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英国のサッカーに主審はいなかった [新聞記事]

「ルールが紳士を育む」岡田正義:日経2011年1月25日朝刊、スポートピアより

岡田正義氏といえば、98年のフランス・ワールドカップで日本人初の主審を務めるなど、日本サッカーの水準を高めることに大きな貢献をしたことで広く知られているが、昨年の暮れに審判としての現役を退くことが発表されている。岡田氏は、77年に初めて審判として笛を吹いて以来、33年間1600試合にかかわっており、単純計算でも年平均48回、ほぼ週一回のペースで試合をさばいてきたことになる。すごい、とにかく脱帽だ。

その岡田氏が、サッカーの審判の歴史について語っている。サッカーの歴史はいろいろな機会に紐解かれるが、審判の話しはあまり聞かないので、大変に興味深い。

1800年代の英国で、フェアプレーを身につける紳士教育の一貫としてフットボール(日本ではサッカーと呼ぶ)が、パブリックスクール(英国の上流階級の子弟が通う中高一貫の私立校で公立高校ではない。イートン校などが有名)において採用されるようになったが、最初は学校によってルールが異なっていた。最も大きな差異は「手」を使ってよいか否かであったらしい。やがてゲームの普及に伴って対外試合が増加すると、ルールをそのつど決めるのを避けるために、共通ルールの必要性が浮上し、1846年にケンブリッジ大の提案したルールが採用されるに至った。その後、「手を使う」ルールを主張するグループが1863年に離脱(ラグビーとなる)し、現在のルールの原型が固まった。

このルールには、驚くべきことに、試合には不可欠なはずの主審(レフェリー)が存在しない。当時は、スポーツを英国における紳士教育の一貫として位置づけていたために、ルールは選手を縛るものではなく、選手が楽しく安全に公平に、思う存分試合をするためにあると考えられ、選手の自律性に重きを置いていたことによる。なにより、フェアプレー精神が生きており、ルール順守が当然で、仮に反則があっても故意ではないと看過された。試合では、双方のチームから一人づつ出たアンパイアが「つえ」を振りながら進められた。(ここでいうアンパイアとは、ゲームの進行中にルールが守られているかどうかを判定する役割のことであり、レフェリーがゲームをコントロールする権限を持つことと大きく異なる)

主審不要という考え方は、勝ち負けに拘泥するのではなく、あくまで「紳士」としてふるまえということで、建前に過ぎるともいえるが、一方ではパブリックスクールはスパルタ教育だったらしいので、上流階級特有の「のどかな」息抜きとして考えていたのかもしれない。

しかし、サッカーがルールの整備と共に急速に広がっていく中で、そんなのんきなことを言ってばかりもいられなくなる。きっかけの一つは英国対スコットランドの国対国の試合が開催されたことで、サッカーというゲームが大衆の大きな支持を得るようになり、そこで名誉だけでなく名声やさらには富さえも得られるようになった。当然、ゲームの結果にこだわるようになり、意図的な違反が続出(そりゃあそうだろう)、判定もえこひいきの文句がつけられるなど収拾がつかなくなったため、まずアンパイアを中立の立場から選ぶようになり、さらにはピッチ外にも判定を下すレフェリーを置くようになった。

さらに1890年になると、アンパイアはつえを旗に変えてタッチライン際に立ち、レフェリーは笛と手帳と時計を持ってピッチに入る現在に近い形が整った。プレイヤーの自律を重んじる考え方から、ゲームをコントロールする、すなわち白黒を決する権限を持つレフェリーに大きく比重が移ったのは、ある意味では現実的なルール変更ではあるが、一方では初期のフェアプレー精神が徐々に希薄化したことに対する止むを得ない妥協策であったともいえる。

ちなみに、JFA(日本サッカー協会)によれば、フェアプレーとは、
1.ルールを正確に理解し、守る
2.ルールの精神:安全・公平・喜び
3.レフェリーに敬意を払う(レフェリーはルールに従って公平に競技ができるために「頼んだ」人である)
4.相手に敬意を払う(相手チームの選手は「敵」ではない、サッカーを楽しむ大切な「仲間」である)
とある。

岡田氏は最後に、「残念ながらルールを知らない選手は結構いる」と締めくくっている。

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