SSブログ

「とんでもない」が世界を救う [読後の感想]

Polarlicht_2.jpg「知的創造の技術」赤祖父俊一、日本経済新聞出版社 を読んで

赤祖父氏は世界的なオーロラ研究の権威。東北大学からアラスカ大学に進み、長くオーロラの成因の解明に携わってこられた。最近では「正しく知る地球温暖化―誤った地球温暖化論に惑わされないために」という本などで、温暖化対策に正面から疑問を呈するなど、物言う大御所として知られるようになっているようだ。

その赤祖父氏が、長い科学者としての実績と経験をもとにした「知的創造」のエッセンスを、専門家ではない一般の読者向けに解説したものと期待して読むと、多いに肩透かしをくらうことになる。とにかく、このタイトルは変というか、本の内容をほとんど正しく表していない。なぜこのような堅苦しい、しかも手に取りにくい題を与えてしまったのか、きわめて不可解である。

隆盛と衰退は避けられない。企業も、産業も、国さえも盛衰を繰り返すことは歴史の教えるところである。氏はこれに対し、“盛衰の流れを阻止しなくてはならないと主張しているのではなく、むしろ流れに積極的に立ち向かっていく、そのために必要な創造と革新を進めるにはどうしたらよいかということを述べるのが本書の目的である” と明確に示している。氏はこの「創造」について、トインビーの、“文明の自動化(効率化)は人間の奴隷化を伴い、創造性が失われていくことが国の衰退を招く” という言を引きながら、それではどうすべきかという点に踏み込んでいる。

欧米あるいは日本でも、創造あるいは革新の重要性については多く指摘されながら、具体的にどうすればよいかについては詳しく論じられていないのは、「創造」の定義を知らないからだと厳しく断じている。すなわち、まず創造とは無から有を生み出すことという固定観念を捨てなければならないという。

創造とはすでに存在する2つ、または、それ以上のものを統合すること
この定義は、もともと科学哲学の定義だそうだが、学問はもちろん、芸術や政治にさえ当てはまるという。この世に生まれる新しいことは、すべて古いものの組み合わせにすぎないというのは重要な認識であろう。

科学における大きな進歩は、困難な問題において突破口を発見することであるが、科学創造とは「2つまたはそれ以上の事実または理論を統合すること」であり、企業における新製品の創造と、その定義は全く同じである。そう述べると、現在止まることなく狭い分野に専門化していく科学の世界では当惑する専門家が多いと思うが、当惑すること自体、「科学をする」ということの本質を理解していないことによる。

研究者が専門知識の詰め込みに精一杯で、創造とはかけ離れてしまっているとの指摘だ。さらに創造を具体化するためには大きな難関が待ち受けている。それは、常識になっていることからかけ離れて、常識はずれの「とんでもない」を生み出すことであるという。

「とんでもない」ことを「とんでもある」ことにする

問題が現在のすでに確立されている知識の延長線上にあると考えるため、教科書的例題解法しか頭に浮かばないこと、あるいは既成概念や過去の成功体験から新しい組み合わせが奇異に思え、簡単に受け入れられないことなどが大きな障壁となって「創造」と「革新」の実現をはばむという。それまで、常識と考えられていたことを打ち破るというのは勇ましいが、当然にすぐには受け入れられない。とんでもないとしか表現のしようがないということであろう。しかし、氏はこの反応が大事だともいう。直ちに「なるほど」と受け入れられるものは実は常識的な解であり、創造でもなんでもないかもしれない。したがって、「とんでもない」と言われたときは、提案者はむしろしめたと思ってよい場合があるとも述べている。

この創造のプロセスを氏は「猫のパズル」という話で説明する。最初は猫のパズルと思って試行錯誤していると、どうしてもパズルに合わないピースが見つかったとする。この時の対処として、(1)解いているパズルは猫なので、間違って紛れ込んだピースとして捨ててしまう、(2)そのピースは猫のパズルの一部であることは間違いないので、歪みが生じたか欠けてしまったか、とにかく解決策を探す。(3)パズルそのものに疑問を向けて見直しているうちに、猫ではないピースを他にも見つけ出し、やがてパズルが猫ではなく犬のだったとわかる。真面目な人の多くは(2)にはまるのだが、避けなければいけないのは(1)で実はこれが最も罪深い。これを許すと千載一遇のチャンスをむざむざ捨てるという愚を犯すことになる。困難を克服するには、「とんでもない」と言われることにたじろがず、創造を手繰り寄せられるかにかかっている。

赤祖父氏はこの本のエピローグで、研究者の育成という点について次のように述べている。
科学は常に進歩する。進歩するということは、現在の知識が不十分であるか、誤っていたためである。言葉を換えて表現すれば、科学の知識は常に改革が必要であるということである。・・中略・・科学を進歩させるということは、観測や実験を基礎として、現在広く信じられている理論と合わないことを発見することである。

「とんでもない」が世界を救うのだ。




nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0

-

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。