにあるという。

現在、日本でも大学の入学試験改革について試案が出されており、そこでも人物評価を面接で行うという考え方が示されてはいる。しかし、MITが行っているような方法に形だけ合わせても実質が果たして付いていくだろうか。それぞれの大学が歴史に裏打ちされた揺るぎない方針を掲げ、その維持と発展に必要な学生像が明瞭に示せるのであれば、そうした方法の意味はあるかもしれないが、はたしてどうか。極めて日本的に形態を充足して事足れりとしてしまう懸念がありはしないだろうか。

この点数至上主義から脱却する理由として、研究者としての資質について次のようにも述べている。

研究のような創造的な仕事をする場合、試験で高得点を取れる秀才が適しているとは限りません。独創的であろうとすれば、かえってマイナス要因かもしれません。ある仮説を立てた時にどれくらい難しいかを予想できてしまい、高い目標に挑戦する強い意欲を持てなくなるからです。

点数を取れることは必要条件だが、研究者としてはそれで十分ではないということなのだろう。人の能力と量るということは容易いことではない。あらためてそう感じた。




出でよ大砲 [新聞記事]

「強打者を生む思想とは」豊田泰光、日本経済新聞、2013年9月19日朝刊を読んで

バレンティンのホームラン記録は止まらない。このままのペースがどこまで続くのかわからないが、少なくとも60本は容易に超えることは確実であろう。それはそれで素晴らしい成績なのだが、では日本人の長距離打者はどうやって育成すればよいのか、あるいは育ててもどこかに限界があるのか、一番気になるこの点について豊田氏はいつものように痛烈な辛口で指摘する。「日本からバレンティンは出てこない」と、そしてそれは決して「体格差の問題ではない」ともいう。

この結論を導いた典型的な例として、18歳以下のワールドカップの米国との決勝戦をあげている。日本代表はこの試合に敗れたのだが、その決定的な差は「スイングの強さ」であるという。この試合では、日本のエース松井裕樹に三振の山を築かれてはいたのだが、最後にはしぶとく安打を重ねて逆転している。「ハードヒット」できているか否かの差だというのだ。

随分不格好な三振もあった。それでも米国の打者は振り続けた。三振を恐れないというより、フルスイングすることしか教えられずに育ってきた、とみえた。日本選手のスイングも相当なものだったが米国の迫力にはかなわない。

この差は打撃に対する考え方の違いから来ると豊田氏は主張する。

米国は「毎回クリーンヒットするのは難しい。打ち損じても外野の前に落ちるようなスイングをしよう」と考える。日本は「打ち損じをしないためにはどうするか」と考える

バットを振れるかどうかは人種の違いとか体格差の問題ではなく思想、教育の問題なのだ。

要は素材より育ち。少年野球まで遡って見直さないと、日本からバレンティンは出てこない。

なるほどそういうものか、西鉄の大砲であった豊田氏が言うのだから技術的には正しいのかもしれない。でも、やや釈然としないところもある。最近ではイチローに代表されるような、安打製造機と呼ばれるくらいの打者をより贔屓するというところが日本の野球ファン全体にあるようにも思う。ブンブン振り回して、時々場外へ飛び出すような巨砲よりも、技巧派の打者が評価されるようなところがあるのではないか。宮本武蔵より佐々木小次郎を、弁慶より牛若丸を好む日本人の感性が、野球少年の未来を縛っているところがあるのではないか。まさに、文化の問題であり、未来永劫にバレンティンは現れないということになってしまう。しかし、それはそれでも良いように思っているのは私だけだろうか。




8000回の悔しさ [新聞記事]

「野球をするアスリート」武智幸徳氏、日本経済新聞2013年8月23日朝刊を読んで

イチローが日米通算で4千本の安打を積み重ねたその翌日のコラムである。「8000回以上は悔しい思いをしてきている」というイチローのインタビューがあまりに強烈で、誰が何を書いても、ほめようとけなそうと、この言葉の力にはかなわないだろうと勝手に考えていたのだが、武智氏の切り口は意表を突いていた。

