PlaniSphere
https://m-taniya.blog.ss-blog.jp/
気がついたこと、見つけたことなど、綴ります。
田二谷正純
2014-06-06T00:44:05+09:00
ja
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黄昏のビギンを聴いたことがありますか
https://m-taniya.blog.ss-blog.jp/2014-06-05
「黄昏のビギンの物語」佐藤剛、小学館新書、2014.6.7発行 を読んで一気に読み切った。久しぶりのことだ。同時代感、それにつきる。そのとき流れていた唄、メロデイ、詩、すべてがひとつひとつ蘇る。またひとつ心の糧となるすばらしい本と出合うことができた。佐藤剛氏に感謝。上を向いて歩こう、黒い花びら、こんにちは赤ちゃん、帰ろかな、等々、作曲家中村八大の手になる作品群。その中で発表時にはあまり大きな反響が得られなかった「黄昏のビギン」という曲。この唄を中心にして、中村八大が関わった戦後日本歌謡史を解き開いていく。曲が世に出てからすでに半世紀、記録も失われ人々の記憶も薄れていく中で残された疑問に挑み、仮説を立てその検証をする。唄に隠された謎を少しづつ明らかにしていくステップは、良質の推理小説の趣がある。詳細はここで明かすことはできないが、戦後歌謡史に興味のある人ならば必読の書であろう。曲のカヴァー。これがこの本のもう一つのテーマである。中村八大とその世代の作曲家作詞家が壊すまでは、誰かの持ち歌を他の歌手が歌うことなどできなかった。つまり、日本の歌謡曲はレコード会社の販売商品であり、作曲家・作詞家・歌手を専属で契約し囲い込むことによって始めて利益を独占できるシステムであった。当たり外れの多い商品を目利きの腕で仕入れるのだが、商材の多くは単なる金食い虫で利益には結びつかない。だからこそ、囲い込みの仕組みが必要だという理屈に誰も疑問を持たなかった。“日本ではレコード会社が作詞家や作曲家と専属契約を交わして、出来てきた楽曲を各社がそれぞれに独占的に使用していた。他社の歌手に歌わせないのは、競争相手を利させることはないという理屈である。楽曲に商品的な価値しか見出さず、誰もが共有できる社会的な文化財産とは考えなかったのだ。”中村八大は永六輔と組んで、次々にヒット曲を出していく。1959年の黒い花びらから1961年の上を向いて歩こう、1963年のこんにちは赤ちゃん、そして、そして... これらが専属契約を持たないフリーランスの作詞作曲によって成し遂げられたことで日本の歌謡界は大きな構造転換を迎えることになる。作家が相応しい歌手のために、TV番組のために、プロダクションのために楽曲を提供することが当たり前になっていった。レコード会社の独占が壊れることで、優れた楽曲を素材として、歌手の個性と歌唱力で新しい生命を吹き込むこと、すなわちカヴァー..
読後の感想
田二谷正純
2014-06-06T00:44:05+09:00
「黄昏のビギンの物語」佐藤剛、小学館新書、2014.6.7発行 を読んで
一気に読み切った。久しぶりのことだ。同時代感、それにつきる。そのとき流れていた唄、メロデイ、詩、すべてがひとつひとつ蘇る。またひとつ心の糧となるすばらしい本と出合うことができた。佐藤剛氏に感謝。
上を向いて歩こう、黒い花びら、こんにちは赤ちゃん、帰ろかな、等々、作曲家中村八大の手になる作品群。その中で発表時にはあまり大きな反響が得られなかった「黄昏のビギン」という曲。この唄を中心にして、中村八大が関わった戦後日本歌謡史を解き開いていく。曲が世に出てからすでに半世紀、記録も失われ人々の記憶も薄れていく中で残された疑問に挑み、仮説を立てその検証をする。唄に隠された謎を少しづつ明らかにしていくステップは、良質の推理小説の趣がある。詳細はここで明かすことはできないが、戦後歌謡史に興味のある人ならば必読の書であろう。
曲のカヴァー。これがこの本のもう一つのテーマである。中村八大とその世代の作曲家作詞家が壊すまでは、誰かの持ち歌を他の歌手が歌うことなどできなかった。つまり、日本の歌謡曲はレコード会社の販売商品であり、作曲家・作詞家・歌手を専属で契約し囲い込むことによって始めて利益を独占できるシステムであった。当たり外れの多い商品を目利きの腕で仕入れるのだが、商材の多くは単なる金食い虫で利益には結びつかない。だからこそ、囲い込みの仕組みが必要だという理屈に誰も疑問を持たなかった。
“日本ではレコード会社が作詞家や作曲家と専属契約を交わして、出来てきた楽曲を各社がそれぞれに独占的に使用していた。他社の歌手に歌わせないのは、競争相手を利させることはないという理屈である。楽曲に商品的な価値しか見出さず、誰もが共有できる社会的な文化財産とは考えなかったのだ。 ”
中村八大は永六輔と組んで、次々にヒット曲を出していく。1959年の黒い花びらから1961年の上を向いて歩こう、1963年のこんにちは赤ちゃん、そして、そして... これらが専属契約を持たないフリーランスの作詞作曲によって成し遂げられたことで日本の歌謡界は大きな構造転換を迎えることになる。作家が相応しい歌手のために、TV番組のために、プロダクションのために楽曲を提供することが当たり前になっていった。レコード会社の独占が壊れることで、優れた楽曲を素材として、歌手の個性と歌唱力で新しい生命を吹き込むこと、すなわちカヴァーが普遍化した。そして、時を超えて歌い継がれる、スタンダード・ナンバーが生まれ出した。その代表的な楽曲が「黄昏のビギン」なのである。
試しに、iTunesで黄昏のビギンを検索するとたちまち30を越える歌手の作品が並んでおり驚かされる。
アン・サリー、石川さゆり、稲垣潤一&島健、岩崎宏美、小野リサ、和幸(加藤和彦、坂崎幸之助)、川上大輔、河口恭吾、佐々木秀実、さだまさし、渋さしらズ&Sandii、セルジオ・メンデスfeat Sumire、鈴木雅之with鈴木聖美、中森明菜、氷川きよし、薬師丸ひろ子...
実は、1959年に水原弘がB面で吹き込んだ黄昏のビギンは発売後ほとんどブレークすることなく、一部の愛好家にだけ知られていたのだが、それから30年後の1991年にちあきなおみがカヴァーアルバムの中で取り上げたことで、知られ始めたという経緯がある。だからこそ、余計にiTunesにちあきなおみ版が見当たらないのは極めて残念としか言いようがない。
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自分を信じはい上がる
https://m-taniya.blog.ss-blog.jp/2014-06-04
「私の履歴書」日本の若手へ、トム・ワトソン、2014年5月30日、日本経済新聞朝刊を読んでトム・ワトソンの「私の履歴書」、大変に読み応えのある内容が続き、そして最後に日本の若手選手、とくに松山そして石川遼への熱いメッセージである。“石川について言えるのは、まず、あの若さで多くの注目を集めたことに伴う重圧は相当なものだったろう、ということだ。”ここでワトソンは、石川遼が米国のメジャーの厚い壁にはね返され続けている現状を前提にして語っていることが明白である。重圧をエネルギーに転じて前進できていた時と、もがき苦しんでいる今はいったい何が違うのか。この難問の前に立ちすくむ石川遼に対して、ワトソンはあくまでやさしく語りかける。“次に言えるのは、ゴルフには良い時と悪い時がつき物だということ。その繰り返しの中で、できるだけ好調を長引かせ、不調を短くすることが肝要だ。好不調の波を重ねながら、最終的には自分のゴルフが右肩上がりになっていけば、それでいい。”「最終的には」という言葉から、焦ることは何もないよというワトソンの声が聞こえてくる。そしてさらに、具体的なアドバイスを述べている。“できる限り、練習を重ね、何が自分に合っているかを突き止めろ”探求とか追求とかいう言葉ではまったく足りないような世界がそこにあるということか。“試合中でも自分のスイングを変えることを恐れてはいけない。そこから学ぶことは必ずあるからだ。”機械のようにスイングしろというのとは違うらしい。人間が体を使ってボールを操ることの難しさ奥深さとでもいうことか。“「こだわり」は時に重要だ。しかし、それがうまくいかない時には、変える勇気も持たなければならない。”そして、ここで、ジャック・ニコラウスを引き合いに出し、“ジャックはマスターズ選手権の最終日でもスイングを変えることを厭わなかった。”変えることに対する「恐怖」に打ち勝つしかないのだと述べている。最後に次のように語っている。“ゴルフにおいて「己を知る」ということだ。そこに他人が入り込む余地などない。自分自身を信じ、皆、はい上がっていくしかない。”信じるものは自分だけ、恐怖に打ち勝ち、はい上がる、それしかないという。煉獄の道だ。この暗示に満ちたワトソンの記事が出たのが5月30日。そしてその翌々日の6月1日に新しいヒーローが誕生した。「松山英樹、米ツアー初優勝 男子ゴルフ、日本勢で4人目」なんという偶然、そしてあまりに..
新聞記事
田二谷正純
2014-06-04T06:05:07+09:00
トム・ワトソンの「私の履歴書」、大変に読み応えのある内容が続き、そして最後に日本の若手選手、とくに松山そして石川遼への熱いメッセージである。
“石川について言えるのは、まず、あの若さで多くの注目を集めたことに伴う重圧は相当なものだったろう、ということだ。 ”
ここでワトソンは、石川遼が米国のメジャーの厚い壁にはね返され続けている現状を前提にして語っていることが明白である。重圧をエネルギーに転じて前進できていた時と、もがき苦しんでいる今はいったい何が違うのか。この難問の前に立ちすくむ石川遼に対して、ワトソンはあくまでやさしく語りかける。
“次に言えるのは、ゴルフには良い時と悪い時がつき物だということ。その繰り返しの中で、できるだけ好調を長引かせ、不調を短くすることが肝要だ。好不調の波を重ねながら、最終的には自分のゴルフが右肩上がりになっていけば、それでいい。 ”
「最終的には」という言葉から、焦ることは何もないよというワトソンの声が聞こえてくる。そしてさらに、具体的なアドバイスを述べている。
“できる限り、練習を重ね、何が自分に合っているかを突き止めろ ”
探求とか追求とかいう言葉ではまったく足りないような世界がそこにあるということか。
“試合中でも自分のスイングを変えることを恐れてはいけない。そこから学ぶことは必ずあるからだ。 ”
機械のようにスイングしろというのとは違うらしい。人間が体を使ってボールを操ることの難しさ奥深さとでもいうことか。
“「こだわり」は時に重要だ。しかし、それがうまくいかない時には、変える勇気も持たなければならない。 ”
そして、ここで、ジャック・ニコラウスを引き合いに出し、
“ジャックはマスターズ選手権の最終日でもスイングを変えることを厭わなかった。 ”
変えることに対する「恐怖」に打ち勝つしかないのだと述べている。
最後に次のように語っている。
“ゴルフにおいて「己を知る」ということだ。そこに他人が入り込む余地などない。自分自身を信じ、皆、はい上がっていくしかない。 ”
信じるものは自分だけ、恐怖に打ち勝ち、はい上がる、それしかないという。煉獄の道だ。
この暗示に満ちたワトソンの記事が出たのが5月30日。そしてその翌々日の6月1日に新しいヒーローが誕生した。
「松山英樹、米ツアー初優勝 男子ゴルフ、日本勢で4人目」
なんという偶然、そしてあまりにも残酷で輝かしい希望。それでも、だからこそ、石川遼、がんばれ。
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祈らずとても
https://m-taniya.blog.ss-blog.jp/2014-06-03
「私の履歴書」福地茂雄③、日本経済新聞、2014年6月3日朝刊を読んで福地茂雄氏は、アサヒビールの社長会長を歴任された方だが、それよりその後NHK会長として活躍されたことの記憶が新しい。今回の「私の履歴書」は、まだ始まったばかりで、これからが楽しみなのだが、両親から受けた影響の大きさについて述べているところに強い印象を受けた。次のような書き出しである。“両親の教えや振る舞いが私の人生に影響を与えたのは間違いない。とりわけ母の影は今でもつきまとっているような感じがする。”「つきまとう」という表現が出るほどの典型的な、あるいは徹底的に厳しい「教育ママ」であったらしい。指導は小学校の卒業式の送辞文章にまで及び、母親の手による完全な添削指導を経て、次のようになったという。“厳しい冬の寒さに耐えて、清く気高く咲き匂いし梅の花もいつしか散って、緋桃、白桃、木曽伊作弥生の候となりました。”これはどうみても小学五年生の文ではないが、母親の際限のない愛情と熱心さは、まあよくわかる。げっぷの出るほどの深い愛ということか。“母は長男である私を厳しくも、溺愛していた。こちらも反発することはなかった。実は社会人になっても帰郷するたびにお小遣いをくれた。特に断ることもないので、もらっていたが、さすがにアサヒビールの副社長になった頃には「もういいから」と小遣いはやめてもらった。”もう一つ、福地氏が母親から受けた教えは「心」。母親の口癖は、“心だに誠の道にかないなば祈らずとても神や守らん”、だったそうで、祈るという形ではなく心のありようだと。“母親が仏壇を前に手を合わせる姿は見たことがない。それでも朝3時には起きて、仏壇に水や花、ごはんを備えるなどが日課だった。”祈らずとてもの句は、菅原道真の作と伝えられているのだが、大事なのは中身であり、形式に囚われてはいけないが、形もきちんと押さえなくてはいけないというのが、福地氏の母親の示した生き様だったのだろうか。
新聞記事
田二谷正純
2014-06-03T21:37:04+09:00
福地茂雄氏は、アサヒビールの社長会長を歴任された方だが、それよりその後NHK会長として活躍されたことの記憶が新しい。今回の「私の履歴書」は、まだ始まったばかりで、これからが楽しみなのだが、両親から受けた影響の大きさについて述べているところに強い印象を受けた。次のような書き出しである。
“両親の教えや振る舞いが私の人生に影響を与えたのは間違いない。とりわけ母の影は今でもつきまとっているような感じがする。 ”
「つきまとう」という表現が出るほどの典型的な、あるいは徹底的に厳しい「教育ママ」であったらしい。指導は小学校の卒業式の送辞文章にまで及び、母親の手による完全な添削指導を経て、次のようになったという。
“厳しい冬の寒さに耐えて、清く気高く咲き匂いし梅の花もいつしか散って、緋桃、白桃、木曽伊作弥生の候となりました。 ”
これはどうみても小学五年生の文ではないが、母親の際限のない愛情と熱心さは、まあよくわかる。げっぷの出るほどの深い愛ということか。
“母は長男である私を厳しくも、溺愛していた。こちらも反発することはなかった。実は社会人になっても帰郷するたびにお小遣いをくれた。特に断ることもないので、もらっていたが、さすがにアサヒビールの副社長になった頃には「もういいから」と小遣いはやめてもらった。 ”
もう一つ、福地氏が母親から受けた教えは「心」。
母親の口癖は、“心だに誠の道にかないなば祈らずとても神や守らん ”、だったそうで、祈るという形ではなく心のありようだと。“母親が仏壇を前に手を合わせる姿は見たことがない。それでも朝3時には起きて、仏壇に水や花、ごはんを備えるなどが日課だった。 ”
祈らずとてもの句は、菅原道真の作と伝えられているのだが、大事なのは中身であり、形式に囚われてはいけないが、形もきちんと押さえなくてはいけないというのが、福地氏の母親の示した生き様だったのだろうか。
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秀才は独創的でない
https://m-taniya.blog.ss-blog.jp/2013-10-31
「日本の生きる道」 私の履歴書、利根川進 (第30回)、日本経済新聞、2013.10.31 を読んでこの日で一か月続いた利根川進氏の連載が終了した。1987年にノーベル生理学・医学賞を受賞し、現在もMIT教授など研究の第一線で活躍されている。研究は分子生物学や免疫学から始まって、現在では脳や神経の機能といった領域に対象を広げており、視野のきわめて広い知の巨人でもあることを連載から知ることができた。その連載の最終回では、科学者の適性という話題から入って、研究のような独創的な仕事をする者はどのようにして選ぶべきか、そうした視点では日本の大学の入試の仕組みはあまりに画一的に過ぎるとも述べている。まず日本には人という資源しかないのだから、自ずと重きをおくべきは教育と研究であるとしている。“日本は天然資源の限られた国です。世界の中でしっかりと認められて豊かな社会を維持していくには、人という資源を生かすしかないでしょう。そのためには教育と研究への投資が欠かせません。”“21世紀はアジアの時代だといわれます。人口が多く経済発展の著しいこの地域では今、選ばれたリーダーたちが長期のビジョンを持って教育と科学技術に重点的に投資しています。”表現は控えめだが、これに比べて日本には長期のビジョンがどこにあるかわからぬ状態で、教育にも研究にも力点が置かれていない惨憺たる状況であるとの厳しい指摘であろう。またMITでは、アジアの他の国から多くの若者が集まり競い合っている一方で、日本人留学生は激減しているという。さらに、MITの学生の選び方は日本のように画一的ではなく、試験の点数の少しの多少よりも小論文と面接を重視し、MITが必要とする学生を見つけ出す努力を続けていること。さらには入学させた学生が本当にMITにとって必要な人材だったかを検証して、問題がある面接官はたちどころに交代させられるという。成績や点数も考慮はするが、MITの大学としての特徴を維持するためにはそれだけでは不十分というのがベースにあるという。現在、日本でも大学の入学試験改革について試案が出されており、そこでも人物評価を面接で行うという考え方が示されてはいる。しかし、MITが行っているような方法に形だけ合わせても実質が果たして付いていくだろうか。それぞれの大学が歴史に裏打ちされた揺るぎない方針を掲げ、その維持と発展に必要な学生像が明瞭に示せるのであれば、そうした方法の意味はあ..
