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団子坂奇譚 [公演を観て]

kiyomaro.jpg夢月亭清麿(むげつてい・きよまろ)の「D坂の散歩者」を聞く機会があった。
清麿師匠は新作落語の作家・演者として名が高いが、まさかネタおろしにめぐり合えるとは。
このネタは、江戸川乱歩への熱きオマージュともいえる作品で、「D坂の殺人事件」「屋根裏の散歩者」「人間椅子」「怪人二重面相」など乱歩の名作が金糸銀糸となって縦横に織り込まれており、大正ロマンの時代を彩った乱歩が、平成に蘇ったかの如き新しい興奮を与えてくれた。

団子坂は、千駄木の駅(このあたりを団子坂下という)から真西に向う上り坂。真東への上り坂は三崎坂という。明治の頃に菊人形小屋がこの坂に集まり評判となった。「自雷也もがまも枯れたり団子坂」と子規が詠んでいるように同時代の文人にもこの場所が好まれており、森鴎外はこの坂の上の高台に住んでいたらしい。夏目漱石も「三四郎」でこの場所をとりあげている。乱歩は、そうした時代から少し遅れた大正の初めころ、三重から上京し、兄弟とともに坂上に古本屋を開くという形でこの地と関わりを持つことになる。 地図はこちら

やがて乱歩は、その団子坂を舞台とする作品をその6年後に発表し、そこに初めて探偵明智小五郎が登場する。その作品が「D坂の殺人事件」。同じ年に「屋根裏の散歩者」も発表し乱歩の作家としての基盤がこのころに形成されたといってよいのだろう。

清麿師匠は、団子坂を乱歩に深い因縁のある特別な場所と位置づけ、そこから全体の構成を俯瞰したことで独特の世界観を生み出すことに成功した。乱歩が主要な作品を生み出し続けた原点としての団子坂に、はるかな時を経て、乱歩を慕う人が吸い寄せられるように集まりだすことで、街が化学反応を起こし変容していく様子を、虚実の境も見えぬ怪しげな物語としてどんどん進めていく。落語作家というより奇譚の語り部(ストーリーテラー)としての力が存分に発揮されている。これに練達の演者としての迫力が重なり合って、聴く者を怪しの深い闇に引きずりこむ。特にラストの夕闇の場面は、もうオチが見えているのに、ドキドキするほど印象的であった。

それにしても、ネタおろしの緊張は他に比べることのできないプレッシャーで、古典しかやらない落語家がつくづくうらやましいと清麿師匠が言っていたが、確かにぴりぴりとする緊張感は伝わってきた。触ると血の吹き出るようなとはこのことかと。それでも、この作品が繰り返し演じられていくうちには、少しづつ手が加えられて精度が増し、あるいはバリを削り取るように形が整えられていくのだろうか。そうした後の作品もぜひ見てみたいが、あの血の飛ぶような噺にはもう二度と会えないのだろう。それにしても幸運な時間だった。

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