イチローを野球選手だと思うなという。イチローはまずアスリートという定義で考えなければならないと。聞き違いかと確かめたくなるような主張だが、納得するところがある。つまり、従来のプロ野球選手は「職業」野球に従事する人のこと、さらに言えば野球で飯を食っている特殊技能の持ち主でしかなかったと。

打撃術、投球術という言葉が表すように、ボールをバットの芯でとらえる、遠くへ飛ばす、狙ったところに投げる、といった術の習得こそ、この競技の肝。そのコツを体得する道のりは険しいが、投手以外は試合中にそれほど運動量は要求されない。メタボな体系になっても何かと許される範囲は大きい。

武智氏は痛烈に書いているが、その技量は素人が届く類のものではないが、その一方で実はあまり体をいじめなくてもやっていける、要領さえわかれば、そして投手以外は試合中の体力はあまり要求されないのだと。

「イチロー以前」のプロ野球には際どいタイミングで足を伸ばしてベースを踏むと肉離れを起こすとか、三塁打を放ってベースにたどりつくと肩でぜーぜー息をする選手がいた。「運動不足じゃないの?」と疑いたくなるようなスポーツ選手が。

そう言えば確かに、巨漢の長距離打者や相撲取りかと見間違うような球界を代表する投手もいたような記憶がある。それでも素人にはできない術を操ることで、異人としての価値が認められてきたのだろう。それはそれで、否定するようなことでもないとは思う。

しかしアスリートとして人間の限界に挑むことが許されているほんの一握りのスポーツ選手達、その中に間違いなくイチローがいる。すべての人類から尊敬されうる領域のアスリートの一人が、たまたま選んだジャンルが野球だったということなのだ。

私がスポーツ記者になりたてのころ、プロ野球選手は必ずしも他の競技者に尊敬されていなかった。喫煙、飲酒、有り余る運動能力を使い切っていない・・・・・・。五輪競技に打ち込む者たちの「やってもカネにならない自分たちの方がよほど厳しい練習をしている」という嘆きを何度も聞いた。イチローは今。プロ、アマ、競技の垣根を越えてアスリートとして尊敬されている。




岩盤のごとき規制 [新聞記事]

「成長戦略の評価(上):経済教室」、八田達夫大阪大学招聘教授、日本経済新聞、2013.6.19 を読んで

安倍政権の打ち出した成長戦略、なかでも「規制改革」に対する市場の反応は必ずしも芳しいものではない。またぞろ規制改革か、民主党の仕分けとどう違うかとか、小泉改革の焼き直しか等々。八田氏によれば、規制改革が成長戦略の先頭に立つべき理由が詳細には語られていないことと作戦計画が示されていないことだという。いちばん大事なことは、わかりやすく説明しなければだめということだろう。

時代に合わないような、あるいは不合理な規制や仕組みは、すぐにでも廃止し改革すべきくらいのことは、正直誰にでも言えそうだし、反対をする理由などないように思える。ところが、日本の社会はどこを向いても規制だらけで、いつできたかさえ忘れられているほどその命を長らえている。なぜ、そうした規制が長く維持されているのか、まずそこに目を向けなければ、岩盤のごとき規制は破れないという。

日本では戦後の成功神話に酔いしれているうちに国の至るところで既得権がうごめき、数多くの参入規制ができた。このため成長産業に資源が移動しなくなり成長がとまってしまった。

すべてが灰燼に帰した戦後の日本、そこから復興への長く厳しい道を歩んで築き上げてきたもの、(会社、雇用、市場...)を喪う恐怖が最大の動機となり、徹底した守りの姿勢がムラを維持するルールを必要とした。いったん懐に入れたものは、限られた仲間とともに、できるだけ長く保持したい。これが既得権を手に入れた者が考えるきわめてわかりやすい論理である。