新聞記事
田二谷正純
2013-10-31T23:45:36+09:00
この日で一か月続いた利根川進氏の連載が終了した。1987年にノーベル生理学・医学賞を受賞し、現在もMIT教授など研究の第一線で活躍されている。研究は分子生物学や免疫学から始まって、現在では脳や神経の機能といった領域に対象を広げており、視野のきわめて広い知の巨人でもあることを連載から知ることができた。その連載の最終回では、科学者の適性という話題から入って、研究のような独創的な仕事をする者はどのようにして選ぶべきか、そうした視点では日本の大学の入試の仕組みはあまりに画一的に過ぎるとも述べている。
まず日本には人という資源しかないのだから、自ずと重きをおくべきは教育と研究であるとしている。
“日本は天然資源の限られた国です。世界の中でしっかりと認められて豊かな社会を維持していくには、人という資源を生かすしかないでしょう。そのためには教育と研究への投資が欠かせません。 ”
“21世紀はアジアの時代だといわれます。人口が多く経済発展の著しいこの地域では今、選ばれたリーダーたちが長期のビジョンを持って教育と科学技術に重点的に投資しています。 ”
表現は控えめだが、これに比べて日本には長期のビジョンがどこにあるかわからぬ状態で、教育にも研究にも力点が置かれていない惨憺たる状況であるとの厳しい指摘であろう。またMITでは、アジアの他の国から多くの若者が集まり競い合っている一方で、日本人留学生は激減しているという。
さらに、MITの学生の選び方は日本のように画一的ではなく、試験の点数の少しの多少よりも小論文と面接を重視し、MITが必要とする学生を見つけ出す努力を続けていること。さらには入学させた学生が本当にMITにとって必要な人材だったかを検証して、問題がある面接官はたちどころに交代させられるという。成績や点数も考慮はするが、MITの大学としての特徴を維持するためにはそれだけでは不十分というのがベースにあるという。
現在、日本でも大学の入学試験改革について試案が出されており、そこでも人物評価を面接で行うという考え方が示されてはいる。しかし、MITが行っているような方法に形だけ合わせても実質が果たして付いていくだろうか。それぞれの大学が歴史に裏打ちされた揺るぎない方針を掲げ、その維持と発展に必要な学生像が明瞭に示せるのであれば、そうした方法の意味はあるかもしれないが、はたしてどうか。極めて日本的に形態を充足して事足れりとしてしまう懸念がありはしないだろうか。
この点数至上主義から脱却する理由として、研究者としての資質について次のようにも述べている。
“研究のような創造的な仕事をする場合、試験で高得点を取れる秀才が適しているとは限りません。独創的であろうとすれば、かえってマイナス要因かもしれません。ある仮説を立てた時にどれくらい難しいかを予想できてしまい、高い目標に挑戦する強い意欲を持てなくなるからです。 ”
点数を取れることは必要条件だが、研究者としてはそれで十分ではないということなのだろう。人の能力と量るということは容易いことではない。あらためてそう感じた。
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出でよ大砲
https://m-taniya.blog.ss-blog.jp/2013-09-19
「強打者を生む思想とは」豊田泰光、日本経済新聞、2013年9月19日朝刊を読んでバレンティンのホームラン記録は止まらない。このままのペースがどこまで続くのかわからないが、少なくとも60本は容易に超えることは確実であろう。それはそれで素晴らしい成績なのだが、では日本人の長距離打者はどうやって育成すればよいのか、あるいは育ててもどこかに限界があるのか、一番気になるこの点について豊田氏はいつものように痛烈な辛口で指摘する。「日本からバレンティンは出てこない」と、そしてそれは決して「体格差の問題ではない」ともいう。この結論を導いた典型的な例として、18歳以下のワールドカップの米国との決勝戦をあげている。日本代表はこの試合に敗れたのだが、その決定的な差は「スイングの強さ」であるという。この試合では、日本のエース松井裕樹に三振の山を築かれてはいたのだが、最後にはしぶとく安打を重ねて逆転している。「ハードヒット」できているか否かの差だというのだ。“随分不格好な三振もあった。それでも米国の打者は振り続けた。三振を恐れないというより、フルスイングすることしか教えられずに育ってきた、とみえた。日本選手のスイングも相当なものだったが米国の迫力にはかなわない。”この差は打撃に対する考え方の違いから来ると豊田氏は主張する。“米国は「毎回クリーンヒットするのは難しい。打ち損じても外野の前に落ちるようなスイングをしよう」と考える。日本は「打ち損じをしないためにはどうするか」と考える”“バットを振れるかどうかは人種の違いとか体格差の問題ではなく思想、教育の問題なのだ。”“要は素材より育ち。少年野球まで遡って見直さないと、日本からバレンティンは出てこない。”なるほどそういうものか、西鉄の大砲であった豊田氏が言うのだから技術的には正しいのかもしれない。でも、やや釈然としないところもある。最近ではイチローに代表されるような、安打製造機と呼ばれるくらいの打者をより贔屓するというところが日本の野球ファン全体にあるようにも思う。ブンブン振り回して、時々場外へ飛び出すような巨砲よりも、技巧派の打者が評価されるようなところがあるのではないか。宮本武蔵より佐々木小次郎を、弁慶より牛若丸を好む日本人の感性が、野球少年の未来を縛っているところがあるのではないか。まさに、文化の問題であり、未来永劫にバレンティンは現れないということになってしまう。しかし、それはそれでも..
新聞記事
田二谷正純
2013-09-19T22:46:17+09:00
バレンティンのホームラン記録は止まらない。このままのペースがどこまで続くのかわからないが、少なくとも60本は容易に超えることは確実であろう。それはそれで素晴らしい成績なのだが、では日本人の長距離打者はどうやって育成すればよいのか、あるいは育ててもどこかに限界があるのか、一番気になるこの点について豊田氏はいつものように痛烈な辛口で指摘する。「日本からバレンティンは出てこない」と、そしてそれは決して「体格差の問題ではない」ともいう。
この結論を導いた典型的な例として、18歳以下のワールドカップの米国との決勝戦をあげている。日本代表はこの試合に敗れたのだが、その決定的な差は「スイングの強さ」であるという。この試合では、日本のエース松井裕樹に三振の山を築かれてはいたのだが、最後にはしぶとく安打を重ねて逆転している。「ハードヒット」できているか否かの差だというのだ。
“随分不格好な三振もあった。それでも米国の打者は振り続けた。三振を恐れないというより、フルスイングすることしか教えられずに育ってきた、とみえた。日本選手のスイングも相当なものだったが米国の迫力にはかなわない。 ”
この差は打撃に対する考え方の違いから来ると豊田氏は主張する。
“米国は「毎回クリーンヒットするのは難しい。打ち損じても外野の前に落ちるようなスイングをしよう」と考える。日本は「打ち損じをしないためにはどうするか」と考える ”
“バットを振れるかどうかは人種の違いとか体格差の問題ではなく思想、教育の問題なのだ。 ”
“要は素材より育ち。少年野球まで遡って見直さないと、日本からバレンティンは出てこない。 ”
なるほどそういうものか、西鉄の大砲であった豊田氏が言うのだから技術的には正しいのかもしれない。でも、やや釈然としないところもある。最近ではイチローに代表されるような、安打製造機と呼ばれるくらいの打者をより贔屓するというところが日本の野球ファン全体にあるようにも思う。ブンブン振り回して、時々場外へ飛び出すような巨砲よりも、技巧派の打者が評価されるようなところがあるのではないか。宮本武蔵より佐々木小次郎を、弁慶より牛若丸を好む日本人の感性が、野球少年の未来を縛っているところがあるのではないか。まさに、文化の問題であり、未来永劫にバレンティンは現れないということになってしまう。しかし、それはそれでも良いように思っているのは私だけだろうか。
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8000回の悔しさ
https://m-taniya.blog.ss-blog.jp/2013-08-26
「野球をするアスリート」武智幸徳氏、日本経済新聞2013年8月23日朝刊を読んでイチローが日米通算で4千本の安打を積み重ねたその翌日のコラムである。「8000回以上は悔しい思いをしてきている」というイチローのインタビューがあまりに強烈で、誰が何を書いても、ほめようとけなそうと、この言葉の力にはかなわないだろうと勝手に考えていたのだが、武智氏の切り口は意表を突いていた。イチローを野球選手だと思うなという。イチローはまずアスリートという定義で考えなければならないと。聞き違いかと確かめたくなるような主張だが、納得するところがある。つまり、従来のプロ野球選手は「職業」野球に従事する人のこと、さらに言えば野球で飯を食っている特殊技能の持ち主でしかなかったと。“打撃術、投球術という言葉が表すように、ボールをバットの芯でとらえる、遠くへ飛ばす、狙ったところに投げる、といった術の習得こそ、この競技の肝。そのコツを体得する道のりは険しいが、投手以外は試合中にそれほど運動量は要求されない。メタボな体系になっても何かと許される範囲は大きい。”武智氏は痛烈に書いているが、その技量は素人が届く類のものではないが、その一方で実はあまり体をいじめなくてもやっていける、要領さえわかれば、そして投手以外は試合中の体力はあまり要求されないのだと。“「イチロー以前」のプロ野球には際どいタイミングで足を伸ばしてベースを踏むと肉離れを起こすとか、三塁打を放ってベースにたどりつくと肩でぜーぜー息をする選手がいた。「運動不足じゃないの?」と疑いたくなるようなスポーツ選手が。”そう言えば確かに、巨漢の長距離打者や相撲取りかと見間違うような球界を代表する投手もいたような記憶がある。それでも素人にはできない術を操ることで、異人としての価値が認められてきたのだろう。それはそれで、否定するようなことでもないとは思う。しかしアスリートとして人間の限界に挑むことが許されているほんの一握りのスポーツ選手達、その中に間違いなくイチローがいる。すべての人類から尊敬されうる領域のアスリートの一人が、たまたま選んだジャンルが野球だったということなのだ。“私がスポーツ記者になりたてのころ、プロ野球選手は必ずしも他の競技者に尊敬されていなかった。喫煙、飲酒、有り余る運動能力を使い切っていない・・・・・・。五輪競技に打ち込む者たちの「やってもカネにならない自分たちの方がよほど厳しい練習を..
