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居酒屋のことをイギリスでは [論文を読んで]

「身近なパブリックを支える社会基盤の構築を」中井 祐 東京大学大学院教授、土木学会論説2012.8を読んで

イギリスでは、たしかに大衆酒場のことをパブリック・ハウスという。中井氏が指摘するように、このパブリックという語の用法には違和感があった。日本語でパブリックを公共と訳しているとすると、パブリック・ハウスは「公共酒場」となり、あたかも官営の居酒屋のようなニュアンスを持ってしまう。きっとそういう場所では、お上や政府の悪口を言うことは許されず、それでは酒の味もきっとまずいにちがいない。それでは、もう少し緩やかに「国民」とか「市民」とかのこと、すなわち不特定大多数のことかというとそうでもないという。そういう一般論としてぼんやりした概念ではなく、もっと具体的に「オレたち」という特定多数で共有する価値のこと、コモンのイメージに近いという。

こう説明されても、まだなんとなくしか理解できないのだが、“われわれが「公共」だと思っていることは、明治以来の中央集権的近代国家の成立発展と市民社会の発達という文脈のなかで形作られてきた概念にすぎない、 ・・ 「国家=官=公共」という図式における公共であり、それは個人=民=私との二項対立的関係を含んでいる“ ・・中略・・ “土木には、基本的に公共(=官=国家)に奉仕することが本義であり、公共への大義を通すことを、個々の私にたいする具体の貢献よりも上位の目的に置く、という暗黙の前提あるいは精神構造がある。”
とまで言われると、なるほどそうかもしれないと思ってしまう。

中井氏は、こうした日本の近代化の流れの中での公共、とくに土木分野での公共の果たした役割、豊かで安全な社会の形成など、を否定してはおらず、むしろその功は大であったと認めている。しかしその一方で、地方中小都市の不振、中心市街地の空洞化、地域コミュニティの機能不全、持続困難な農林漁業など、各地各所で深刻な問題を抱えたままであり、これらは「公共」と「私」への極端な分化が進んでいることの表出だと指摘してもいる。

”公共と私の中間にある領域というべき空間スケールで現象する問題群にたいして、従来の土木はほぼ無関心であったし、いまでも土木の問題として当事者意識をもって論じられることはあまりない“
そして、この中間領域の劣化にたいして、その解決に正面から取り組むべきであるとして次のように述べている。

“不特定多数ではなく、特定多数で共有し、個への具体的な還元が日常的に実感できるような価値、すなわちそれぞれの地域や町における共同体としての日常生活を価値づけるような身近なパブリック(=コモン)の修復あるいは再構築である”
いま必要なのはパブリックの修復であると言われても、残念ながらすぐには腑に落ちない。これは、小生が長い間「お上」の仕事に関わっていたことによる性癖によるものかもしれない。あるいは、公共に対する積年の不信がなせるわざかも。

かの国のパブのように、「オレたち」という共有価値を議論のまんなかに置けるようになるには、はたしてどれだけの時間が必要になるのだろうか。



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