しかし経済成長がある程度進んだ段階では、既得権を持つ成熟産業は新産業の成長を止めようとする。そのために既得権集団は、様々な口実をつくり、政治家を使って、参入規制を法制化する。参入規制は、新陳代謝を阻害し、成長を止める最大の要因である

とにかく排除の論理が「制度」になってしまうと、もうどうしようもない、ガチガチの岩盤そのものだという。八田氏は岩盤法制の代表として、国家公務員制度と雇用法制をあげているが、とくに雇用法制は労働力の流動性を著しく低下させており、日本の成長への大きな阻害要因になっていると指摘する。

近年になって若年労働者の比率が低下する中で、不足する労働力を補うために有期雇用の比率が急速に高まっているのだが、労働の流動性は一向に高まらない。これは5年雇い止めルールが有期雇用とセットになっているためで、有期雇用になることは不利だと誰もが考えることにつながる。これでは会社にしがみついていたほうがずっとましだと誰もが考えるようになり、労働の流動化はいつまでも生じず、したがって有期雇用で優れた人を高い報酬で雇うことなどいつまでもできはしない。

雇い止めルールがあるので、企業の人件費負担が低く抑え込められると規制が評価されることもあるが、企業の競争力の源泉が人材であることを忘れた議論だと言わざるをえない。人的蓄積が企業の優勝劣敗を決定するという戦略要件が頭から完全に抜け落ちている。人に投資しない社会は衰退するしかないのだ。

規制の岩盤は、雇用ひとつとっても、かくのごとく厚く手ごわい。今の日本で、ほんとうにこれらを打ち破ることはできるのだろうか・・・




はだかの王様 [新聞記事]

history_img_06.jpg「コミッショナーの選び方」、“選球眼”、島田健(編集委員)、2013年6月17日、日本経済新聞朝刊を読んで

いったい何を隠しているのか。真実を話せない理由はなんなのか。

突如として大きな話題となっている統一球問題だが、新聞、TVなど、どのメディアを見ても裏に隠されている「事情」がまったくわからず、首をかしげていた。それが、このコラムを読んで氷解した。

WBCなどを強く意識して採用した統一球があまりに飛ばないため、プロ野球の魅力を大きく損なってしまったという認識が最初にあった。野球の醍醐味はホームランにつきる。これを取り戻すために、球に少し手を加えて元のように飛ぶボールにしよう。ここまでは、そんなにおかしな動機ではないのだが、これを極秘に行うことにしたところですべてが歪んでしまった。

オーナー会議という日本野球機構の意思決定機関に諮ることなく進めたというのは、球の変更に同意が得られないと見込んだのか、あるいはガバナンス無視かよくわからないが、ボールの中身をちょっといじっても誰にもわかりはしないし、ホームランが量産されて文句を言うやつはいないはずだという勝手な決めつけがあったのだろう。この判断をコミッショナーがしたとすると、それはそれですごい(まったく同意できないが)決断だと思っていたのだが、島田氏の指摘するように球界の影の実力者がすべてを仕切っていたのだとすれば、なあんだそういうことかとストンと腹に落ちた。

加藤氏の指示でないのが事実なら、球界で同氏を上回る力を持つ、誰か(またはグループ)が、変更に消極的だったとされる加藤氏に代わって指示したとしか思えない。

つまり現在のコミッショナーはお飾りにすぎないということなのだ。島田氏は次のように書いている。

まず、コミッショナーの選び方を公明正大にすべきだろう。加藤氏がどうして選ばれたか、実はよくわからなかった。野球好きの元駐米大使というのは有名だが、誰が推薦したのかわからないうちに決まっていた。球界の影の実力者が決めたというのが大方の見方で、それなら今回、統一球を「調整」しようとする動きがあったことを加藤氏が知っていたとしても、とやかく言えないのも納得できる。

