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英語がペラペラでもバカはバカ、か [雑誌記事]

週刊朝日10月1日号の池田清彦氏(早稲田大学教授)のコラム"机上の放論"に、「英語がペラペラでもバカはバカ」という刺激的なタイトルの一文が載った。ユニクロや楽天が英語を社内の公用語にするという方針を打ち出したことに対する異論反論を池田さん風に突っ込んでいる。結論のポイントは、英語ができることと優秀であることには関係がなく、人間としての総合力とでもいうべきものが足りないままでは、仮に英語の能力に秀でていても価値があるはずがないということ。で、社内英語公用語化に走る企業の将来は暗い、とまで決め付けられるのはいかがなものか。

英語がそんなに偉いか!的な意見もまったく理解できないわけでもないし、そのとおりだとも思う面もあるのだが、それでもなお、ひっかかるところがある。うまく説明しにくいところなのだが、ひっかかったままでは気持ちが悪いので、少し考えをまとめてみたい。三木谷さんや柳井さんが池田先生の指摘する点を考慮せず、とにかく旗をぶち上げることに意味があり、社員も社会も引きずっていくしかないんだ!と「豪腕」しているわけではないと思うのだ。

英語社内公用語化のメディアでの取り上げられ方にまず問題がある。これまで楽天やユニクロでの英語公用化を取り上げるメディアの基本スタンスは、すべて懐疑的かつお手並み拝見モード。会議が全部英語って大変だねえ、その会社にいなくてよかったよ、という取材者の声が聞こえてきそうな内容のものしか見た記憶がない。さすがに池田先生のように、この会社ヤバイんじゃないの、とまでは言ってはなかったようだが..

否定的な雰囲気で紹介され、さらに大事なのは英語力などではなく、人の総合力だと断じられると、そうなんだよ人物が大切なんだよ、とすぐに納得してしまう。思考を停止するというか、付きまとっていた不安要素である英語力のことは即座に頭から消え去ってしまう。この「目標回避癖」とでも呼ぶべき悪習は、今や日本全体にはびこり、元気を根こそぎに奪う悪さをし続けていると感じる。不足するスキルを自ら加えることもせず、さらには子供たちには自由な教育をと叫んで、欠かしてはならない読み書きそろばんをぎゅうぎゅうと叩き込むことさえ避けるようになってしまった。

日本が世界の中で孤立して生きていくという道はないのだから、大事な読み書きそろばんの一つである英語にどう取り組むか、その「気構え」で会社の未来が決まると思う。まちがいない、これで行くんだと腹をくくっていれば、シニカルな意見などへでもないのだが...



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