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大波、黒煙を立てて押し来る [読後の感想]

津波 -その発生から対策まで-
三好 寿、1977年、海洋出版株式会社、より
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“朝五つ半時ごろ、空俄かに鳴り渡り、雷かと疑い候程に候処、忽ち地震おびただしく、人家破損し、老若残らず家を出て、あい凌ぎ候処、程なく海中沸蕩致し、大船綱ふつと切れ、矢の如く飛び来たり、陸地へ押し上げ、海面一円、水煙霧のごとく立ち昇り、水音百雷の如くと見る内に、烟浪ともに納まり、暫時まを置き、再度には凡そ三間余もこれあるべしと見えたる大波、砲丸の飛ぶが如く、黒煙を立て押し来る。人家・土蔵・石壁の嫌いもなく、ひた押しに転倒致させ、実に百雷の如く鳴り渡り、男女の逃げ惑う声おびただしく、その恐ろしきこと譬えうるに物なしとも申すべしと、今に思い出で候ては、毛穴逆立ち候程のことに御座候、その一波にて、千有余の民家、悉く流失し、漸く五十軒程半壊、あるいは水入りなどにて、目も当てられぬ次第に御座候。”

これは、安政元年(1854年)12月23日に生じた大地震と津波の様子を下田奉行組頭黒川嘉兵衛が手紙に記録したものであり、150年以上前のことだが、突然津波に襲われたときの様子がわかる貴重な情報の一つだと考えられる。この地震は安政東海地震と呼ばれるもので、震源域は伊豆半島の東沖から紀伊半島沖に至る広い範囲であり、地震の規模を示すマグニチュードは8.4であったとされている。なお、この地震の翌日の12月24日には今度は四国沖から紀伊半島にかけて地震が発生しこれも広い範囲で大きな被害を生じている。この地震は安政南海地震と呼ばれている。マグニチュードは8.4であった。

津波の挙動については、その最大の被害国である日本において研究が進み、コンピュータによるシミュレーションが現象の理解や予測に大きな成果を挙げている。また、それらを防災の観点から詳しく最新の情報で解説した書籍も数多いのだが、はるか遠い昔に読んだこの本の存在が気になり、古い書棚を探しようやく見つけ出した。

この本の著者である三好氏は著名な海洋物理学者で、特に津波の分野に多くの研究業績があり、関連した著作も多いが、この本は学生の副読本として読まれることを想定したもののようだ。また日本において、過去繰り返し深刻な被害を生じてきた津波に対する一般の認識が薄く、対策もおざなりになっていることに対する警告の書としての役割も与えている。それでも34年も前に出版されたこの本を書棚の奥からあえて引っ張り出してきたのは、今回の震災の最大の特徴である津波とその被害について、幾つか確かめたいことがあったからである。

一つは、今回の巨大地震によって生じた津波が「想定外」という簡単な言葉ですべて括られてしまっていること。自然科学というのはそんなに無力だったのかという疑問を自分なりに確かめたかったこと。もう一つは、これからの防災を考える上で抜け落ちている視点がなかったかどうかを知りたいと思ったからだ。

三好氏がこの本の中で繰り返し述べているのは、“津波を伴う地震では、被害の主体は津波による”という重い経験則である。しかし、直下型の地震などでは津波を伴わないか,伴っても被害が軽微なケースが多いため、津波の恐ろしさを忘れやすいとも指摘している。その典型的な例は関東大震災であり、横浜と東京を中心として地震後の火災などで10万人を越える人命が奪われたために、実は相模湾岸を襲った津波で数百人の人命を奪っていたことが印象としては刻まれずにいる。この点が関東地方南部の防災上の盲点になっていると警鐘をならしている。

もう一つは、今回のように大地震が大津波を引き起こすというパターンばかりでなく、小地震なのに大津波というパターンもかなりあり、地震が軽微なためにかえって避難が遅れるなど対策が難しいことが多いとも指摘している。その代表例は、1774年の八重山津波であり、地震がマグニチュード7.4と小規模であり震害もほとんどなかったにもかかわらず、津波については史上最激甚といわれる被害を生じた。被害の中心となった石垣島といくつかの島だけで、1万2千人の人命が失われたのだ。この津波の痕跡調査の結果によると、海岸から水平距離で少なくとも3km近く内陸に侵入し、高さも最大で85m駆け上がった(津波の高さとは異なることに注意)とされている。また1896年の三陸大津波でも死者が2万7千人を越え、津波の駆け上がり高も50mであったにもかかわらず、地震そのもののマグニチュードは7.6で地震そのものによる被害は僅少であった。

三好氏は他にも深い洞察と物理学的検証によって津波の歴史から学ぶべき教訓を示しているが、これらの事実を頭に入れていれば、今回の津波が決して「想定外」などというレベルのものではなく、過去に地球上のどこかで繰り返し起きていたものと変わらないということがたやすく理解できる。

災害を想定するときに確率論から出発して、○百年に一回程度の出現を想定して対策工の規模(高さや重さなど)を決定するのはごくあたりまえの工学アプローチなのだが、今回の震災はそうした確率論的な基準の考え方を完膚なきまでに破壊してしまったように思う。生じる災害が人命にとって苛烈過ぎるときには、従来から用いられてきた手法では、実はなんの解決策も提示できていないことが万人の前に曝されてしまったのだ。

ハワイ島にあるヒロ市はホノルルに次ぐ第二の大きな街だが、他の街と異なり沖合いのサンゴ礁に守られていない島の北部に位置しているため、歴史上繰り返し北からの津波の被害を受けていた。湾奥にある“砂地には家を建てるな”という戒めが土着民の古くからの言い伝えであったにもかかわらず、時代の推移と共に新しい人々が低地に降りるようになり、大きな災害を被ったという。近年ではその教訓を生かし、被害を受けた海岸沿いの低地をほぼすべて公園として利用するようにしているようだが、街が海から退くことによる街の衰退を危惧する声も依然として根強いともいう。

今回の津波で大きな被害を受けた東北の街でもこれからヒロ市と同じような議論が始まるのだろうが、その時には津波の挙動の原点に立ち戻ることが他のなにより求められるように思う。その上で新しい街づくりを考えるべきだ。もう二度と「想定外」などと言わないために。

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