この辺りのことは噂だとしながらも、すべてが闇の中で決められている機構の怪しさと危うさを的確に突いている。こんなコラムは日経でないと載せられないし、もちろんTVでは絶対に取り上げられないのだろう。影の実力者というのは、十人が十人すぐにあの人とわかってしまうのだが、今回の件に限ってみれば、その「誰か」がすべての根源だとは思えないところもある。陰謀の「源」といった論説は分かり易いが、こうした決め付けはしばしば本質を見失う。むしろ、プロ野球という歴史の長い巨大業界に居座る「既得権益集団」が、絵を描き密かに実行に移したのだと考えるほうが自然であろう。

コミッショナー側にはなんの権限もない、さらに踏み込めば「はだかの王様」でしかなかったと素直に認めれば話は簡単なはずなのだ。もっとも、そんな芸当ができていれば今の混乱はないのだろうが。

島田氏は江川事件後のプロ野球界の混乱を裁いた下田武三コミッショナー(1979-1985年)を高く評価しており、こうした硬骨な人でなければ今後の改革は難しいと述べている。

巨人の不祥事である「江川事件」の後、1979年から85年まで務めた下田武三氏は元最高判事。「正しいものは正しい、悪いものは悪い」と飛ぶボール、飛ぶバットなどの禁止や球場規模の適正化を進めた名コミッショナーだ。下田さんは厳正過ぎるほどのやり方でセ・リーグ側と相いれず、2期で辞任し、球界近代化の功績がありながら、殿堂入りも果たしていない。今、改革を期待するならひも付きでない、同氏のような硬骨の人こそ必要である。

会津武士のように「ならぬものは、ならぬ」と、影の実力者の首に鈴を着けに行くのは、いったい誰になるのだろう。

人がコンピュータに駆逐されるとき [新聞記事]

「コンピューターが仕事を奪う(上)」新井紀子国立情報学研究所教授、日本経済新聞 2013.5.19、経済教室を読んで

先月行われた、第2回将棋電王戦で将棋ソフトが勝利したことは、やはり予想以上の衝撃を与えたようだ。1997年にチェスの世界チャンピオン(カスパロフ氏)がIBMのスーパーコンピューターに敗れた時に、いつかは将棋でも同じことが起きるだろうとは思ってはいたが、現実にしかもこんなに早く実現しようとは。

将棋はチェスと異なり、獲った敵の駒を再び使えることで変化の枝が多く、しらみつぶしが得意なコンピューターでも、そうたやすくは人間の能力を越えられないだろうという、淡い思いがあった。これを打ち破ったのは、物理的なマシンパワーだけではなく、むしろソフトの力によるということらしい。その中心にあるテクノロジーは「機械学習」。最近でよく知られているのは、防犯カメラによる容疑者認識だが、他にも音声認識(Siriなど)、機械翻訳、音声合成、検索エンジン、スパムメール検出などなど、その範囲は急速に拡大しているらしい。

「データ」と「機械学習」という手段を将棋ソフトが手に入れたからである。公開されたプロ棋士の対戦の棋譜(データ)を基に、プロ棋士が選んだ指し手こそ価値が高いと認識し、さらにその評価を少しずつ自動的に調整する(機械学習)プログラムの登場である。

これはなんてすばらしい未来の登場ではないか。などと浮かれている場合ではないと、新井氏は次のように述べている。

スパム除去ソフトはメール管理者をスパムメールとの格闘から解放した。では、彼らの仕事は楽になっただろうか。そうではない。結果的に彼らから職を奪ったのである。

作業のある手順をルール化して機械にわかるように書き下してやれば、コンピューターが文句も言わずに淡々と処理してくれる。人間を単純労働から開放する歴史的な福音だなどとこの事態を歓迎しているだけではいけないというのだ。すでに米国や英国では、入試の小論文採点に自動採点システムが導入されている。人が二人で(誤りを避けるため)採点するより、人とコンピューターのコンビのほうが低コストでしかも精度が高いのだそうだ。つまり、「そこそこ」の知的作業はコンピューターによって急速に代替されつつある。

