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故郷に報いる [講演を聞いて]

「巨大水災害に関する国際フォーラム」2011年9月27日(於国際連合大学)で、立谷秀清相馬市長が「東日本大震災を経験して」という基調講演を行った。約30分の講演では、被災地の首長としての責務を果たすべく奮闘し続けている話しを直接に聴くことができた。その際のメモをもとにしてその概要をご紹介したい。

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相馬市は人口3万8千人の農業と漁業を主とする典型的な地方都市。

3.11の地震がありその9分後には対策本部を市の中に立ち上げた。まず消防団に対して、とにかく津波から市民を逃がせ、逃げるように誘導しろと指示した。団員は、このときこそ消防の仕事と命をかけて弱者を守ろうとした。襲いかかる巨大な津波を確認し、躊躇しながらも役目を果たすために踏みとどまって、結果呑み込まれた者もいた。団員の子どもが母が止めたこともあったが、彼らは向っていった。10人の団員が犠牲となり還ってはこなかった。市全体で、残念ながら400人の市民の命が失われた。多くの遺児がこうして生まれてしまった。

対策本部を立ち上げ、まず打つべき手を考えた。指示を次々に出した。倒壊状況の確認、生存者の確認、火災... 避難をしてもらったあとは、避難所で住民基本台帳と避難者との突合を確実に行った。これがないと次の手が打てない。最初は水が重要になる。スーパーに供出可能な水と食料品の在庫を確認する。

次々に指示を出し続けて、4回目の本部会議は12時を回った12日の午前3時になる。それでも、手がすべて打てているか、抜けていることはなかったか、さらに頭をしぼる。すぐに夜が明ける。凄惨な状況を前に足がすくんでいてはいけない。まずやることはなんだ。毛布の備蓄が700枚しかなく、避難者に届かない。すぐに市内に毛布提供カンパを呼びかける。市内でも、被災の少ない地区であれば、空きアパートや空き住宅を手配できれば仮住まいに使えるだろう。仮設住宅を設けられそうな場所を想定し、県と協議を始める。瓦礫の山と化した街を立て直すために、まず撤去して復旧のための道路確保だが、さて重機は手配できるか。市内の建設業者に問い合わせる。

被災して体一つで逃げてしまった市民に、とりあえず必要な現金をわたそう。ひとり3万円ではどうか。しばらくして支援金を配ることができるようになったが、これは副次的な効果もあった。支給時に結果として生存確認ができる。住民基本台帳との突合が進む。

さらに時間が経過していくと、市民の心のケアが課題となる。とくに、経済的に自殺に追い込まれるケースと児童のPTSDに着目し、これをなんとか救うための対策チームを臨床心理士などを加えて立ち上げた。

震災で親を失った孤児の総数は51名。そのすべてに毎月3万円を18歳まで支給する教育義援金を募ったところたちまち全国から協力をいただきその必要な総額の確保はできた。さらに上積みの基金は大学まで進もうとする者への支援に回そうと考えている。

相馬は福島県の中ではセシウムなどの放射線の状況が深刻ではないが、ホットスポットなど除染に早く着手するなどで不安を取り除かなければならない。プロジェクトチームを編成してこの対策にあたっている。住民の不安をとにかく軽減させること。親の不安が子に伝染する。検査を繰り返し、必要な場所の除染を徹底し不安を消し去ること。子どもたちに不安を与えるようなことがあってはならない。

まだまだやらなければならないことがあるが、国の動きがどうとかできない言い訳をしていても始まらない。基礎自治体さらにいえば地方政府として自分たちのことは自分たちでやらなければならない。目指すのは、子どもは健やかに育つこと、老人は安心して暮らせること、壮年は今後の人生の再設計ができること。しかし、新しい地域づくりは相馬だけではできない。国の力、世界の力、社会の力を借りなければならない。そのためにも被災から復興への進捗状況を支援していただく方と共有していきたい。首長として故郷に報いるのは、相馬市を復興させること。皆さんの友情をいただき進めたい。

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