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ABCヤングリクエストしか知らない [雑誌記事]

「東京人」3月号:都市出版 特集<青春のラジオ深夜放送>を読んで

青春のラジオ深夜放送 夜のしじまに耳を傾けたあの頃。 世界には自分ひとりではなく、 どこかで誰かと繋がっていると感じられたあの瞬間。 パーソナリティの声とラジオから流れてきた音楽に 元気づけられたあの夜。 青春時代の思い出が、当時の深夜放送とともに今、 よみがえる。

パックインミュージック(TBSラジオ)が67年8月、オールナイトニッポン(ニッポン放送)が同年10月、セイヤング(文化放送)が69年6月から始まり、たちまち若い世代の大きな支持を得た。それまでラジオの深夜枠というのは、誰がそんなもの聞くんだろう状態でほとんど放置されていたものを、受験勉強で遅くまで起きている若い世代なら耳を傾けてくれるかもしれないと考えたこと。これにテレビに簒奪されつつあるリスナーを取り戻そうとするラジオ側の新しい試みとして、トップダウンの通知型放送からディスクジョッキーという聴取者に語りかけるスタイルを採用する動きが重なったものと思われる。

そんな裏側での目論見など知るはずもなく、中学で高校受験の勉強を(たぶん)していた時に、なぜか深夜放送と出会った。友人か誰かに教えてもらったのではなく、思いがけず出会ったのだ。有り余る深夜の時間帯を持て余し(勉強しろよ)、もちろん当時はインターネットも何もないので、手許のトランジスタ(真空管ではない)ラジオをスキャン(なんて言葉も概念もなかったが)すると、地元の東北放送、第一第二のNHKの他にかなり遠くの局が意外にもはっきりと聞くことができることがわかってきた。

小学校まで金沢にいたのでMRO(北陸放送)を探したが、これは電波が弱いのか雑音の向こうでうまく聞き取れない。いろいろ探すうちに関東の3局(TBS、文化、ニッポン)と関西の3局(ABC,MBS,ラジオ関西)が他に比べてかなりはっきりと聞けることがわかってきた。65年には他の局に先駆けて文化放送が土井まさるを起用して「真夜中のリクエストコーナー」を始めているのだが、なぜかほとんど記憶にない。聞いたことはあるのだが、ディスクジョッキーというあやしげな仕組みにまだなじめなかったのではないだろうか。

大阪の朝日放送(ABC)は、文化放送の土井まさるの成功を知って、関東より早く66年の4月から深夜放送を開始した。これがABCヤングリクエストである。開始は11時10分、おそらく11時のニュースの後だったのではないか。リスナーからのハガキによる曲のリクエストをもとに組み立てられた番組で、男性の局アナに女性のアシスタントがつく形式。リスナーの声をできるだけ丁寧に取り上げていくことに力点をおいていた。また、番組の進行は局アナがリードすることもあり、後の深夜放送に比べれば淡々と進められることを特徴としていた。

自力でこの番組を発見し、そしてみごとに“はまって”しまった。これをほとんど毎日聞くのが習慣になった。仙台の中学生ではほとんど知らない新しい曲や若い世代で話題になっていることなどが深夜のラジオからどんどん流れてくる。これがうれしかった、自分だけが知っているというのは何物にも例えようのない喜びだった。しかしあまりに新しすぎて、その話題を学校に持っていっても受けないことのほうが多かったような気もするが。ちなみに、67年の11月に関西から突然登場した「帰ってきたヨッパライ」はオールナイトニッポンでヘビーローテーションされる以前のかなり早い段階で聞いていた。すごい衝撃だったがメディアで消費されるとともに興味を失った。

その翌年(高校1年)にパックインミュージックやオールナイトニッポンが始まって、学校でも、あれが面白いこれが好きだという話しが急速に広がった。そんなの全部知ってるよ、東京のどこがいいんだというのがこちらの切り札だったのだが、逆に習慣というのは恐ろしいもので、生活のベースはABCのヤンリクから切り替わらない。いつか各局を聞き散らかすような生活パターンになってしまう始末で、しばらくはあまり熱心な深夜族ではなくなっていた。

そんな個人的な経緯もあって、「東京人」の深夜放送特集の異様な(読むとよくわかる)盛り上がりには正直ついていけなかった。ちょうどナッチャコやカメ&アンコーがピークの時代に気持ち的にやや距離があったのが理由かもしれない。それぞれよく聞いていたし、面白いと感じてもいたのだが。

というわけで、個人史としての深夜放送は、やはりABCヤングリクエストだったと言ってよいだろう。オープニングのテーマソング「星があなたにささやく夜も、小窓に雨が降る夜も…」という奥村チヨの歌はいまでもはっきりと耳に残っているのだから。

このあと、ABCから離れ深夜放送を(流して楽しむのではなく)聞き込むようになるのは高校3年の後半からになる。とくに水曜深夜の北山修とそれに続く吉田拓郎には深く影響を受けた。70年前後の学生運動の大きな高まりとも深いところで繋がっているところもあったかもしれない。深夜放送とリクエストハガキというゆるやかな情報交流が、それまでなかった何かを生み出しているような感覚がそこにはあった。

いま深夜放送はおそらくその時代的な役割を終えている。様々なメディアが個人の持つ時間を奪い合う時代になった。なにかのきっかけから、新しい文化が形成され、大衆に広く支持され、華やかな隆盛を極めたあと表舞台から静かに去っていく。そんなひとつの事象の立ち上がりに、幸いにも立ち会えたのだ。

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