少子化する日本(あるいは先進国)で、機械によって労働の代替ができることは悪いことではないという考えもあるが、ここに3つの不安が横たわっているという。

ひとつは、機械学習の精度がデータ量に依存すること。学習の複雑さを向上させるより量が決め手だというのは悲しいが、確かに事実かもしれない。Googleは最初からこのことに気づいていたのだろう。

ふたつめは、未熟な人工知能では人を完全に労働から解放はできないということ。機械にできない仕事は両極端に分かれることが知られており、機械が「そこそこ」の知的労働を代替することで、労働は上下に分断されることになる。

みっつめは、機械で代替できない「高度人材」を教育するための効果的な手法が見つからないことにある。

この三番目の課題は新井氏が指摘するようにたしかに大きく難しい。

20世紀までの学校教育が成功をおさめたのは、教育がプログラム化でき、多くの生徒が訓練さえすれば能力を身につけられたからである。そして、プログラム学習で身に着いた能力が労働市場で十分な付加価値をもったためである。

教育・訓練が機械で代替されてしまう現実の到来を十分には見通してこなかった。コンピューターシステムの進歩と拡大は、人に明るく豊かな未来だけを与えてくれると信じていたのだが、いま生じつつある「未来」は、そうした夢の世界へは決して向かってはいないということだろう。


蕙斎の江戸一目図 [新聞記事]

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ようやく待っていたものが届いた。
津山藩のお抱え絵師であった鍬形蕙斎(くわがたけいさい)が、今から200年前に描いた江戸の鳥瞰図、「江戸一目図」のミニチュアとその解説書「江戸一目図を歩く」である。

蕙斎作「一目図」の存在を知ったのは、4月5日付け日本経済新聞の文化欄、「200年前の江戸をナビ」尾島治氏:津山郷土博物館長による。実は、東京スカイツリーの展望デッキに大きな屏風絵(レプリカ)として開業時から展示されている、らしい。というのも、未だ完成後に登ったことがなく、こうした話題についていけていない。またひとつ大きな宿題が出てきてしまったということか。

蕙斎が二百年前に描いた絵が、スカイツリーの展望台からの眺めと寸分違わない。それではまるで、蕙斎がタイムトラベラーであるかのような話だが、しかし偶然にしても不思議な話ではないか。江戸に住む町絵師として、津山藩にその技量を高く評価されてお抱え絵師となった蕙斎の傑作であることは間違いはない。

現在の東京駅の八重洲側にあった津山藩邸を絵のほぼ中央やや下に置き、江戸城と富士山を絵の上部に配し、隅田川を絵の底辺に据え、海(江戸湾)を絵の左に配すると、結果として視点が江戸の西の端の上空になったということであろう。絵には亀戸天神も含まれているので、視位置がスカイツリーでは、やや無理があるのだが、そのあたりはご愛嬌。そもそも蕙斎の描く一目図は、空間をかなり歪めて地図の「ようなもの」を創り出したもので、あまり現実との整合に目くじらを立ててもしょうがないともいえる。

興味深いのは、蕙斎の一目図がスカイツリーにレプリカとして展示されることが決まってからはじめて絵の中に描かれている地物の同定が進められたということだ。確かに絵はあまりに大部でかつ細かいために同定作業は容易ではなかったらしい。津山郷土博物館では、それまで273ヶ所までは特定されていた地物同定を、このレプリカ展示に合わせて倍以上の600ヶ所にまで増やしてきたそうだ。この精密な作業によって一目図の歴史的な価値がいっそう高まったことは疑いない。

それにしても蕙斎の絵で驚くのは、200年前の江戸の暮らしが簡略な線で生き生きと描かれていることである。6枚にも及ぶ巨大な絵の中に、通りの商いの賑わいや、小船による川漁の様子など、江戸の町に生きる人々のざわめきが聞こえてきそうな描写がそこにはある。つまりこれは、詳細な航空写真でもなければ地図でもない、江戸の町を200年前の時間とともに切り取ったものなのだ。