新聞記事
田二谷正純
2013-08-26T23:23:57+09:00
イチローが日米通算で4千本の安打を積み重ねたその翌日のコラムである。「8000回以上は悔しい思いをしてきている」というイチローのインタビューがあまりに強烈で、誰が何を書いても、ほめようとけなそうと、この言葉の力にはかなわないだろうと勝手に考えていたのだが、武智氏の切り口は意表を突いていた。
イチローを野球選手だと思うなという。イチローはまずアスリートという定義で考えなければならないと。聞き違いかと確かめたくなるような主張だが、納得するところがある。つまり、従来のプロ野球選手は「職業」野球に従事する人のこと、さらに言えば野球で飯を食っている特殊技能の持ち主でしかなかったと。
“打撃術、投球術という言葉が表すように、ボールをバットの芯でとらえる、遠くへ飛ばす、狙ったところに投げる、といった術の習得こそ、この競技の肝。そのコツを体得する道のりは険しいが、投手以外は試合中にそれほど運動量は要求されない。メタボな体系になっても何かと許される範囲は大きい。 ”
武智氏は痛烈に書いているが、その技量は素人が届く類のものではないが、その一方で実はあまり体をいじめなくてもやっていける、要領さえわかれば、そして投手以外は試合中の体力はあまり要求されないのだと。
“「イチロー以前」のプロ野球には際どいタイミングで足を伸ばしてベースを踏むと肉離れを起こすとか、三塁打を放ってベースにたどりつくと肩でぜーぜー息をする選手がいた。「運動不足じゃないの?」と疑いたくなるようなスポーツ選手が。 ”
そう言えば確かに、巨漢の長距離打者や相撲取りかと見間違うような球界を代表する投手もいたような記憶がある。それでも素人にはできない術を操ることで、異人としての価値が認められてきたのだろう。それはそれで、否定するようなことでもないとは思う。
しかしアスリートとして人間の限界に挑むことが許されているほんの一握りのスポーツ選手達、その中に間違いなくイチローがいる。すべての人類から尊敬されうる領域のアスリートの一人が、たまたま選んだジャンルが野球だったということなのだ。
“私がスポーツ記者になりたてのころ、プロ野球選手は必ずしも他の競技者に尊敬されていなかった。喫煙、飲酒、有り余る運動能力を使い切っていない・・・・・・。五輪競技に打ち込む者たちの「やってもカネにならない自分たちの方がよほど厳しい練習をしている」という嘆きを何度も聞いた。イチローは今。プロ、アマ、競技の垣根を越えてアスリートとして尊敬されている。 ”
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コンサルタントの悪い癖
https://m-taniya.blog.ss-blog.jp/2013-08-04
「不格好経営」南場智子、日本経済新聞出版社を読んで読後感の悪い本に出会うことがときどきあるが、この本はかなり爽快だった。これからの南場さんの目指している世界のことも含めて、できれば続編を読みたいと感じた。ここでは、本筋であるDeNA成長のエピソードではなく、おそらく筆者は余談で書いたのだろうが、個人的にはいちばん受けてしまったところについて紹介したい。それは、10年以上も世界有数のコンサルタント会社であるマッキンゼーに在籍していた南場氏ならではのコンサルタント批判である。批判と言っても、コンサルが不要だと言うのではなく、コンサルの陥りがちなケースを知っておくかどうかで、コンサルを使う側では大きな違いが生じうるということでもあろう。事業を外から眺めて分析し提案するというコンサルの技法を身に着けてしまうと、いざ自分が事業を先頭に立って引っ張るときには、必ずしもそれがプラスには働かない、もっと言えば足を引っ張ることさえあるという。“「するべきです」と「します」がこんなに違うとは”、と述べているが、これこそ実感だろう。また、事業トップだけでなく、事業チームでも同じことが言えるという。“迷いのないチームは迷いのあるチームよりも突破力がはるかに強いという常識的なことなのだが、これを腹に落として実際に身につけるまでには時間がかかった。”チームを率いるリーダーに求められることについて次のようにも述べている。“リーダーの胆力はチームの強さにそのまま反映される。それが、クライアントに「役立ったか」、クライアントを 「impress したか」を四六時中気にしていたコンサルタント出身者にとってはとても大きなジャンプなのだ。”このコンサルティングの目的と顧客への配慮が必ずしも同じにはならないという点は少しわかりにくいが、これについては、さらに突っ込んで、南場氏はこれらを「事業にマイナスな姿勢」と呼んで以下のように厳しい指摘をしている。第一は、できる限り「賢く見せよう」とする姿勢。確かにコンサルは切れ者でかつ賢いなあとクライアントに思わせないと、まず仕事はとれない。高額のフィーを払って、事業の抱える問題を洗い出してもらおうと考えるトップにしてみれば、自分よりも賢くは見えない相手をコンサルに使おうとは、普通は考えない。その結果として、コンサルは賢く見せてあたりまえということになる。しかし、この「賢い」態度が事業の現場ではなんの薬にもならない、..
読後の感想
田二谷正純
2013-08-05T00:05:24+09:00
読後感の悪い本に出会うことがときどきあるが、この本はかなり爽快だった。これからの南場さんの目指している世界のことも含めて、できれば続編を読みたいと感じた。ここでは、本筋であるDeNA成長のエピソードではなく、おそらく筆者は余談で書いたのだろうが、個人的にはいちばん受けてしまったところについて紹介したい。
それは、10年以上も世界有数のコンサルタント会社であるマッキンゼーに在籍していた南場氏ならではのコンサルタント批判である。批判と言っても、コンサルが不要だと言うのではなく、コンサルの陥りがちなケースを知っておくかどうかで、コンサルを使う側では大きな違いが生じうるということでもあろう。
事業を外から眺めて分析し提案するというコンサルの技法を身に着けてしまうと、いざ自分が事業を先頭に立って引っ張るときには、必ずしもそれがプラスには働かない、もっと言えば足を引っ張ることさえあるという。
“「するべきです」と「します」がこんなに違うとは ”、と述べているが、これこそ実感だろう。
また、事業トップだけでなく、事業チームでも同じことが言えるという。
“迷いのないチームは迷いのあるチームよりも突破力がはるかに強いという常識的なことなのだが、これを腹に落として実際に身につけるまでには時間がかかった。 ”
チームを率いるリーダーに求められることについて次のようにも述べている。
“リーダーの胆力はチームの強さにそのまま反映される。それが、クライアントに「役立ったか」、クライアントを 「impress したか」を四六時中気にしていたコンサルタント出身者にとってはとても大きなジャンプなのだ。 ”
このコンサルティングの目的と顧客への配慮が必ずしも同じにはならないという点は少しわかりにくいが、これについては、さらに突っ込んで、南場氏はこれらを「事業にマイナスな姿勢」と呼んで以下のように厳しい指摘をしている。
第一は、できる限り「賢く見せよう」とする姿勢。確かにコンサルは切れ者でかつ賢いなあとクライアントに思わせないと、まず仕事はとれない。高額のフィーを払って、事業の抱える問題を洗い出してもらおうと考えるトップにしてみれば、自分よりも賢くは見えない相手をコンサルに使おうとは、普通は考えない。その結果として、コンサルは賢く見せてあたりまえということになる。しかし、この「賢い」態度が事業の現場ではなんの薬にもならない、アホをさらけだしても切り抜けなければならないことのほうがよっぽど多いのだと指摘する。しかし、これを逆にとれば、賢く見せようとしている事業トップがいたら(というかよく見かけるが)、その会社は危ないという黄信号を出しているともいえるかもしれない。
第二は、「上から目線」。コンサルティング会社ではよく、「あの事業部長はわかっていない」などという類の会話がストレス解消のつもりで口にされることがあるが、これを若手のコンサルタントが耳にしているうちに、たいがいのクライアントはアホと錯覚し、いつしか残念なことに目線が高くなってしまうという。先の「賢い」といい、「上から目線」といい、コンサルというのはいやな人種だと思われてなんぼということなのだろうが、外から見れば痛い話ではある。
第三は、クライアントの中で誰がキーパーソンかを素早く見極め、その人に「おもねる」発言をすることが多いという点。こういう提案はキーパーソンのA氏には必ず受けるという計算が自動的に働いてしまうということだろうか。おもねるというアクション、実はこの時点で第三者であるべきコンサルではなくなっているのだが、おそらく多くのコンサルタントはこれを認めないだろうとも南場氏は述べている。しかし、ここはかなり微妙かもしれない。キーパーソンが納得しないアイデアでは実行に移しがたいので、同化することを全否定するべきではないという意見もあるだろう。しかし、南場氏の言っているのは、そうした性癖が事業リーダーであるときに顔を出したらもうおしまいだという警告である。リーダーが自らの信念にこだわらずに、誰かに「おもねる」態度を見せた瞬間に組織は持たないということを経験として強調しているのだろう。
そんな癖を持っているであろうコンサル会社からも、その才能を信じてDeNAでは採用を続けているという。面白いのは、そうしたコンサル出身者への南場氏の具体的な次のアドバイスである。
・何でも3点にまとめようと頑張らない。物事が3つにまとまる必然性はない。
・重要情報はアタッシュケースではなくアタマに突っ込む
・自明なことを図にしない
・人の評価を語りながら酒を飲まない
・ミーティングに遅刻しない
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生きねば。
https://m-taniya.blog.ss-blog.jp/2013-07-13
「風立ちぬ」宮崎駿監督作品を観て映画の見方はいろいろあるだろうし、人それぞれでよいのだが、観る前に必要な情報を頭に入れておくほうが感動がより深まる場合と、なんにも知らずにびっくり箱の蓋をあけるようにワクワクドキドキで観た方が良い場合とがあることだけは間違いない。宮崎駿版「風立ちぬ」の場合は、どうやらある程度の予習はしておいたほうが良かったかなというのが、観終えてからの感想だが、まったく白紙でも作品から受ける感動が薄っぺらになるというわけでもない。いいものは、とにかく、いいのだ。不足していた知識を加えてから、また観ればよいのだ。繰り返して噛むほど味が出るということ。それでも、なんにも知りません状態をぎりぎりで救ってくれたのは、映画鑑賞ビラの裏にあった宮崎駿の企画文書で、どんな作品を造ろうとしていたかが精緻にかつ熱く語られており、これを開幕の直前に読むことができたのは大きかった。とくに、以下の部分が作品舞台の時代背景を知るには重要であろう。“私達の主人公が生きた時代は今日の日本にただよう閉塞感のもっと激しい時代だった。関東大震災、世界恐慌、失業、貧困と結核、革命とファシズム、言論弾圧と戦争につぐ戦争、一方大衆文化が開花し、モダニズムとニヒリズム、享楽主義が横行した。詩人は旅に病み死んでいく時代だった。私達の主人公二郎が飛行機設計にたずさわった時代は、日本帝国が破滅にむかってつき進み、ついに崩壊する過程であった。”作品のストーリーやアニメとしての評価などをここで追いかけることはしないが、気になった二つのアイテムについてだけ触れておきたい。最初は、技術用の計算尺である。数値計算を必須としている設計屋には、なくてはならない道具で、対数表や三角関数表が埋め込まれたアナログ計算機なのだが、これを折れた足の添え木にするという登場のさせ方が面白い。しかも作品の後半の重要な場面でも繰り返し使われている。こんなに計算尺が出てくる映画作品は今までなかったのではないだろうか。主人公はとにかく計算の鬼なのだ。もうひとつは、サバの骨である。主人公はとにかくサバが好物なのだが、食事中に口の中からサバの骨をすっと取り出し、しげしげと見つめ、いい形をしているとつぶやく。このシーンはかなり重要で、美しいものを造りだすことに徹底的にこだわる達人名人が生まれる予感を、小さな骨が暗示する。構造的に強いものは、姿も美しいはずという仮説から出発し、その先にある..
