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浪分神社が教えるもの [新聞記事]

仙台で震災のことをいろいろ聞いた。まだまだ大変らしい。少しづつ状況が良くなってはいるが、いつまでこの緊張を維持できるか、誰にも答えられないという。街の中心街に人が戻りつつあるが、夕刻になると急に寂しさが繁華街を覆う。働く人の多くが家への足を早める。歓楽の声が聞こえるにはまだ仙台の街は暗い。桜がこんなに咲き誇っているのに。

若林区の霞目に「浪分け神社」があるという話しを友人に教えてもらった。はじめて聞いた、知らなかった。三陸の津波石と同じ、先人の警鐘碑であろう。河北新報の記事や、中日新聞の記事に詳しく紹介されている。しかも、これはさらに驚いたのだが、実は震災の2週間後に仙台に入り、若林区の津波の状況を歩いて見て回った際に、この神社へ立ち寄っていた。その時には、谷風の碑がこんなところにあるんだということしか記憶に残っていない。浪分け神社という名前も見たように思うがはっきりとはしていない。要するに、警鐘碑が仙台の街中にあるとは夢にも思っていなかったのだ。人の思い込みというのは恐ろしい、自らそのことを証明してしまったようだ。

21stones-articleLarge.jpg津波石と言えば、NewYorkTimesのこの記事でも紹介されていた。これは、岩手県宮古市の姉吉地区にあるもの。海岸線から離れた丘の中腹にある碑には、こう記されている。「ここより下に住まいを設けてはいけない」
つまり、津波はこの地点まで駆け上がってきたことがあるから、これを守らなければ地獄が待っているという警告である。3月11日の津波でも、姉吉でははこの伝承を守ってさらに高台に住んでいたため、津波の被害からは見事に免れたという。東北の三陸沿いの海岸には、こうした石碑が数多く残されているが、津波の来襲警告に加えて、住む場所にまで言及しているのはこの姉吉の津波石だけだそうだ。


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