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しあわせ運べるように - 神戸から東北へ - [新聞記事]

ruminarie.jpg地震にも負けない 強い心をもって
亡くなった方々のぶんも 毎日を大切に生きてゆこう
傷ついた神戸を 元の姿にもどそう
支え合う心と明日への 希望を胸に
響きわたれぼくたちの歌 生まれ変わる神戸のまちに
届けたいわたしたちの歌 しあわせ運べるように

地震にも負けない 強い絆をつくり
亡くなった方々のぶんも 毎日を大切に生きてゆこう
傷ついた神戸を 元の姿にもどそう
やさしい春の光のような 未来を夢み
響きわたれぼくたちの歌 生まれ変わる神戸のまちに
届けたいわたしたちの歌 しあわせ運べるように
届けたいわたしたちの歌 しあわせ運べるように
「しあわせ運べるように」 作詞・作曲 臼井真

東京でこの曲を知っている人は少ないかもしれない。1995年1月17日の神戸の震災の直後に、当時神戸市立吾妻小学校の臼井先生が作詞作曲したもの。被災地では心打つ歌として早くからラジオや口コミで広がっており、音楽会などで少しづつ取り上げられるようになっていた。震災の年の暮れに、ルミナリエという神戸の夢のひかりプロジェクトで、神戸の復興を祈ろうという催しのオープニングに、港島小学校の生徒によってこの曲が歌われたことと、1月17日の追悼式で鎮魂の曲として歌われたことで、神戸以外でも知られるようになった。その後もルミナリエでは、港島小学校の生徒による合唱がオープニングで使われており、今では“ルミナリエの曲”としても知られるようになっている。

作者の臼井真さんは、その日も東灘の自宅にいたが、毎朝行っていた早朝練習のため二階に上がったところで地震に襲われ自宅の一階がぺちゃんこに崩壊したものの幸い無事であった。そして震災から二週間になろうとしていたとき、避難先の親類宅のテレビに三宮のビル解体の映像を目にした。初めて自分が育った三宮の様子を知り絶句した。胸が詰まり、たまらずそこら辺にあった紙と鉛筆を手にし走り書きした。歌が降ってきたという。

「みんなの思いを先生が曲にしてつくったんだよ」って、初めてこの曲を音とりをしたときに40人のこどもたちがピアノのまわりで、涙をこぼして歌ってくれました。そのときの姿を見たときに、自分の命が助かったのは、もしかしたらこの曲をつくるためだったのかもしれないなと思えた、清らかな瞬間でした。
2010年1月23日開催の神戸学校:臼井 真さん(市立明親小学校教諭)「歌に託した未来へのメッセージ」より引用

16年前に私の家族は、私の仕事の関係でたまたま神戸のポートアイランドに住んでいたために、地震の被災者でもあった。(といってもケガもなく食料にも不自由はしなかったのだが)そしてあの曲を早くから耳にし、いつか口ずさむようになっていた。音楽の力ってすごいなと思いながら。当時港島小学校の4年生だった娘は、その冬のルミナリエの点灯式の合唱隊にも入っており、今でも彼女の神戸での大きな思い出の一つになっているようだ。

その歌がこんどは東北の地にそして仙台にバトンタッチされている。昨日(7月28日)の読売新聞によれば、仙台市に支援に入っていた神戸市職員からこの歌のことが伝えられ拡がるきっかけになったとされ、また朝日新聞(7月11日)
によれば、仙台市立八軒中学の合唱部が交流のあった神戸市立玉津中学校から楽譜などが渡されたことによるとされている。おそらく複数のルートからこの歌が東北の各地に拡がっているというのが正しいのではないか。曲の詩は、神戸の地名が入っているので、東北に合わせて少し詩を変える(“神戸”が“ふるさと”に)ことで新しい生命を吹き込まれ、また強い絆を紡ぎながら歌い継がれることになったようだ。そしてこの「しあわせ運べるように」は、チャリティCDブックとなって発売される(7月25日)ことになった。

なお、八軒中学校によるこの曲はiTunesでも200円で購入することができる。

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