手元に届いた、一目図の解説書とミニチュアを繰り返し見るたび、宿題が気になる。まずはスカイツリーの展望台に行かねばならない。そしてその次は、津山市にある一目図の現物との対面であろう。いつかは岡山に行かなければなるまい。



さらば、Green [新聞記事]

dotgreenblog-articleInline.jpg先週の金曜に突然、ニューヨークタイムズ(NYT)のGreen Blogの閉鎖がアナウンスされた。
このブログは、米国の主要メディアの中では執筆陣も充実しており、米国を中心とした環境やエネルギーの現状と課題を知るにはよい情報源だっただけに、驚きが広がっている。NYT全体にしてみれば、そんなに大きな影響がないと考えてのことかもしれないが、環境やエネルギーに近い関係者や研究者からは大きな反発が起き現在もまだ収まる様子がない。

The Nation誌で定期的にブログを書いている Greg Mitchell 氏は、先週末にニューヨークタイズム(NYT)が突然に発表した環境ブログ(Green:A Blog About Energy and the Environment)の閉鎖に噛み付いている。
http://www.thenation.com/blog/173214/nyt-axes-green-blog-after-dropping-environment-unit

'NYT' Axes 'Green' Blog, After Dropping Environment Unit というタイトルが語るように、Greenブログの閉鎖は、その前に起きたNYTでの環境部門の縮小に続いたもので、少しも唐突ではないという。金曜日の「事件」については、いろいろな見方があるようだが、結局は経営不振のメディアの代表の一つであるNYT(限った話ではない)が採った、普通の経費削減策の一つということらしい。それにしてもなぜ「環境」を、しかもこのタイミングでなの?というのがMitchell 氏の意見。

そもそもこれだけ批判が巻き起こることが十分に予想される重要な決定を、金曜の午後5時にネット上でポンと投げてすますという感覚がおかしいだろう。悪い話は金曜の午後5時にポストするというのは、大きな企業や組織の不祥事公表にはよくあることで、できるだけこっそりとすませたいという思惑が見え見えなのだと手厳しい。

また、この'Green' にもよく寄稿している Andrew Revkin 氏は'Green' について、これまでの4年で5,364の投稿を重ねてきた環境関連のニュースと分析における最高の集積者(aggregator)だったと評し、今回の措置に疑問を投げかけている。

http://dotearth.blogs.nytimes.com/2013/03/02/a-farewell-to-green/

NYTで Public Editor's Jounal を担当している、Margaret Sallivan 氏は、以下のブログの中で、今回のブログ閉鎖で起きているさまざまな場所での混乱や批判に言及しているが、その最後では、まずNYTの編集者たちが、環境関係のニュースは中止したのではないし、最重要との位置づけは変わらないし、今回の変更に代わる新しい方策を探ろうとしていると読者に訴えるべきだと述べているのだが、これは穏やかな言い回しだがきつい要請だ。あんたたちは、経営のせいにしてるみたいだけど、みんな頭にきてるよ、そのことをよくわかってるの?ということだ。

http://publiceditor.blogs.nytimes.com/2013/03/05/for-times-environmental-reporting-intentions-may-be-good-but-the-signs-are-not/

一地方誌(NYTは全国紙ではない)の、一つのブログの小さい話なのだが、その内容を良く知っているものからすると、どうしてこんなに社会的にも影響力の高いものを、いとも簡単に閉鎖したんだという失望と批判が巻き起こるのも当然かなとも思う。逆に言えば、NYTの編集方針からはみ出すほどの影響力を持ち始めたために、扱いに窮していたということもあるのかもしれない。

小生も米国での環境やエネルギーに関する動向を探るときの入り口はここだっただけに、Greenの消失はかなりショックだ。これからいったいどこへ行ったらいいんだ!というのが正直なところだが、これをきっかけにして視野を広げろということかもしれないと腹をくくっている。


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