映画を見て
田二谷正純
2013-07-13T00:11:20+09:00
「風立ちぬ」宮崎駿監督作品を観て
映画の見方はいろいろあるだろうし、人それぞれでよいのだが、観る前に必要な情報を頭に入れておくほうが感動がより深まる場合と、なんにも知らずにびっくり箱の蓋をあけるようにワクワクドキドキで観た方が良い場合とがあることだけは間違いない。宮崎駿版「風立ちぬ」の場合は、どうやらある程度の予習はしておいたほうが良かったかなというのが、観終えてからの感想だが、まったく白紙でも作品から受ける感動が薄っぺらになるというわけでもない。いいものは、とにかく、いいのだ。不足していた知識を加えてから、また観ればよいのだ。繰り返して噛むほど味が出るということ。それでも、なんにも知りません状態をぎりぎりで救ってくれたのは、映画鑑賞ビラの裏にあった宮崎駿の企画文書 で、どんな作品を造ろうとしていたかが精緻にかつ熱く語られており、これを開幕の直前に読むことができたのは大きかった。
とくに、以下の部分が作品舞台の時代背景を知るには重要であろう。
“私達の主人公が生きた時代は今日の日本にただよう閉塞感のもっと激しい時代だった。関東大震災、世界恐慌、失業、貧困と結核、革命とファシズム、言論弾圧と戦争につぐ戦争、一方大衆文化が開花し、モダニズムとニヒリズム、享楽主義が横行した。詩人は旅に病み死んでいく時代だった。
私達の主人公二郎が飛行機設計にたずさわった時代は、日本帝国が破滅にむかってつき進み、ついに崩壊する過程であった。 ”
作品のストーリーやアニメとしての評価などをここで追いかけることはしないが、気になった二つのアイテムについてだけ触れておきたい。最初は、技術用の計算尺である。数値計算を必須としている設計屋には、なくてはならない道具で、対数表や三角関数表が埋め込まれたアナログ計算機なのだが、これを折れた足の添え木にするという登場のさせ方が面白い。しかも作品の後半の重要な場面でも繰り返し使われている。こんなに計算尺が出てくる映画作品は今までなかったのではないだろうか。主人公はとにかく計算の鬼なのだ。
もうひとつは、サバの骨である。主人公はとにかくサバが好物なのだが、食事中に口の中からサバの骨をすっと取り出し、しげしげと見つめ、いい形をしているとつぶやく。このシーンはかなり重要で、美しいものを造りだすことに徹底的にこだわる達人名人が生まれる予感を、小さな骨が暗示する。構造的に強いものは、姿も美しいはずという仮説から出発し、その先にある解答を探しているうちに、やがて美と真理の魔力に引き込まれていくのだ。
“美しすぎるものへの憬れは、人生の罠でもある。美に傾く代償は少くない。二郎はズタズタにひきさかれ、挫折し、設計者人生をたちきられる。 ”
それにしても、と思う。何年かのインターバルを置いてまた我々は新しい宮崎作品と出会うことができた。作品による評価の振れはあるのかもしれないが、そんなことはどうでもいい。宮崎駿という才能と同じ時代に生きていることそのものが、とてつもない幸福だと言い切ってよいのではないか。やがてすべてがライブラリとして蓄積されていても、新しい作品に出合う瞬間の輝きは、その時にしか味わえない贅沢の極みなのだ。
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岩盤のごとき規制
https://m-taniya.blog.ss-blog.jp/2013-06-23
「成長戦略の評価(上):経済教室」、八田達夫大阪大学招聘教授、日本経済新聞、2013.6.19 を読んで安倍政権の打ち出した成長戦略、なかでも「規制改革」に対する市場の反応は必ずしも芳しいものではない。またぞろ規制改革か、民主党の仕分けとどう違うかとか、小泉改革の焼き直しか等々。八田氏によれば、規制改革が成長戦略の先頭に立つべき理由が詳細には語られていないことと作戦計画が示されていないことだという。いちばん大事なことは、わかりやすく説明しなければだめということだろう。時代に合わないような、あるいは不合理な規制や仕組みは、すぐにでも廃止し改革すべきくらいのことは、正直誰にでも言えそうだし、反対をする理由などないように思える。ところが、日本の社会はどこを向いても規制だらけで、いつできたかさえ忘れられているほどその命を長らえている。なぜ、そうした規制が長く維持されているのか、まずそこに目を向けなければ、岩盤のごとき規制は破れないという。“日本では戦後の成功神話に酔いしれているうちに国の至るところで既得権がうごめき、数多くの参入規制ができた。このため成長産業に資源が移動しなくなり成長がとまってしまった。”すべてが灰燼に帰した戦後の日本、そこから復興への長く厳しい道を歩んで築き上げてきたもの、(会社、雇用、市場...)を喪う恐怖が最大の動機となり、徹底した守りの姿勢がムラを維持するルールを必要とした。いったん懐に入れたものは、限られた仲間とともに、できるだけ長く保持したい。これが既得権を手に入れた者が考えるきわめてわかりやすい論理である。“しかし経済成長がある程度進んだ段階では、既得権を持つ成熟産業は新産業の成長を止めようとする。そのために既得権集団は、様々な口実をつくり、政治家を使って、参入規制を法制化する。参入規制は、新陳代謝を阻害し、成長を止める最大の要因である”とにかく排除の論理が「制度」になってしまうと、もうどうしようもない、ガチガチの岩盤そのものだという。八田氏は岩盤法制の代表として、国家公務員制度と雇用法制をあげているが、とくに雇用法制は労働力の流動性を著しく低下させており、日本の成長への大きな阻害要因になっていると指摘する。近年になって若年労働者の比率が低下する中で、不足する労働力を補うために有期雇用の比率が急速に高まっているのだが、労働の流動性は一向に高まらない。これは5年雇い止めルールが有期雇用とセット..
新聞記事
田二谷正純
2013-06-23T23:54:23+09:00
安倍政権の打ち出した成長戦略、なかでも「規制改革」に対する市場の反応は必ずしも芳しいものではない。またぞろ規制改革か、民主党の仕分けとどう違うかとか、小泉改革の焼き直しか等々。八田氏によれば、規制改革が成長戦略の先頭に立つべき理由が詳細には語られていないことと作戦計画が示されていないことだという。いちばん大事なことは、わかりやすく説明しなければだめということだろう。
時代に合わないような、あるいは不合理な規制や仕組みは、すぐにでも廃止し改革すべきくらいのことは、正直誰にでも言えそうだし、反対をする理由などないように思える。ところが、日本の社会はどこを向いても規制だらけで、いつできたかさえ忘れられているほどその命を長らえている。なぜ、そうした規制が長く維持されているのか、まずそこに目を向けなければ、岩盤のごとき規制は破れないという。
“日本では戦後の成功神話に酔いしれているうちに国の至るところで既得権がうごめき、数多くの参入規制ができた。このため成長産業に資源が移動しなくなり成長がとまってしまった。 ”
すべてが灰燼に帰した戦後の日本、そこから復興への長く厳しい道を歩んで築き上げてきたもの、(会社、雇用、市場...)を喪う恐怖が最大の動機となり、徹底した守りの姿勢がムラを維持するルールを必要とした。いったん懐に入れたものは、限られた仲間とともに、できるだけ長く保持したい。これが既得権を手に入れた者が考えるきわめてわかりやすい論理である。
“しかし経済成長がある程度進んだ段階では、既得権を持つ成熟産業は新産業の成長を止めようとする。そのために既得権集団は、様々な口実をつくり、政治家を使って、参入規制を法制化する。参入規制は、新陳代謝を阻害し、成長を止める最大の要因である ”
とにかく排除の論理が「制度」になってしまうと、もうどうしようもない、ガチガチの岩盤そのものだという。八田氏は岩盤法制の代表として、国家公務員制度と雇用法制をあげているが、とくに雇用法制は労働力の流動性を著しく低下させており、日本の成長への大きな阻害要因になっていると指摘する。
近年になって若年労働者の比率が低下する中で、不足する労働力を補うために有期雇用の比率が急速に高まっているのだが、労働の流動性は一向に高まらない。これは5年雇い止めルールが有期雇用とセットになっているためで、有期雇用になることは不利だと誰もが考えることにつながる。これでは会社にしがみついていたほうがずっとましだと誰もが考えるようになり、労働の流動化はいつまでも生じず、したがって有期雇用で優れた人を高い報酬で雇うことなどいつまでもできはしない。
雇い止めルールがあるので、企業の人件費負担が低く抑え込められると規制が評価されることもあるが、企業の競争力の源泉が人材であることを忘れた議論だと言わざるをえない。人的蓄積が企業の優勝劣敗を決定するという戦略要件が頭から完全に抜け落ちている。人に投資しない社会は衰退するしかないのだ。
規制の岩盤は、雇用ひとつとっても、かくのごとく厚く手ごわい。今の日本で、ほんとうにこれらを打ち破ることはできるのだろうか・・・
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はだかの王様
https://m-taniya.blog.ss-blog.jp/2013-06-17
「コミッショナーの選び方」、“選球眼”、島田健(編集委員)、2013年6月17日、日本経済新聞朝刊を読んでいったい何を隠しているのか。真実を話せない理由はなんなのか。突如として大きな話題となっている統一球問題だが、新聞、TVなど、どのメディアを見ても裏に隠されている「事情」がまったくわからず、首をかしげていた。それが、このコラムを読んで氷解した。WBCなどを強く意識して採用した統一球があまりに飛ばないため、プロ野球の魅力を大きく損なってしまったという認識が最初にあった。野球の醍醐味はホームランにつきる。これを取り戻すために、球に少し手を加えて元のように飛ぶボールにしよう。ここまでは、そんなにおかしな動機ではないのだが、これを極秘に行うことにしたところですべてが歪んでしまった。オーナー会議という日本野球機構の意思決定機関に諮ることなく進めたというのは、球の変更に同意が得られないと見込んだのか、あるいはガバナンス無視かよくわからないが、ボールの中身をちょっといじっても誰にもわかりはしないし、ホームランが量産されて文句を言うやつはいないはずだという勝手な決めつけがあったのだろう。この判断をコミッショナーがしたとすると、それはそれですごい(まったく同意できないが)決断だと思っていたのだが、島田氏の指摘するように球界の影の実力者がすべてを仕切っていたのだとすれば、なあんだそういうことかとストンと腹に落ちた。“加藤氏の指示でないのが事実なら、球界で同氏を上回る力を持つ、誰か(またはグループ)が、変更に消極的だったとされる加藤氏に代わって指示したとしか思えない。”つまり現在のコミッショナーはお飾りにすぎないということなのだ。島田氏は次のように書いている。“まず、コミッショナーの選び方を公明正大にすべきだろう。加藤氏がどうして選ばれたか、実はよくわからなかった。野球好きの元駐米大使というのは有名だが、誰が推薦したのかわからないうちに決まっていた。球界の影の実力者が決めたというのが大方の見方で、それなら今回、統一球を「調整」しようとする動きがあったことを加藤氏が知っていたとしても、とやかく言えないのも納得できる。”この辺りのことは噂だとしながらも、すべてが闇の中で決められている機構の怪しさと危うさを的確に突いている。こんなコラムは日経でないと載せられないし、もちろんTVでは絶対に取り上げられないのだろう。影の実力者というのは、十人..
新聞記事
田二谷正純
2013-06-17T23:19:13+09:00
「コミッショナーの選び方」、“選球眼”、島田健(編集委員)、2013年6月17日、日本経済新聞朝刊を読んで
いったい何を隠しているのか。真実を話せない理由はなんなのか。
突如として大きな話題となっている統一球問題だが、新聞、TVなど、どのメディアを見ても裏に隠されている「事情」がまったくわからず、首をかしげていた。それが、このコラムを読んで氷解した。
WBCなどを強く意識して採用した統一球があまりに飛ばないため、プロ野球の魅力を大きく損なってしまったという認識が最初にあった。野球の醍醐味はホームランにつきる。これを取り戻すために、球に少し手を加えて元のように飛ぶボールにしよう。ここまでは、そんなにおかしな動機ではないのだが、これを極秘に行うことにしたところですべてが歪んでしまった。
オーナー会議という日本野球機構の意思決定機関に諮ることなく進めたというのは、球の変更に同意が得られないと見込んだのか、あるいはガバナンス無視かよくわからないが、ボールの中身をちょっといじっても誰にもわかりはしないし、ホームランが量産されて文句を言うやつはいないはずだという勝手な決めつけがあったのだろう。この判断をコミッショナーがしたとすると、それはそれですごい(まったく同意できないが)決断だと思っていたのだが、島田氏の指摘するように球界の影の実力者がすべてを仕切っていたのだとすれば、なあんだそういうことかとストンと腹に落ちた。
“加藤氏の指示でないのが事実なら、球界で同氏を上回る力を持つ、誰か(またはグループ)が、変更に消極的だったとされる加藤氏に代わって指示したとしか思えない。 ”
つまり現在のコミッショナーはお飾りにすぎないということなのだ。島田氏は次のように書いている。
“まず、コミッショナーの選び方を公明正大にすべきだろう。加藤氏がどうして選ばれたか、実はよくわからなかった。野球好きの元駐米大使というのは有名だが、誰が推薦したのかわからないうちに決まっていた。球界の影の実力者が決めたというのが大方の見方で、それなら今回、統一球を「調整」しようとする動きがあったことを加藤氏が知っていたとしても、とやかく言えないのも納得できる。 ”
この辺りのことは噂だとしながらも、すべてが闇の中で決められている機構の怪しさと危うさを的確に突いている。こんなコラムは日経でないと載せられないし、もちろんTVでは絶対に取り上げられないのだろう。影の実力者というのは、十人が十人すぐにあの人とわかってしまうのだが、今回の件に限ってみれば、その「誰か」がすべての根源だとは思えないところもある。陰謀の「源」といった論説は分かり易いが、こうした決め付けはしばしば本質を見失う。むしろ、プロ野球という歴史の長い巨大業界に居座る「既得権益集団」が、絵を描き密かに実行に移したのだと考えるほうが自然であろう。
コミッショナー側にはなんの権限もない、さらに踏み込めば「はだかの王様」でしかなかったと素直に認めれば話は簡単なはずなのだ。もっとも、そんな芸当ができていれば今の混乱はないのだろうが。
島田氏は江川事件後のプロ野球界の混乱を裁いた下田武三コミッショナー(1979-1985年)を高く評価しており、こうした硬骨な人でなければ今後の改革は難しいと述べている。
