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つながりをキュレーションが紡ぐとき [読後の感想]

「キュレーションの時代」佐々木俊尚著、ちくま新書、を読んで

新聞・TVなどのレガシーな集団・勢力が、ソーシャル化というパラダイムシフトの中で大きく変容しつつある。既存のメディアはあってもっよいが、自分には不要だと断言する人さえいる。同じことしか語らない、異様に均質なメディアに存在価値はないという意見もある。そうした騒然とした雰囲気に振り回されず、落ち着いた視点を維持している佐々木氏の言説には常に注目している。信頼しうる情報発信者は、この混沌とした時代にとってかけがえのない宝である。

さて、氏の新しい著作だが、とにかく魅力的だ。引き込まれる。これからの時代に最も必要なのがキュレーションという機能。簡単にまとめるとそれだけなのに、読み物としてとても面白い。どこがどのようにというのは、読んだ人にしかわからないというのが説明になるような感覚。この本については、すでに多くの人によって評が重ねられているので、内容の詳細に踏み込むことは避けたいと思う。腑に落ちるかどうかはあなたしだいということだ。

キュレーション(Curation) 無数の情報の中から、自分の価値観や世界観に基づいて情報を拾い上げ、そこに新たな意味を与え、そして多くの人と共有すること。

キュレーターという役割が最も知られているのはやはり美術館ではないだろうか。展覧会を催すときに企画責任者として関わり、最初に全体の柱となるシナリオを構成する。そのシナリオに沿って作家とその作品を選び、さらに展示方法を考案する。映画でいう総製作者と監督を合わせたような機能かもしれない。作家や作品がそれぞれに持っている経緯や歴史的な意味、時間と空間の関係性をも含めて観客に提示する。キュレーターによって意味づけが明瞭になされることで作品が持つ深い背景が浮かび上がり、得られる感動の質を一層高めることになる。佐々木氏が述べているように、「見慣れた絵が違う姿に見えてくる」のだ。誰かに導かれない限り、決して目から鱗は落ちない。ある明瞭な視座を持った人だけが導きをあたえることができる。

いまがソーシャル・メディアの黎明期といってよいかはわからないが、情報のやりとりのほとんどがトップダウンであった時代は間違いなく終焉したといってよいだろう。ソーシャルなつながりに加わる人が限りなく増え続けているのは、それが便利だからという単純な理由だけでは決してない。情報を持っていることや情報を発信することだけに意味があるのではない。情報が次々につながり、共有され、結果として新たな意味づけを獲得していき、それがさらに次の連鎖を生み出す。これが世界中で同時にしかも爆発的に起こっているように感じている。

佐々木氏の今回の著書は、決して予言の書ではないが、この分野がこれからどの方向に進んでいくかを考察するときには欠かせない一冊だと思う。しかも変わりつつある時代を第三者として眺めるというより、そこでどのような態度を持つのかをはっきりと問いかける。ただ眺めているだけでもよいが、本当にそれだけでよいのかと。

この本が発売後かなりの売れ行きを見せていることに、正直、安堵している。ノウハウ本でもなんでもないこの類の著作が、実はしっかり評価されることは決して悪い兆しではないように思う。

これはと思う若い人に、この本を薦めようと思っている。そしてどう感じたかを聞いてみたい。

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