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消防法被を着けて [手紙を読んで]

相馬市長のメールマガジン4月4日号よりところどころ引用しました(青字)。
http://www.city.soma.fukushima.jp/0311_jishin/melma/20110404_melma.html

あの時に、家族を振り切って避難誘導に向かった団員たちのご遺体が、次々と消防法被姿で発見されるなか、長らく行方不明だった稲山分団長が無言の帰還を果たした。とても責任感の強い人だったから、最後まで住民避難に走り回ったのだろう。私に、郷土を想って殉職した怨霊の一分でものり移ってくれと念じ、クローゼットにあった消防法被を着けて執務することにした。

3月24日号の「ろう城」に続く立谷市長のメルマガである。相馬市は福島原発の強い影響範囲(と言われている)の少し北にあるため、例えば隣接する南相馬市よりは幾分か救われているところももあるのだろうが、地震から数週間、長期戦に入っている被災地で、地域の先頭に立つリーダーの生の声、悩みや苦しみがダイレクトに聞こえてくる。

災害対策は中期計画に入ってきた。短期対応は「救命」と「衣食住」だが、中期的な重点課題は「医職住育」。今回の相馬の場合「備える」を加えて「医職住育備」となる。災害発生から今日まで、救命と捜索、ライフライン、初期医療体制の確保、また原発騒動もあり困難だった食糧・物資獲得や放射能不安対応に専心した。領域が広範にわたる捜索はまだまだ続くが、ここに来て中期的な課題が急務となってきている。

医が最初に置いてあるところがいかにも医者でもある立谷市長らしい。この腹の据わりようはどうだ。東京から発言する多くの人たち(政治家を含む)の軽々しさと比べて、この重さはいったいどこからくるのだろう。人に興味があるか、モノに興味があるかの違いのような気もするが...

「医」はライフラインそのものだということも、また総合産業だということも今回わかった。災害医療だけでも膨大な経験をしたが、まだ最終的な医療体制を構築していないので、地域全体の将来設計も含めて今後慎重な議論が必要である。気が遠くなるほど道のりは遠いが、いずれまとめて報告したい。

立谷氏の自治体の首長としてのこうした経験が、やがて国を救うレベルに高く昇華してくれればと願うのは私だけだろうか。

今や物流はほぼ回復したが、基本的な食糧の備蓄は進めている。現在米は市民一人あたり4キロ、水は4リットルを備蓄した。味噌と梅干しも相当量集まったが、現在も貯蓄中である。前回のメルマガで、「米と梅干しと味噌さえあればろう城できる」と書いたが、十日たった今は多くの店がオープンした。呼び水になったのはローソン。新浪社長とはこの件ではじめて知り合ったが、お互い意気投合して相馬店の再開方法を何度も話し合った。積極的で企画力にあふれる彼が、ついに相馬店をオープンさせてくれた時は暗闇に明かりが灯る思いだった。

ローソンの新浪社長とのエピソードについては、いつかぜひ聞かせて欲しい。

中期的な課題解決は、同時に相馬市の将来像や相馬地方全体の復興ビジョンを視野に入れた長期計画の始まりでもある。この戦いがいつまで続くか計り知れないが、まだ始まったばかりであることは間違いない。

なお、相馬市を支援に訪れた小田原市加藤憲一市長の被災地レポートがここにある。市長のメルマガには出てこない、市長のド迫力が伝わってくる。その冒頭の部分を以下に引用する。

立谷市長は来客や打ち合わせが途切れないようで、忙しそうにしておられた。お元気そうで安心した。消防団の法被をまとわれ、陣頭指揮に当たっておられる。市長室の卓上には、和紙の巻紙と筆・硯。様々な礼状や依頼文を、筆で和紙にその場でしたためておられる。

いつまで続くかわからない長期戦、まさにエンドレス・ウォーがこれから、いやもう始まっている。がんばれ市長。

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