“巨人の不祥事である「江川事件」の後、1979年から85年まで務めた下田武三氏は元最高判事。「正しいものは正しい、悪いものは悪い」と飛ぶボール、飛ぶバットなどの禁止や球場規模の適正化を進めた名コミッショナーだ。下田さんは厳正過ぎるほどのやり方でセ・リーグ側と相いれず、2期で辞任し、球界近代化の功績がありながら、殿堂入りも果たしていない。今、改革を期待するならひも付きでない、同氏のような硬骨の人こそ必要である。 ”
会津武士のように「ならぬものは、ならぬ」と、影の実力者の首に鈴を着けに行くのは、いったい誰になるのだろう。
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マンドラゴラの叫び
https://m-taniya.blog.ss-blog.jp/2013-05-16
畏友、船山信次氏:日本薬科大学教授より、新著「毒の科学」献本いただいた。こんどの本は、新書版ではなく、かなり重量級。しかも、カラー図版が多く内容も稠密。これまで、船山氏が著してきた一般向けの「毒」の本の中でも際立っている。ここまでくると、毒に関する科学啓蒙書としては、百科的な役割さえ担って、この領域の頂点に立つと言ってもよいのではないかと思う。とにかく、これが手許にあれば、毒について何か知りたいことがあれば、必ず一定の回答がここにはある。そういったタイプの本である。もうひとつ、この本の特徴は、新書版と異なり大型(A5版)であること、しかも使われている図はすべてカラー刷りである。このため、古代から中世にかけて、暗殺の横行による毒の恐怖と宗教(あるいは魔術)が重なり合っていた時代の、おどろおどろしい雰囲気が挿絵(多くは中世の宗教画)からにじみ出ている。正直、かなり気味悪いのもある(例えばこの本の最初に掲げてあるマンドラゴラなど)。年少の子供に不用意に見せると、怖い夢にうなされるかもしれない。死の恐怖、毒が持つ悪魔的な力、このイメージは強烈だ。しかし、この本の最大の価値はここにあるともいえる。すなわち、毒を単に科学の視点からだけでなく、人類の歴史文化の中で果たしてきた役割についても力点を置いていることである。船山氏は、毒は死に関わる危険なものとして知られていたと同時に、その存在がむしろ文明の発達を促してきたとも考えられるとして、次のように記している。“人々は毒でしとめた獲物を食べても大丈夫なことを知っていた。これらのことがらは、やがて記録として残されるようになる。古い記録には毒や薬の記載が必ずといっていいほど見られる。まるで人類はこれらのことがらを記録したいがために文字や粘土板、パピルス、紙、筆、墨、インクなどの記録手段を発明してきたかのようですらある。”手に取ると大変に美麗であり、知識の宝庫と呼べるような本なのだが、船山氏は読者に対して次のように注意を発している。“記述を鵜呑みにして自己または他人に応用されないように”<マンドラゴラ>人のように動き引き抜くと悲鳴を上げて、まともに聞いた人間は発狂して死んでしまうという伝説がある。ハリーポッターに出てきたことで知られているように、ヨーロッパの伝承には頻出する。
読後の感想
田二谷正純
2013-05-16T23:26:00+09:00
畏友、船山信次氏:日本薬科大学教授より、新著「毒の科学」献本いただいた。
こんどの本は、新書版ではなく、かなり重量級。しかも、カラー図版が多く内容も稠密。これまで、船山氏が著してきた一般向けの「毒」の本の中でも際立っている。ここまでくると、毒に関する科学啓蒙書としては、百科的な役割さえ担って、この領域の頂点に立つと言ってもよいのではないかと思う。とにかく、これが手許にあれば、毒について何か知りたいことがあれば、必ず一定の回答がここにはある。そういったタイプの本である。
もうひとつ、この本の特徴は、新書版と異なり大型(A5版)であること、しかも使われている図はすべてカラー刷りである。このため、古代から中世にかけて、暗殺の横行による毒の恐怖と宗教(あるいは魔術)が重なり合っていた時代の、おどろおどろしい雰囲気が挿絵(多くは中世の宗教画)からにじみ出ている。正直、かなり気味悪いのもある(例えばこの本の最初に掲げてあるマンドラゴラなど)。年少の子供に不用意に見せると、怖い夢にうなされるかもしれない。死の恐怖、毒が持つ悪魔的な力、このイメージは強烈だ。しかし、この本の最大の価値はここにあるともいえる。すなわち、毒を単に科学の視点からだけでなく、人類の歴史文化の中で果たしてきた役割についても力点を置いていることである。船山氏は、毒は死に関わる危険なものとして知られていたと同時に、その存在がむしろ文明の発達を促してきたとも考えられるとして、次のように記している。
“人々は毒でしとめた獲物を食べても大丈夫なことを知っていた。これらのことがらは、やがて記録として残されるようになる。古い記録には毒や薬の記載が必ずといっていいほど見られる。まるで人類はこれらのことがらを記録したいがために文字や粘土板、パピルス、紙、筆、墨、インクなどの記録手段を発明してきたかのようですらある。 ”
手に取ると大変に美麗であり、知識の宝庫と呼べるような本なのだが、船山氏は読者に対して次のように注意を発している。
“記述を鵜呑みにして自己または他人に応用されないよう に”
<マンドラゴラ>
人のように動き引き抜くと悲鳴を上げて、まともに聞いた人間は発狂して死んでしまうという伝説がある。ハリーポッターに出てきたことで知られているように、ヨーロッパの伝承には頻出する。
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ネット接続の深い穴に落ちて
https://m-taniya.blog.ss-blog.jp/2013-05-15
「パソコンを何回もクリックして、いつまで何やってんの」、家人から冷たく言い放たれてしまった。壁際のネット機器の前に座り込んで、ぶつぶつ言いながらなにやら繰り返し繰り返している姿を見て、ついにボケが来たかと思ったのではないか。これは、新種の徘徊か、いわゆるテクノボケかと。自宅の無線LANが遠くの部屋でどうしてもうまく受信できないので、配置を少しだけ変えてみようと日曜の午後にふと思い立った。ついでにモデムやらルーターのごちゃごちゃ配線もすっきりとまとめて、ほこりも払って。おお、かなり美しい、と(勝手に)喜びつつ、さて受信感度はどうかなとiPadを開いた。あれ?Wifiの強度はいいのに、ネットにつながらない。あわててLenovoを開いてWindowsで試みるが、やはりネットはだめ。こんなこと初めてだが...自宅のネット環境は、長い間シンプルそのもので、NTTのフレッツとプロバイダはso-netという組み合わせ。これに市販の無線LANルーターをつなぎ、室内どこでも利用できるようにして使い込んできた。ところが今年になって、ふと「ひかり電話」の導入に思い至り、2月から新たに「ひかり電話ルーター」が壁際の機器群に加わっていた。ひかり電話ルーターの取説を開いて、トラブル対応を探ったが、なにせこの新参者とは付き合いが薄く、さっぱりわからない。しかしいろいろ調べていると、ネットとの常時接続が切れているだけではなく、「電話」もつながっていないことがわかった。確かに受話器を持ち上げても「ツー」という音が聞こえない。あ、これはマズイ。大変なことを、やっちっまった、かも。ところが、休日でサービス窓口は開いていない。ということで、翌日の朝を待つことに...月曜の朝にさっそくサービス窓口に連絡したところ、実は昨日に同じマンション内のひかり電話利用者から不通の連絡があり、おそらく集合装置のトラブルと思われるので、既に修理点検の手配をしているとのこと。え?トラブルの原因は、ここではなく外だったのか。で、普通はこれで通信が回復してめでたしめでたしとなるのだが、なかなかそうはならず、深いトホホが待っていたのだ。たしかに、ひかり電話はその日のうちに復旧した。よしよしと、PCをつなぐと、あれ?やっぱりつながらない。いろいろやってもダメなので、またサービス窓口に連絡。指示に従って設定をしていくと、フレッツのPPP接続はちゃんとできることがわかった。ところが、..
気がついた
田二谷正純
2013-05-15T23:16:22+09:00
「パソコンを何回もクリックして、いつまで何やってんの」、家人から冷たく言い放たれてしまった。壁際のネット機器の前に座り込んで、ぶつぶつ言いながらなにやら繰り返し繰り返している姿を見て、ついにボケが来たかと思ったのではないか。これは、新種の徘徊か、いわゆるテクノボケかと。
自宅の無線LANが遠くの部屋でどうしてもうまく受信できないので、配置を少しだけ変えてみようと日曜の午後にふと思い立った。ついでにモデムやらルーターのごちゃごちゃ配線もすっきりとまとめて、ほこりも払って。おお、かなり美しい、と(勝手に)喜びつつ、さて受信感度はどうかなとiPadを開いた。あれ?Wifiの強度はいいのに、ネットにつながらない。あわててLenovoを開いてWindowsで試みるが、やはりネットはだめ。こんなこと初めてだが...
自宅のネット環境は、長い間シンプルそのもので、NTTのフレッツとプロバイダはso-netという組み合わせ。これに市販の無線LANルーターをつなぎ、室内どこでも利用できるようにして使い込んできた。ところが今年になって、ふと「ひかり電話」の導入に思い至り、2月から新たに「ひかり電話ルーター」が壁際の機器群に加わっていた。
ひかり電話ルーターの取説を開いて、トラブル対応を探ったが、なにせこの新参者とは付き合いが薄く、さっぱりわからない。しかしいろいろ調べていると、ネットとの常時接続が切れているだけではなく、「電話」もつながっていないことがわかった。確かに受話器を持ち上げても「ツー」という音が聞こえない。あ、これはマズイ。大変なことを、やっちっまった、かも。ところが、休日でサービス窓口は開いていない。ということで、翌日の朝を待つことに...
月曜の朝にさっそくサービス窓口に連絡したところ、実は昨日に同じマンション内のひかり電話利用者から不通の連絡があり、おそらく集合装置のトラブルと思われるので、既に修理点検の手配をしているとのこと。え?トラブルの原因は、ここではなく外だったのか。で、普通はこれで通信が回復してめでたしめでたしとなるのだが、なかなかそうはならず、深いトホホが待っていたのだ。
たしかに、ひかり電話はその日のうちに復旧した。よしよしと、PCをつなぐと、あれ?やっぱりつながらない。いろいろやってもダメなので、またサービス窓口に連絡。指示に従って設定をしていくと、フレッツのPPP接続はちゃんとできることがわかった。ところが、プロバイダとの接続ができない。さらに症状を見ていくと、どうやらアクセス認証ではじかれているらしい。ここでの結論は、プロバイダから提供されている接続用のIDとパスワードを準備して設定しなおすということだった。ああ、なるほどそういうことか。でも、接続用IDって、記憶にないけど...ずいぶん前にネットの接続を開始する時に、設定し入力したんだろうが、憶えていない。よく使っているIDとパスワードは何種類かあるが、組み合わせを総当りすればなんとかなるかも、と迂闊にも考えてしまった。ここで、さっさと諦めてプロバイダに問い合わせれば良いのに。 (-_-;; (汗 とはこのこと。
ここから長い迷い道にはまりこんでしまった。これを傍で見ていれば、確かに新手のボケが出たと思うかもしれない。まったく、あーあ、である。さすがに窮して、こんどはso-netのサービス窓口に藁をもつかむ思いで連絡。ほとんど同じステップを確認して、結論は同じように接続IDとパスワードらしいということ。ここから違ったのは、IDとパスワードはすぐにハガキで郵送してくれることになったこと。おお、これでようやく地上に出られる!(ジタバタせずに最初からそうしてれば...)
というわけで、結果的にネットの世界へ戻ることができた(戻らないほうが幸せだったかも)。決してテクノ・ボケではなかったと主張したいのだが、よく考えると、泥沼にはまりこんでうだうだと打開策を講じないというのは、本人が気づいていないだけで、徘徊とあまり変わらないのでは。これが深淵なボケの入り口なのかも...
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人がコンピュータに駆逐されるとき
https://m-taniya.blog.ss-blog.jp/2013-05-02
「コンピューターが仕事を奪う(上)」新井紀子国立情報学研究所教授、日本経済新聞 2013.5.19、経済教室を読んで先月行われた、第2回将棋電王戦で将棋ソフトが勝利したことは、やはり予想以上の衝撃を与えたようだ。1997年にチェスの世界チャンピオン(カスパロフ氏)がIBMのスーパーコンピューターに敗れた時に、いつかは将棋でも同じことが起きるだろうとは思ってはいたが、現実にしかもこんなに早く実現しようとは。将棋はチェスと異なり、獲った敵の駒を再び使えることで変化の枝が多く、しらみつぶしが得意なコンピューターでも、そうたやすくは人間の能力を越えられないだろうという、淡い思いがあった。これを打ち破ったのは、物理的なマシンパワーだけではなく、むしろソフトの力によるということらしい。その中心にあるテクノロジーは「機械学習」。最近でよく知られているのは、防犯カメラによる容疑者認識だが、他にも音声認識(Siriなど)、機械翻訳、音声合成、検索エンジン、スパムメール検出などなど、その範囲は急速に拡大しているらしい。「データ」と「機械学習」という手段を将棋ソフトが手に入れたからである。公開されたプロ棋士の対戦の棋譜(データ)を基に、プロ棋士が選んだ指し手こそ価値が高いと認識し、さらにその評価を少しずつ自動的に調整する(機械学習)プログラムの登場である。これはなんてすばらしい未来の登場ではないか。などと浮かれている場合ではないと、新井氏は次のように述べている。スパム除去ソフトはメール管理者をスパムメールとの格闘から解放した。では、彼らの仕事は楽になっただろうか。そうではない。結果的に彼らから職を奪ったのである。作業のある手順をルール化して機械にわかるように書き下してやれば、コンピューターが文句も言わずに淡々と処理してくれる。人間を単純労働から開放する歴史的な福音だなどとこの事態を歓迎しているだけではいけないというのだ。すでに米国や英国では、入試の小論文採点に自動採点システムが導入されている。人が二人で(誤りを避けるため)採点するより、人とコンピューターのコンビのほうが低コストでしかも精度が高いのだそうだ。つまり、「そこそこ」の知的作業はコンピューターによって急速に代替されつつある。少子化する日本(あるいは先進国)で、機械によって労働の代替ができることは悪いことではないという考えもあるが、ここに3つの不安が横たわっているという。ひとつ..
