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災害への備えは不要か [雑誌記事]

社会安全研究会インタビュー「社会安全哲学の構築に向けて」中村英夫:東京都市大学総長、土木学会誌 vol.97 no.5 May 2012 より

「これまで日本は海外から『防災先進国』だという評価を受けてきました。そうした評価と今回の現状(東日本大震災)をどうとらえていますか」という問いに対して、土木だけでなくわが国を代表する賢人でもある中村先生は次のように述べられている。

「安全にかかわる事件、事故というのはきわめてまれにしか起こりません。・中略・そのため人びとは過去の災害を忘れ、対策を疎かにしていきます。・中略・そういう災害を忘れさせないようにするというのが、土木事業、防災事業にかかわる私たちの大変大きな仕事だと思っています。・中略・関東大震災のことですら多くの人びとは忘れています。僕らはその大震災を忘れず、この事業はいずれは来る災害対策のために必要なのだということを叫ばなければなりません。『土木の連中は自分たちの仕事を増やしたいがためにそそのように言っているのだ』という人もいるようですが、それに抗して、必要性を常に示していくのが、僕らの大事な仕事と思っています。」

土木の仕事がここまで貶められてきたのは、いったい何がそうさせたのだろうと改めて思う。中村先生が指摘しておられるように、土木屋は自分の食い扶持を稼ぐためだけに仕事を作り、無用な橋や道路やダムを日本中に増殖させていると言いつづけられて来た。周りを振り返れば、「コンクリートから人へ」と言いつのる勢力が依然として幅を利かせており、土木屋の窮状は大きくは変わっていないようにみえる。

広く知られるように、わが国は1995年頃よりGDPの伸びが止まり、税収が減少し続ける中で、少子化と高齢化による社会保障費の増大を賄うために、公共投資、教育研究、防衛費などが圧縮され続けてきた。年を追って厳しさを増す財政状況の中で、不要な公共投資を削減すべきという意見が勢いを得、やがては公共投資(土木)イコール悪という構図がいつか定着してしまっていた。国会でも、猿や猪しかいないところに高速道路を設けることは政策として誤りであり、それに投じる税金こそ福祉と雇用に回すべきといった議論が真面目に行なわれていた。

しかし、この20年間で世界の状況は大きく変貌している。わが国が公共投資を削り続けている間、EUでも北米でも自国の競争力強化と雇用確保のためインフラ投資を増強し続けてきたのだ。例えば、EUは1993年に58,000キロの道路計画を立てていたが、20年後の2004年の新しい計画では5割り増しの89,500キロに拡大している。これに対してわが国は、1987年の四全総で道路計画を14,000キロと定めたものの、25年を経過した現在までその計画はそのまま据え置かれている。さらには無用な道路を作り続けているのではないかという議論が続いているのが現状である。

中村先生は、また次のようにも述べておられる。
「日本は防災事業のニーズが極端に大きい国です。そこは他の国との大きな違いです。それは私たちの宿命です。日本は美しく豊かな自然を持つ素晴らしい国土です。しかし自然災害は多く、常に私たちはこれを意識し、多くの防災対策を施さなければならないのです。・中略・災害の恐れのない欧米諸国の人びとより何割かは余分に投資し、その分働くことが必要でしょう。それでなければ彼らに負けない生活を謳歌することはできないのです。・中略・防災事業には多くの費用も時間も必要です。目先のことだけを見れば不要という意見も多く出ます。しかし、この国土に住む以上は、間違いなく必要です。大きな防災投資が必要のない国の人びとに比べて私たちはより多く勉強し、働かなければならないのです。」

わが国は、地震や津波や洪水などの様々な災害に傷つくことが他の先進国と比べて際立って多い。そしてそのことが、変化に富んだ多様な文化を醸成し、日本の国土が世界のどこにもない独特の美しさを保ち続けさせているということを、3.11を体験し改めて理解できたように感じている。だからこそ、そのハンディを克服するという宿命を背負い、我々は生きていくしかないという中村先生の深い洞察には強く共感できる。



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