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蕙斎の江戸一目図 [新聞記事]

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ようやく待っていたものが届いた。
津山藩のお抱え絵師であった鍬形蕙斎(くわがたけいさい)が、今から200年前に描いた江戸の鳥瞰図、「江戸一目図」のミニチュアとその解説書「江戸一目図を歩く」である。

蕙斎作「一目図」の存在を知ったのは、4月5日付け日本経済新聞の文化欄、「200年前の江戸をナビ」尾島治氏:津山郷土博物館長による。実は、東京スカイツリーの展望デッキに大きな屏風絵(レプリカ)として開業時から展示されている、らしい。というのも、未だ完成後に登ったことがなく、こうした話題についていけていない。またひとつ大きな宿題が出てきてしまったということか。

蕙斎が二百年前に描いた絵が、スカイツリーの展望台からの眺めと寸分違わない。それではまるで、蕙斎がタイムトラベラーであるかのような話だが、しかし偶然にしても不思議な話ではないか。江戸に住む町絵師として、津山藩にその技量を高く評価されてお抱え絵師となった蕙斎の傑作であることは間違いはない。

現在の東京駅の八重洲側にあった津山藩邸を絵のほぼ中央やや下に置き、江戸城と富士山を絵の上部に配し、隅田川を絵の底辺に据え、海(江戸湾)を絵の左に配すると、結果として視点が江戸の西の端の上空になったということであろう。絵には亀戸天神も含まれているので、視位置がスカイツリーでは、やや無理があるのだが、そのあたりはご愛嬌。そもそも蕙斎の描く一目図は、空間をかなり歪めて地図の「ようなもの」を創り出したもので、あまり現実との整合に目くじらを立ててもしょうがないともいえる。

興味深いのは、蕙斎の一目図がスカイツリーにレプリカとして展示されることが決まってからはじめて絵の中に描かれている地物の同定が進められたということだ。確かに絵はあまりに大部でかつ細かいために同定作業は容易ではなかったらしい。津山郷土博物館では、それまで273ヶ所までは特定されていた地物同定を、このレプリカ展示に合わせて倍以上の600ヶ所にまで増やしてきたそうだ。この精密な作業によって一目図の歴史的な価値がいっそう高まったことは疑いない。

それにしても蕙斎の絵で驚くのは、200年前の江戸の暮らしが簡略な線で生き生きと描かれていることである。6枚にも及ぶ巨大な絵の中に、通りの商いの賑わいや、小船による川漁の様子など、江戸の町に生きる人々のざわめきが聞こえてきそうな描写がそこにはある。つまりこれは、詳細な航空写真でもなければ地図でもない、江戸の町を200年前の時間とともに切り取ったものなのだ。

手元に届いた、一目図の解説書とミニチュアを繰り返し見るたび、宿題が気になる。まずはスカイツリーの展望台に行かねばならない。そしてその次は、津山市にある一目図の現物との対面であろう。いつかは岡山に行かなければなるまい。



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