新聞記事
田二谷正純
2013-05-02T22:53:17+09:00
先月行われた、第2回将棋電王戦で将棋ソフトが勝利したことは、やはり予想以上の衝撃を与えたようだ。1997年にチェスの世界チャンピオン(カスパロフ氏)がIBMのスーパーコンピューターに敗れた時に、いつかは将棋でも同じことが起きるだろうとは思ってはいたが、現実にしかもこんなに早く実現しようとは。
将棋はチェスと異なり、獲った敵の駒を再び使えることで変化の枝が多く、しらみつぶしが得意なコンピューターでも、そうたやすくは人間の能力を越えられないだろうという、淡い思いがあった。これを打ち破ったのは、物理的なマシンパワーだけではなく、むしろソフトの力によるということらしい。その中心にあるテクノロジーは「機械学習」。最近でよく知られているのは、防犯カメラによる容疑者認識だが、他にも音声認識(Siriなど)、機械翻訳、音声合成、検索エンジン、スパムメール検出などなど、その範囲は急速に拡大しているらしい。
「データ」と「機械学習」という手段を将棋ソフトが手に入れたからである。公開されたプロ棋士の対戦の棋譜(データ)を基に、プロ棋士が選んだ指し手こそ価値が高いと認識し、さらにその評価を少しずつ自動的に調整する(機械学習)プログラムの登場である。
これはなんてすばらしい未来の登場ではないか。などと浮かれている場合ではないと、新井氏は次のように述べている。
スパム除去ソフトはメール管理者をスパムメールとの格闘から解放した。では、彼らの仕事は楽になっただろうか。そうではない。結果的に彼らから職を奪ったのである。
作業のある手順をルール化して機械にわかるように書き下してやれば、コンピューターが文句も言わずに淡々と処理してくれる。人間を単純労働から開放する歴史的な福音だなどとこの事態を歓迎しているだけではいけないというのだ。すでに米国や英国では、入試の小論文採点に自動採点システムが導入されている。人が二人で(誤りを避けるため)採点するより、人とコンピューターのコンビのほうが低コストでしかも精度が高いのだそうだ。つまり、「そこそこ」の知的作業はコンピューターによって急速に代替されつつある。
少子化する日本(あるいは先進国)で、機械によって労働の代替ができることは悪いことではないという考えもあるが、ここに3つの不安が横たわっているという。
ひとつは、機械学習の精度がデータ量に依存すること。学習の複雑さを向上させるより量が決め手だというのは悲しいが、確かに事実かもしれない。Googleは最初からこのことに気づいていたのだろう。
ふたつめは、未熟な人工知能では人を完全に労働から解放はできないということ。機械にできない仕事は両極端に分かれることが知られており、機械が「そこそこ」の知的労働を代替することで、労働は上下に分断されることになる。
みっつめは、機械で代替できない「高度人材」を教育するための効果的な手法が見つからないことにある。
この三番目の課題は新井氏が指摘するようにたしかに大きく難しい。
20世紀までの学校教育が成功をおさめたのは、教育がプログラム化でき、多くの生徒が訓練さえすれば能力を身につけられたからである。そして、プログラム学習で身に着いた能力が労働市場で十分な付加価値をもったためである。
教育・訓練が機械で代替されてしまう現実の到来を十分には見通してこなかった。コンピューターシステムの進歩と拡大は、人に明るく豊かな未来だけを与えてくれると信じていたのだが、いま生じつつある「未来」は、そうした夢の世界へは決して向かってはいないということだろう。
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肉食うべし
https://m-taniya.blog.ss-blog.jp/2013-04-30
”「肉は食べるな」大間違い” AERA 2013.4.29 を読んで前にも肉食が体に悪いわけではないという説がある、いやむしろそれは現代医学の常識だという話を紹介した:「健康は脂ぎった食事から」。それ以来、肉料理に出会ったときのプレッシャー(肉の食べ過ぎは不健康!)はずいぶんと減ったように思う。とkろが、ここのところの本屋の店頭では、「長生きしたけりゃ肉は食べるな」というこの1月に出た本がブレークしているらしい。この本の著者は若杉友子氏。京都在住の、なんと76歳の方。いわく、<現代人は食べ物に無関心です。身体によくないものを食べているから、病気になるのです。お肉はその代表選手です>しかも肉だけでなく、卵や牛乳などの動物性たんぱくを「全」否定。なにせ、未だ読んではいないのでえらいことは言えないが、昔の日本人は一汁一菜で小食、肉などほとんど口にしていない。だから、今の年寄りは長生きで健康だ!という論調かと推察できる。ところが、この反肉食論に真っ向から反論する本が、ほぼ同じタイミングで出ているそうだ。著者は人間総合科学大学教授の柴田博氏。タイトルは、「肉を食べる人間は長生きする」。見事に真逆である。AERAの記事は、そのお二人の他の専門家からの取材を重ねて肉食の真実に迫ろうとしていて、なかなか興味深い。例えば、慶応大学医学部の近藤誠氏は、「動物性たんぱくを摂るなというのは、大いなる勘違い。動物性たんぱくを断って菜食にすると、一気にやせて体の抵抗力が落ち、短命になります」と説いている。さらに、「そもそもメタボという概念が大間違い。(中略)メタボにさしかかる程度の小太りが実は一番長生き。また、コレステロールが高い人ほど長生きしています。」どうもこうした意見の並べ方を見ると、AERAとしては、肉は食べた方がよいというほうの肩をもちたいらしい。たしかに頷くところは多い。先の近藤氏は、反動物たんぱく室の動きを、「神秘主義」とまで断じている。確かに、徹底したストイックで、修道士のような雰囲気さえ漂っているようにも思える。そういう食事について、自分を追い込んでいく人がいることは否定はしないのだが、おさそいがあれば正直ご遠慮したい。なにしろ、わたくし、肉が大好きですから。
雑誌記事
田二谷正純
2013-04-30T23:46:06+09:00
前にも肉食が体に悪いわけではないという説がある、いやむしろそれは現代医学の常識だという話を紹介した:「健康は脂ぎった食事から」 。
それ以来、肉料理に出会ったときのプレッシャー(肉の食べ過ぎは不健康!)はずいぶんと減ったように思う。
とkろが、ここのところの本屋の店頭では、「長生きしたけりゃ肉は食べるな」というこの1月に出た本がブレークしているらしい。この本の著者は若杉友子氏。京都在住の、なんと76歳の方。いわく、<現代人は食べ物に無関心です。身体によくないものを食べているから、病気になるのです。お肉はその代表選手です>
しかも肉だけでなく、卵や牛乳などの動物性たんぱくを「全」否定。なにせ、未だ読んではいないのでえらいことは言えないが、昔の日本人は一汁一菜で小食、肉などほとんど口にしていない。だから、今の年寄りは長生きで健康だ!という論調かと推察できる。
ところが、この反肉食論に真っ向から反論する本が、ほぼ同じタイミングで出ているそうだ。著者は人間総合科学大学教授の柴田博氏。タイトルは、「肉を食べる人間は長生きする」。見事に真逆である。
AERAの記事は、そのお二人の他の専門家からの取材を重ねて肉食の真実に迫ろうとしていて、なかなか興味深い。
例えば、慶応大学医学部の近藤誠氏は、「動物性たんぱくを摂るなというのは、大いなる勘違い。動物性たんぱくを断って菜食にすると、一気にやせて体の抵抗力が落ち、短命になります」と説いている。さらに、「そもそもメタボという概念が大間違い。(中略)メタボにさしかかる程度の小太りが実は一番長生き。また、コレステロールが高い人ほど長生きしています。 」
どうもこうした意見の並べ方を見ると、AERAとしては、肉は食べた方がよいというほうの肩をもちたいらしい。たしかに頷くところは多い。先の近藤氏は、反動物たんぱく室の動きを、「神秘主義」とまで断じている。確かに、徹底したストイックで、修道士のような雰囲気さえ漂っているようにも思える。
そういう食事について、自分を追い込んでいく人がいることは否定はしないのだが、おさそいがあれば正直ご遠慮したい。なにしろ、わたくし、肉が大好きですから。
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蕙斎の江戸一目図
https://m-taniya.blog.ss-blog.jp/2013-04-15
ようやく待っていたものが届いた。津山藩のお抱え絵師であった鍬形蕙斎(くわがたけいさい)が、今から200年前に描いた江戸の鳥瞰図、「江戸一目図」のミニチュアとその解説書「江戸一目図を歩く」である。蕙斎作「一目図」の存在を知ったのは、4月5日付け日本経済新聞の文化欄、「200年前の江戸をナビ」尾島治氏:津山郷土博物館長による。実は、東京スカイツリーの展望デッキに大きな屏風絵(レプリカ)として開業時から展示されている、らしい。というのも、未だ完成後に登ったことがなく、こうした話題についていけていない。またひとつ大きな宿題が出てきてしまったということか。蕙斎が二百年前に描いた絵が、スカイツリーの展望台からの眺めと寸分違わない。それではまるで、蕙斎がタイムトラベラーであるかのような話だが、しかし偶然にしても不思議な話ではないか。江戸に住む町絵師として、津山藩にその技量を高く評価されてお抱え絵師となった蕙斎の傑作であることは間違いはない。現在の東京駅の八重洲側にあった津山藩邸を絵のほぼ中央やや下に置き、江戸城と富士山を絵の上部に配し、隅田川を絵の底辺に据え、海(江戸湾)を絵の左に配すると、結果として視点が江戸の西の端の上空になったということであろう。絵には亀戸天神も含まれているので、視位置がスカイツリーでは、やや無理があるのだが、そのあたりはご愛嬌。そもそも蕙斎の描く一目図は、空間をかなり歪めて地図の「ようなもの」を創り出したもので、あまり現実との整合に目くじらを立ててもしょうがないともいえる。興味深いのは、蕙斎の一目図がスカイツリーにレプリカとして展示されることが決まってからはじめて絵の中に描かれている地物の同定が進められたということだ。確かに絵はあまりに大部でかつ細かいために同定作業は容易ではなかったらしい。津山郷土博物館では、それまで273ヶ所までは特定されていた地物同定を、このレプリカ展示に合わせて倍以上の600ヶ所にまで増やしてきたそうだ。この精密な作業によって一目図の歴史的な価値がいっそう高まったことは疑いない。それにしても蕙斎の絵で驚くのは、200年前の江戸の暮らしが簡略な線で生き生きと描かれていることである。6枚にも及ぶ巨大な絵の中に、通りの商いの賑わいや、小船による川漁の様子など、江戸の町に生きる人々のざわめきが聞こえてきそうな描写がそこにはある。つまりこれは、詳細な航空写真でもなければ地図でもない、江戸の..
新聞記事
田二谷正純
2013-04-15T23:42:00+09:00
ようやく待っていたものが届いた。
津山藩のお抱え絵師であった鍬形蕙斎(くわがたけいさい)が、今から200年前に描いた江戸の鳥瞰図、「江戸一目図」のミニチュアとその解説書「江戸一目図を歩く」である。
蕙斎作「一目図」の存在を知ったのは、4月5日付け日本経済新聞の文化欄、「200年前の江戸をナビ」尾島治氏:津山郷土博物館長による。実は、東京スカイツリーの展望デッキに大きな屏風絵(レプリカ)として開業時から展示されている、らしい。というのも、未だ完成後に登ったことがなく、こうした話題についていけていない。またひとつ大きな宿題が出てきてしまったということか。
蕙斎が二百年前に描いた絵が、スカイツリーの展望台からの眺めと寸分違わない。それではまるで、蕙斎がタイムトラベラーであるかのような話だが、しかし偶然にしても不思議な話ではないか。江戸に住む町絵師として、津山藩にその技量を高く評価されてお抱え絵師となった蕙斎の傑作であることは間違いはない。
現在の東京駅の八重洲側にあった津山藩邸を絵のほぼ中央やや下に置き、江戸城と富士山を絵の上部に配し、隅田川を絵の底辺に据え、海(江戸湾)を絵の左に配すると、結果として視点が江戸の西の端の上空になったということであろう。絵には亀戸天神も含まれているので、視位置がスカイツリーでは、やや無理があるのだが、そのあたりはご愛嬌。そもそも蕙斎の描く一目図は、空間をかなり歪めて地図の「ようなもの」を創り出したもので、あまり現実との整合に目くじらを立ててもしょうがないともいえる。
興味深いのは、蕙斎の一目図がスカイツリーにレプリカとして展示されることが決まってからはじめて絵の中に描かれている地物の同定が進められたということだ。確かに絵はあまりに大部でかつ細かいために同定作業は容易ではなかったらしい。津山郷土博物館では、それまで273ヶ所までは特定されていた地物同定を、このレプリカ展示に合わせて倍以上の600ヶ所にまで増やしてきたそうだ。この精密な作業によって一目図の歴史的な価値がいっそう高まったことは疑いない。
それにしても蕙斎の絵で驚くのは、200年前の江戸の暮らしが簡略な線で生き生きと描かれていることである。6枚にも及ぶ巨大な絵の中に、通りの商いの賑わいや、小船による川漁の様子など、江戸の町に生きる人々のざわめきが聞こえてきそうな描写がそこにはある。つまりこれは、詳細な航空写真でもなければ地図でもない、江戸の町を200年前の時間とともに切り取ったものなのだ。
手元に届いた、一目図の解説書とミニチュアを繰り返し見るたび、宿題が気になる。まずはスカイツリーの展望台に行かねばならない。そしてその次は、津山市にある一目図の現物との対面であろう。いつかは岡山に行かなければなるまい。
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「とんでもない」が世界を救う
https://m-taniya.blog.ss-blog.jp/2013-03-26
「知的創造の技術」赤祖父俊一、日本経済新聞出版社 を読んで赤祖父氏は世界的なオーロラ研究の権威。東北大学からアラスカ大学に進み、長くオーロラの成因の解明に携わってこられた。最近では「正しく知る地球温暖化―誤った地球温暖化論に惑わされないために」という本などで、温暖化対策に正面から疑問を呈するなど、物言う大御所として知られるようになっているようだ。(その赤祖父氏が、長い科学者としての実績と経験をもとにした「知的創造」のエッセンスを、専門家ではない一般の読者向けに解説したものと期待して読むと、多いに肩透かしをくらうことになる。とにかく、このタイトルは変というか、本の内容をほとんど正しく表していない。なぜこのような堅苦しい、しかも手に取りにくい題を与えてしまったのか、きわめて不可解である。)隆盛と衰退は避けられない。企業も、産業も、国さえも盛衰を繰り返すことは歴史の教えるところである。氏はこれに対し、“盛衰の流れを阻止しなくてはならないと主張しているのではなく、むしろ流れに積極的に立ち向かっていく、そのために必要な創造と革新を進めるにはどうしたらよいかということを述べるのが本書の目的である” と明確に示している。氏はこの「創造」について、トインビーの、“文明の自動化(効率化)は人間の奴隷化を伴い、創造性が失われていくことが国の衰退を招く” という言を引きながら、それではどうすべきかという点に踏み込んでいる。欧米あるいは日本でも、創造あるいは革新の重要性については多く指摘されながら、具体的にどうすればよいかについては詳しく論じられていないのは、「創造」の定義を知らないからだと厳しく断じている。すなわち、まず創造とは無から有を生み出すことという固定観念を捨てなければならないという。“創造とはすでに存在する2つ、または、それ以上のものを統合すること”この定義は、もともと科学哲学の定義だそうだが、学問はもちろん、芸術や政治にさえ当てはまるという。この世に生まれる新しいことは、すべて古いものの組み合わせにすぎないというのは重要な認識であろう。“科学における大きな進歩は、困難な問題において突破口を発見することであるが、科学創造とは「2つまたはそれ以上の事実または理論を統合すること」であり、企業における新製品の創造と、その定義は全く同じである。そう述べると、現在止まることなく狭い分野に専門化していく科学の世界では当惑する専門家が多い..
読後の感想
田二谷正純
2013-03-27T00:16:39+09:00
「知的創造の技術」赤祖父俊一、日本経済新聞出版社 を読んで
赤祖父氏は世界的なオーロラ研究の権威。東北大学からアラスカ大学に進み、長くオーロラの成因の解明に携わってこられた。最近では「正しく知る地球温暖化―誤った地球温暖化論に惑わされないために」という本などで、温暖化対策に正面から疑問を呈するなど、物言う大御所として知られるようになっているようだ。
(その赤祖父氏が、長い科学者としての実績と経験をもとにした「知的創造」のエッセンスを、専門家ではない一般の読者向けに解説したものと期待して読むと、多いに肩透かしをくらうことになる。とにかく、このタイトルは変というか、本の内容をほとんど正しく表していない。なぜこのような堅苦しい、しかも手に取りにくい題を与えてしまったのか、きわめて不可解である。 )
隆盛と衰退は避けられない。企業も、産業も、国さえも盛衰を繰り返すことは歴史の教えるところである。氏はこれに対し、“盛衰の流れを阻止しなくてはならないと主張しているのではなく、むしろ流れに積極的に立ち向かっていく、そのために必要な創造と革新を進めるにはどうしたらよいかということを述べるのが本書の目的である ” と明確に示している。氏はこの「創造」について、トインビーの、“文明の自動化(効率化)は人間の奴隷化を伴い、創造性が失われていくことが国の衰退を招く ” という言を引きながら、それではどうすべきかという点に踏み込んでいる。
欧米あるいは日本でも、創造あるいは革新の重要性については多く指摘されながら、具体的にどうすればよいかについては詳しく論じられていないのは、「創造」の定義を知らないからだと厳しく断じている。すなわち、まず創造とは無から有を生み出すことという固定観念を捨てなければならないという。
“創造とはすでに存在する2つ、または、それ以上のものを統合すること ”
この定義は、もともと科学哲学の定義だそうだが、学問はもちろん、芸術や政治にさえ当てはまるという。この世に生まれる新しいことは、すべて古いものの組み合わせにすぎないというのは重要な認識であろう。
“科学における大きな進歩は、困難な問題において突破口を発見することであるが、科学創造とは「2つまたはそれ以上の事実または理論を統合すること」であり、企業における新製品の創造と、その定義は全く同じである。そう述べると、現在止まることなく狭い分野に専門化していく科学の世界では当惑する専門家が多いと思うが、当惑すること自体、「科学をする」ということの本質を理解していないことによる。 ”
研究者が専門知識の詰め込みに精一杯で、創造とはかけ離れてしまっているとの指摘だ。さらに創造を具体化するためには大きな難関が待ち受けている。それは、常識になっていることからかけ離れて、常識はずれの「とんでもない」を生み出すことであるという。
“「とんでもない」ことを「とんでもある」ことにする ”
問題が現在のすでに確立されている知識の延長線上にあると考えるため、教科書的例題解法しか頭に浮かばないこと、あるいは既成概念や過去の成功体験から新しい組み合わせが奇異に思え、簡単に受け入れられないことなどが大きな障壁となって「創造」と「革新」の実現をはばむという。それまで、常識と考えられていたことを打ち破るというのは勇ましいが、当然にすぐには受け入れられない。とんでもないとしか表現のしようがないということであろう。しかし、氏はこの反応が大事だともいう。直ちに「なるほど」と受け入れられるものは実は常識的な解であり、創造でもなんでもないかもしれない。したがって、「とんでもない」と言われたときは、提案者はむしろしめたと思ってよい場合があるとも述べている。
この創造のプロセスを氏は「猫のパズル」という話で説明する。最初は猫のパズルと思って試行錯誤していると、どうしてもパズルに合わないピースが見つかったとする。この時の対処として、(1)解いているパズルは猫なので、間違って紛れ込んだピースとして捨ててしまう、(2)そのピースは猫のパズルの一部であることは間違いないので、歪みが生じたか欠けてしまったか、とにかく解決策を探す。(3)パズルそのものに疑問を向けて見直しているうちに、猫ではないピースを他にも見つけ出し、やがてパズルが猫ではなく犬のだったとわかる。真面目な人の多くは(2)にはまるのだが、避けなければいけないのは(1)で実はこれが最も罪深い。これを許すと千載一遇のチャンスをむざむざ捨てるという愚を犯すことになる。困難を克服するには、「とんでもない」と言われることにたじろがず、創造を手繰り寄せられるかにかかっている。
赤祖父氏はこの本のエピローグで、研究者の育成という点について次のように述べている。
“科学は常に進歩する。進歩するということは、現在の知識が不十分であるか、誤っていたためである。言葉を換えて表現すれば、科学の知識は常に改革が必要であるということである。・・中略・・科学を進歩させるということは、観測や実験を基礎として、現在広く信じられている理論と合わないことを発見することである。 ”
「とんでもない」が世界を救うのだ。
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クオリティペーパーと格差
https://m-taniya.blog.ss-blog.jp/2013-03-12
AERA 2013.3.18号、内田樹の大市民講座、「1億総読者を願う新聞人の素志とは」 を読んで「新聞は亡びるだろう」、これが内田氏の基本スタンスである。内田氏は、朝日新聞の紙面審査委員を2年続けてきた中で、ずっと新聞というメディアの行く末について考えてきたという。欧米には「クオリティペーパー」という新聞のジャンルがある。日本語にすると「高級紙」ということだろうか。ガーディアン、ニューヨークタイムズ(NYT)、ルモンドなどがそれにあたるとされている。もちろん日本にはない。朝日新聞の発行部数は750万であるのに比べ、最も部数の多いNYTでも100万部に止まっていることが、その新聞が誰をターゲットにして作られているかを明瞭に物語っている。クオリティペーパーは最初から「多様な」読者を狙ってはいない。“これらのクオリティペーパーは知的上層に読者を「限定」している。読者はクオリティペーパーを読んで、政治経済文化についての質の高い調査報道や分析に触れ、現実理解を深める。そして、質の高い情報にアクセスすることのできない「情報弱者」に対するアドバンテージを一層確固なものにする。”“欧米のクオリティペーパーの目的は「全国民の啓蒙」ではないし、むろん「知的な平準化」ではない。むしろ、「知的階層格差の再生産」である。”わが国では、古くから国を富ませる源泉は国民の知的水準を高めることにあるとされ教育が重視されてきたが、近代になってからは新聞にもそうした役割があるとされてきた。これまで朝日や読売に代表される新聞が第一に取り組んできたことは、啓蒙主義に立脚した国民の情報格差の是正であったはずだ。大新聞の社是には、「知的階層格差の拡大」などということは微塵もない(はずだ)。しかし、内田氏は考える。“日本でも、社会の階層化と市民たちの原子化がこれ以上進めば、新聞は亡びるだろう。”悲しいかな、わが国も徐々にではあるが社会格差が拡大を続けている。やがて誰の目にもはっきりとわかるような、少しも平等ではない、でも全体としては豊かな(はずの)、社会が姿を現してくるのだろう。それでもなお内田氏は、“「1億3千万を読者に想定したクオリティペーパー」という虚しい夢を追い求めている日本の新聞人の素志を私は「可憐」だと思うのである。”、と記している。ほんの一握りのスーパーエリート達が国を引っぱって行く、その情報基盤としてのクオリティペーパー。なるほど、と膝をたた..
雑誌記事
田二谷正純
2013-03-12T23:34:07+09:00
「新聞は亡びるだろう」、これが内田氏の基本スタンスである。
内田氏は、朝日新聞の紙面審査委員を2年続けてきた中で、ずっと新聞というメディアの行く末について考えてきたという。
欧米には「クオリティペーパー」という新聞のジャンルがある。日本語にすると「高級紙」ということだろうか。
ガーディアン、ニューヨークタイムズ(NYT)、ルモンドなどがそれにあたるとされている。もちろん日本にはない。朝日新聞の発行部数は750万であるのに比べ、最も部数の多いNYTでも100万部に止まっていることが、その新聞が誰をターゲットにして作られているかを明瞭に物語っている。クオリティペーパーは最初から「多様な」読者を狙ってはいない。
“これらのクオリティペーパーは知的上層に読者を「限定」している。読者はクオリティペーパーを読んで、政治経済文化についての質の高い調査報道や分析に触れ、現実理解を深める。そして、質の高い情報にアクセスすることのできない「情報弱者」に対するアドバンテージを一層確固なものにする。 ”
“欧米のクオリティペーパーの目的は「全国民の啓蒙」ではないし、むろん「知的な平準化」ではない。むしろ、「知的階層格差の再生産」である。 ”
わが国では、古くから国を富ませる源泉は国民の知的水準を高めることにあるとされ教育が重視されてきたが、近代になってからは新聞にもそうした役割があるとされてきた。これまで朝日や読売に代表される新聞が第一に取り組んできたことは、啓蒙主義に立脚した国民の情報格差の是正であったはずだ。大新聞の社是には、「知的階層格差の拡大」などということは微塵もない(はずだ)。
しかし、内田氏は考える。
“日本でも、社会の階層化と市民たちの原子化がこれ以上進めば、新聞は亡びるだろう。 ”
悲しいかな、わが国も徐々にではあるが社会格差が拡大を続けている。やがて誰の目にもはっきりとわかるような、少しも平等ではない、でも全体としては豊かな(はずの)、社会が姿を現してくるのだろう。それでもなお内田氏は、
“「1億3千万を読者に想定したクオリティペーパー」という虚しい夢を追い求めている日本の新聞人の素志を私は「可憐」だと思うのである。 ”、と記している。
ほんの一握りのスーパーエリート達が国を引っぱって行く、その情報基盤としてのクオリティペーパー。なるほど、と膝をたたいて更なる欧米化を志向するのか、あくまでも日本的な平等主義を貫くのか。読売だ朝日だと互いを罵っている場合ではないのだが...
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さらば、Green
https://m-taniya.blog.ss-blog.jp/2013-03-09
先週の金曜に突然、ニューヨークタイムズ(NYT)のGreen Blogの閉鎖がアナウンスされた。このブログは、米国の主要メディアの中では執筆陣も充実しており、米国を中心とした環境やエネルギーの現状と課題を知るにはよい情報源だっただけに、驚きが広がっている。NYT全体にしてみれば、そんなに大きな影響がないと考えてのことかもしれないが、環境やエネルギーに近い関係者や研究者からは大きな反発が起き現在もまだ収まる様子がない。 The Nation誌で定期的にブログを書いている Greg Mitchell 氏は、先週末にニューヨークタイズム(NYT)が突然に発表した環境ブログ(Green:A Blog About Energy and the Environment)の閉鎖に噛み付いている。http://www.thenation.com/blog/173214/nyt-axes-green-blog-after-dropping-environment-unit'NYT' Axes 'Green' Blog, After Dropping Environment Unit というタイトルが語るように、Greenブログの閉鎖は、その前に起きたNYTでの環境部門の縮小に続いたもので、少しも唐突ではないという。金曜日の「事件」については、いろいろな見方があるようだが、結局は経営不振のメディアの代表の一つであるNYT(限った話ではない)が採った、普通の経費削減策の一つということらしい。それにしてもなぜ「環境」を、しかもこのタイミングでなの?というのがMitchell 氏の意見。そもそもこれだけ批判が巻き起こることが十分に予想される重要な決定を、金曜の午後5時にネット上でポンと投げてすますという感覚がおかしいだろう。悪い話は金曜の午後5時にポストするというのは、大きな企業や組織の不祥事公表にはよくあることで、できるだけこっそりとすませたいという思惑が見え見えなのだと手厳しい。また、この'Green' にもよく寄稿している Andrew Revkin 氏は'Green' について、これまでの4年で5,364の投稿を重ねてきた環境関連のニュースと分析における最高の集積者(aggregator)だったと評し、今回の措置に疑問を投げかけている。http://dotearth.blogs.nytimes.com/2013/03/02/a-f..
新聞記事
田二谷正純
2013-03-09T00:43:52+09:00
先週の金曜に突然、ニューヨークタイムズ(NYT)のGreen Blogの閉鎖がアナウンスされた。
このブログは、米国の主要メディアの中では執筆陣も充実しており、米国を中心とした環境やエネルギーの現状と課題を知るにはよい情報源だっただけに、驚きが広がっている。NYT全体にしてみれば、そんなに大きな影響がないと考えてのことかもしれないが、環境やエネルギーに近い関係者や研究者からは大きな反発が起き現在もまだ収まる様子がない。
The Nation誌で定期的にブログを書いている Greg Mitchell 氏は、先週末にニューヨークタイズム(NYT)が突然に発表した環境ブログ(Green:A Blog About Energy and the Environment)の閉鎖に噛み付いている。
http://www.thenation.com/blog/173214/nyt-axes-green-blog-after-dropping-environment-unit
'NYT' Axes 'Green' Blog, After Dropping Environment Unit というタイトルが語るように、Greenブログの閉鎖は、その前に起きたNYTでの環境部門の縮小に続いたもので、少しも唐突ではないという。金曜日の「事件」については、いろいろな見方があるようだが、結局は経営不振のメディアの代表の一つであるNYT(限った話ではない)が採った、普通の経費削減策の一つということらしい。それにしてもなぜ「環境」を、しかもこのタイミングでなの?というのがMitchell 氏の意見。
そもそもこれだけ批判が巻き起こることが十分に予想される重要な決定を、金曜の午後5時にネット上でポンと投げてすますという感覚がおかしいだろう。悪い話は金曜の午後5時にポストするというのは、大きな企業や組織の不祥事公表にはよくあることで、できるだけこっそりとすませたいという思惑が見え見えなのだと手厳しい。
また、この'Green' にもよく寄稿している Andrew Revkin 氏は'Green' について、これまでの4年で5,364の投稿を重ねてきた環境関連のニュースと分析における最高の集積者(aggregator)だったと評し、今回の措置に疑問を投げかけている。
http://dotearth.blogs.nytimes.com/2013/03/02/a-farewell-to-green/
NYTで Public Editor's Jounal を担当している、Margaret Sallivan 氏は、以下のブログの中で、今回のブログ閉鎖で起きているさまざまな場所での混乱や批判に言及しているが、その最後では、まずNYTの編集者たちが、環境関係のニュースは中止したのではないし、最重要との位置づけは変わらないし、今回の変更に代わる新しい方策を探ろうとしていると読者に訴えるべきだと述べているのだが、これは穏やかな言い回しだがきつい要請だ。あんたたちは、経営のせいにしてるみたいだけど、みんな頭にきてるよ、そのことをよくわかってるの?ということだ。
http://publiceditor.blogs.nytimes.com/2013/03/05/for-times-environmental-reporting-intentions-may-be-good-but-the-signs-are-not/
一地方誌(NYTは全国紙ではない)の、一つのブログの小さい話なのだが、その内容を良く知っているものからすると、どうしてこんなに社会的にも影響力の高いものを、いとも簡単に閉鎖したんだという失望と批判が巻き起こるのも当然かなとも思う。逆に言えば、NYTの編集方針からはみ出すほどの影響力を持ち始めたために、扱いに窮していたということもあるのかもしれない。
小生も米国での環境やエネルギーに関する動向を探るときの入り口はここだっただけに、Greenの消失はかなりショックだ。これからいったいどこへ行ったらいいんだ!というのが正直なところだが、これをきっかけにして視野を広げろということかもしれないと腹をくくっている。
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静かに走ろう
https://m-taniya.blog.ss-blog.jp/2013-02-12
電柱に「静かに走ろう」というポスター状の幕が取り付けられている。文字は小さくはないが、色も控えめなためか、目立たない。世田谷の住宅街の中を通る小道の脇にひっそりと掲げてある。最初は、なんのことか分からなかった。この近くに大学の総合運動場があるので、ランニング練習中の体育サークルの掛け声がうるさいというクレームなのか、それにしても... 2枚目の写真は、ポスターから20mほど進んだところで逆方向を見たところ。道の狭さがよくわかる。最初にこのポスターを見つけたのは、休日の午前中。人通りも少なく、もちろんランニングやジョギングする人も見えない。車もほとんど通らない。ここを静かに走れというのは誰に対してなのだろう。この疑問が解けたのは、数日後の平日の早朝のことである。朝の6時半ころ、まだ日が昇りきっていない冬の朝に、同じ場所に通りかかった。前に来たときと様子が違う。静かな早朝の住宅街という雰囲気はない。せまい路を、次から次に車が通り過ぎていく。しかも、かなりのスピードで走りぬけていくため、走行音が高い。表通りから離れた場所になぜこんな車の流れがあるのか。数分間そこに立ち止まって様子を眺めたが、流れは途切れない。流れの源を辿って見ると、ここを通るすべての車が、10mほど手前の狭い路地から湧き出てくる。路地から出て左折し、10mほど走ったところで小さな公園の端を回りこんで右折し、ポスターの貼ってある路へ突っ込んでくる。どの車も通り慣れているようで、左折右折が連続するS字運転でもスピードはほとんど落とさない。しかも、よく見ると走っているのは、ほとんどが業務用車両で、運転しているのも作業服か背広を身につけている人が多い。つまり、これは仕事車の出勤時ラッシュということらしい。ここは、通り抜け道なのだ。湧き出し口の先はどうなっているのか。車が走り抜けるため人の通る余地がほとんどない路地の先は、多摩川の堤防に沿って長く続く狭い道だった。なぜこの川沿いの狭い一本道に車が流れ込むのか。この地区は、多摩川と野川に挟まれた細長い形状をした住宅街で、そのほぼ中央を走る幹線路は、幅員がないことから歩行者を守るために一方通行にせざるをえなかったのだろうが、その逆を走る車はより狭い通りを、それこそ縫うように走るしかないのだ。このような朝夕の抜け道は、仕事上手の知恵ということで、誉められることはあっても止められることはないのだろうが、これでは生活者の安..
気がついた
田二谷正純
2013-02-12T23:51:15+09:00
電柱に「静かに走ろう」というポスター状の幕が取り付けられている。文字は小さくはないが、色も控えめなためか、目立たない。世田谷の住宅街の中を通る小道の脇にひっそりと掲げてある。最初は、なんのことか分からなかった。この近くに大学の総合運動場があるので、ランニング練習中の体育サークルの掛け声がうるさいというクレームなのか、それにしても... 2枚目の写真は、ポスターから20mほど進んだところで逆方向を見たところ。道の狭さがよくわかる。
最初にこのポスターを見つけたのは、休日の午前中。人通りも少なく、もちろんランニングやジョギングする人も見えない。車もほとんど通らない。ここを静かに走れというのは誰に対してなのだろう。この疑問が解けたのは、数日後の平日の早朝のことである。
朝の6時半ころ、まだ日が昇りきっていない冬の朝に、同じ場所に通りかかった。前に来たときと様子が違う。静かな早朝の住宅街という雰囲気はない。せまい路を、次から次に車が通り過ぎていく。しかも、かなりのスピードで走りぬけていくため、走行音が高い。表通りから離れた場所になぜこんな車の流れがあるのか。数分間そこに立ち止まって様子を眺めたが、流れは途切れない。流れの源を辿って見ると、ここを通るすべての車が、10mほど手前の狭い路地から湧き出てくる。路地から出て左折し、10mほど走ったところで小さな公園の端を回りこんで右折し、ポスターの貼ってある路へ突っ込んでくる。どの車も通り慣れているようで、左折右折が連続するS字運転でもスピードはほとんど落とさない。しかも、よく見ると走っているのは、ほとんどが業務用車両で、運転しているのも作業服か背広を身につけている人が多い。つまり、これは仕事車の出勤時ラッシュということらしい。ここは、通り抜け道なのだ。
湧き出し口の先はどうなっているのか。車が走り抜けるため人の通る余地がほとんどない路地の先は、多摩川の堤防に沿って長く続く狭い道だった。なぜこの川沿いの狭い一本道に車が流れ込むのか。この地区は、多摩川と野川に挟まれた細長い形状をした住宅街で、そのほぼ中央を走る幹線路は、幅員がないことから歩行者を守るために一方通行にせざるをえなかったのだろうが、その逆を走る車はより狭い通りを、それこそ縫うように走るしかないのだ。
このような朝夕の抜け道は、仕事上手の知恵ということで、誉められることはあっても止められることはないのだろうが、これでは生活者の安全も安心もあったものではない。こんなに見え見えで危ない抜け道には、なんらかの手を講じるべきではないか。ポスターも良いが、「静かに走ろう」ではこれを警告と受け止める運転者は一人もいないだろう、町内会の気休めと言っては言いすぎか。注意喚起にすらならないアリバイ作りは、そろそろ止めにしたらどうか。
交通安全の観点から、警察に行っても、区役所に行っても、道路改良が必要なことはわかっているが調整に手間と時間を要しており、すぐには解決策はないという答えが返ってくる。もうそろそろ、困ったら行政に駆け込むというパターンだけに頼るのはやめにしよう。同じような問題を抱える地域では、どんな解決策を模索しているのか、住民が自分の問題として動き出さないと解決は見えてこない。
たとえば、関西では抜け道を使う車を警察官が止め、免許証を提示させた上で「地元の人じゃないね。抜け道に使わないでもらえませんか?地元の人が非常に困ってます」という例があるらしい。住民の怒りが警察を動かしたケースだ。世田谷でもときどき見かけるが、路面に凸凹突起などの緩やかな障害物を設けたり、一方通行路の要所に車幅ぎりぎりのポールを立てるなど、もっと本気の嫌がらせ策(ドライバーに気づいてもらうため)は最低限必要だと思うのだが。
運転者が仕事の知恵と言うのならば、生活者の知恵を絞ることも必要だ。とにかく生命が係っているのだから。
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文彦と八重をつなぐもの
https://m-taniya.blog.ss-blog.jp/2013-02-05
「言葉の海へ」高田宏、新潮文庫、昭和59年 を読んで先に大槻文彦という明治の巨人、日本の言語を辞書という形で構築した最初の人として紹介した。そのときは、言海という大辞書の“おくがき”を材料として先人の偉大なる功績について論じたが、ここに導いてくれたのは、高田宏氏の「言葉の海へ」という作品であった。辞書作成の着手から完成にいたる労苦は、文彦の執念とともに、“おくがき”に書き込まれており、「言葉の海へ」でもそれにしたがっている。この作品はむしろ、そこに至るプロセスと時代背景を詳細に書き加えることで、文彦が17年間という途方もない労苦へ突き進んだ理由を浮かびあがらせている。日本は明治維新という特殊な国家変革プロセスを経、極めて短期間で西欧列強を追いかける体制を整えたが、その中核になったのは、諸藩選り抜きの若手下級武士である。生まれた年の順に、主要人物をあげると、西郷隆盛(1828年)、大久保利通(1830年)、吉田松陰(1830年)、木戸孝允(1833年)、坂本竜馬(1836年)、大隈重信(1838年)、高杉晋作(1839年)。徳川から明治に移り変わる時点では、ほぼ30代、大隈と高杉に至っては未だ20代であった。若い世代のエネルギーと気迫がなければ、越えられない壁が無数にあったということでもあろう。こうした中核メンバーに少し遅れて生まれてきた俊才の一人が、1847年生まれの大槻文彦であった。この年齢では、維新の大変動に関与はしても中心的な役割は担ってはいない。1867年に慶喜が大政奉還した際にも、仙台藩主の代行として京都へ上っているが役割はあくまで補佐であった。翌年には鳥羽伏見の戦いが新旧勢力の間で始まったものの、仙台藩はこれに直接に加わってはいなかったが、若い文彦は戦場にあって諜報活動のような役割を果たしていたらしい。薩長を中心とする新政府は、さらに東へ軍を進めて4月には江戸城が開城される。“文彦は大童信太夫の指示で京の町をかけまわっている。京案内の地図で地理もおおよそのみこんだ。「藩の国事に奔走する者の最年少者」であることが、文彦の自負心にこころよかった。同時に、この時勢を、ことに町の様子を、できるだけ落着いてみようとする冷静さがある。”“つい眠っていた。妙な衝撃音で目をあけると、すっかり太陽が傾いている。つづいて猛烈な砲声が次から次に響いた。鳥羽の薩長軍が、いつのまにか鳥羽街道にあらわれていた幕軍に、一斉砲撃をし..
読後の感想
田二谷正純
2013-02-05T23:34:46+09:00
「言葉の海へ」高田宏、新潮文庫、昭和59年 を読んで
先に大槻文彦という明治の巨人、日本の言語を辞書という形で構築した最初の人として紹介した 。そのときは、言海という大辞書の“おくがき”を材料として先人の偉大なる功績について論じたが、ここに導いてくれたのは、高田宏氏の「言葉の海へ」という作品であった。辞書作成の着手から完成にいたる労苦は、文彦の執念とともに、“おくがき”に書き込まれており、「言葉の海へ」でもそれにしたがっている。この作品はむしろ、そこに至るプロセスと時代背景を詳細に書き加えることで、文彦が17年間という途方もない労苦へ突き進んだ理由を浮かびあがらせている。
日本は明治維新という特殊な国家変革プロセスを経、極めて短期間で西欧列強を追いかける体制を整えたが、その中核になったのは、諸藩選り抜きの若手下級武士である。生まれた年の順に、主要人物をあげると、西郷隆盛(1828年)、大久保利通(1830年)、吉田松陰(1830年)、木戸孝允(1833年)、坂本竜馬(1836年)、大隈重信(1838年)、高杉晋作(1839年)。徳川から明治に移り変わる時点では、ほぼ30代、大隈と高杉に至っては未だ20代であった。若い世代のエネルギーと気迫がなければ、越えられない壁が無数にあったということでもあろう。
こうした中核メンバーに少し遅れて生まれてきた俊才の一人が、1847年生まれの大槻文彦であった。この年齢では、維新の大変動に関与はしても中心的な役割は担ってはいない。1867年に慶喜が大政奉還した際にも、仙台藩主の代行として京都へ上っているが役割はあくまで補佐であった。翌年には鳥羽伏見の戦いが新旧勢力の間で始まったものの、仙台藩はこれに直接に加わってはいなかったが、若い文彦は戦場にあって諜報活動のような役割を果たしていたらしい。薩長を中心とする新政府は、さらに東へ軍を進めて4月には江戸城が開城される。
“文彦は大童信太夫の指示で京の町をかけまわっている。京案内の地図で地理もおおよそのみこんだ。「藩の国事に奔走する者の最年少者」であることが、文彦の自負心にこころよかった。同時に、この時勢を、ことに町の様子を、できるだけ落着いてみようとする冷静さがある。 ”
“つい眠っていた。妙な衝撃音で目をあけると、すっかり太陽が傾いている。つづいて猛烈な砲声が次から次に響いた。鳥羽の薩長軍が、いつのまにか鳥羽街道にあらわれていた幕軍に、一斉砲撃をしていた。しばらくすると、伏見のほうからも、川向うの街道の幕軍に砲撃を開始した。戊辰戦争の始まりだったのだ。その夜じゅう、文彦は戦場を歩きまわっていた。これが戦争というものだ。何もかも見ておかねばならぬ。 ”
仙台藩、会津藩など東北の諸藩は、新政府に対峙すべく列藩同盟を結ぶのだが、薩長中心の勢いを押さえることはできず次々に敗れ去り、朝敵として責任を徹底的に追及されることとなった。仙台藩でも重臣が多数処刑され、文彦の父である大槻盤渓も、新政府への対抗を指導した論客として禁固に処せられている。文彦は父親の助命嘆願を新政府に対して繰り返し繰り返し行い、その結果としてか、磐渓は処刑されることなく、やがて獄を解かれ自由な立場を手にいれている。
これだけ激しい新旧勢力の拮抗が戦争という形で進められていたにも関わらず、明治維新は旧勢力すなわち幕臣を排除せず、その中からも多くの登用を進めた。西洋列強に伍するためにまず時間が足りない、人の手がない。なにより旧体制の下で育ってきた地方の俊才を、即戦力として新政府に投入できれば、なによりの強化策となりうる。大槻文彦も旧幕臣であったにもかかわらず、その能力を高く評価されて新政府で文部省に採用されている。その3年後には、当時の文部省報告課長・西村茂樹から国語辞書の編纂を命じられることになる。これが、大いなる「言海」への出発であった。
明治維新と東北といえば、1月から大河ドラマの始まった「八重の桜」だが、主人公の山本八重は1845年生まれで大槻文彦よりほんの少し年上である。維新の動乱の中で、どこかで出会いはあったかもしれないが、残念ながら記録には残ってはいない。怒涛の明治維新の中で、二人はおそらく出会うこともなく、自らが選んだ役割を全力で果たしていったのだろう。時代の激しい流れに翻弄されながらも、同時代の東北人として、教育という共通の分野において、日本の骨格を形成する大きな事業を成し遂げたということに間違いはない。「八重の桜」をさらに興味深く鑑賞するためにも、ぜひ「言葉の海へ」を一読されることをお勧めする。(残念ながら現時点では廃刊中なので図書館にてどうぞ)
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