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仙台復興の魁としての野球定期戦 [新聞記事]

旧制中学時代から、仙台では一中と二中のあらゆる領域における対抗意識は熾烈を極めており、新制高校になりそれぞれが仙台一高と仙台二高と変わっても長く維持されてきた。スポーツ活動でも、勉学でも活動のすべてを勝ち負けに結びつけ、競い合うことで互いにさらなる高みを競うことを、意識してか気づかずかは別として続けてきた。男子校らしい、純朴ともいえる競い合いが、東北大学を擁する学都仙台のアカデミックな雰囲気に書生っぽい青臭さを添えていたともいえるかもしれない。

高校に入学して最初のカルチャーショックは、定期戦の応援練習をひたすらやらされることだった。校庭の東側の土手に新入生全員が集められ、とにかく大声を上げさせられる、拍手をいつまでも続けさせられる。そして応援歌を完全に覚えこむまで練習が終わらない。こんなことを覚えるために高校に入ったのだろうかと、首をかしげるほどの一生懸命さがなかなか理解できなかったことをいまでも思い出す。弊衣破帽の応援団幹部の理不尽さに最初は随分とまどったが、もっと驚いたのは、先輩である2年生3年生が加わったときの迫力のすごさ。神業のように一糸乱れぬ拍手と応援歌。わ、これってみんな本気なんだ、とそのとき初めて思い知る。

そういえば、ぼくらのころの定期戦は今の宮城野原ではなく、評定河原の野球場でやっていた。確か、東北大の施設だったと思うが、内野のフェンスが低く、とにかく応援の声がよく届く。内野手が目の前にいるような感じで迫力があった。試合をやっている連中からすれば、うるさくて冗談じゃないと言う環境だったかもしれないが...

その定期戦が震災の仙台で今年も欠けることなく催された。実は、学校でさえ地震で損壊を生じており生徒にも先生にも多くの被災者がいる。特に仙台一高で被害が大きく、野球部が利用しているグラウンドはあの荒浜にあった。ちょっと考えれば、少なくとも今年は定期戦どころではないというのが常識的な線ではないか。来年からまたしっかり復活させるので今年はすいませんと言えば誰も非を唱える人はいなかったのではないだろうか。それをみごとに両校の生徒、先生そして多くの関係者が打ち破った。

残念ながらこの震災と言う非常時に起きたこの快挙については、河北新報の事前記事(5月9日)と結果記事(5月15日)でしかわからない。おそらく仙台にいる人にはもっと多くの苦労や喜びが共有されているのだろうが、東京からではすべてを知ることはできない。通常は個人のブログといっても新聞の全文を掲載するのは避けているのだが、今回については一切の手をいれず利用させていただくことにした。

「伝統の一戦、復活の一歩に 仙台一高野球部14日定期戦」 2011年05月09日月曜日  仙台市宮城野区の日本製紙クリネックススタジアム宮城で14日行われる仙台一高・二高野球定期戦に向け、一高野球部員が奮い立っている。東日本大震災の津波により若林区荒井の練習グラウンドが使えなくなり、用具の一部も失った。大きな試練の中で迎える伝統の一戦。部員たちは「野球部復活への第一歩を飾りたい」と必勝を誓う。  一高野球部が使用してきた若林区荒井の第2運動場は、津波で壊滅的な被害を受けた。4月2、3日に部員と保護者、卒業生ら延べ200人が、がれき撤去などに当たった。バックネットの支柱の一部は根元で折れ曲がり、土の入れ替えも必要という。  バットやグラブは泥の中から捜し出し洗って使えるようにしたが、バッティングマシン2台と練習ボールは水に漬かり使えなくなってしまった。  練習は、他の運動部も使用する同区元茶畑の第1運動場で空きスペースを見つけて行っている。4月14、15、17日の3日間は、青葉区川内の二高グラウンドで合同練習を行った。3月まで二高を率いた谷藤正樹監督(現名取北高監督)が震災直後、練習球を一高に贈り、協力を申し出たのがきっかけだった。  ウオーミングアップからクールダウンまで、学校の垣根を越えて同じメニューで汗を流した。一高の建部淳監督と二高の佐藤貴志監督が、代わる代わるノックをした。  一高の本内大吉主将(3年)は「野球ができることに感謝している。定期戦は甲子園と同じぐらい価値がある。全力プレーが二高への恩返しにもなる」と意気込む。  二高の佐藤監督は「野球を愛する子ども同士、違和感なく練習ができた。試合では持てる力を十分出したい」と話す。  津波で名取市閖上の自宅を失った一高の阿部裕太遊撃手(3年)は「多くの人から勇気をもらってきた。試合では被災地を勇気づけるプレーをしたい」と張り切っている。

「戦後66回目の野球定期戦 仙台二高、逆転V」 2011年05月15日日曜日  仙台一高・仙台二高野球定期戦が14日、仙台市宮城野区の日本製紙クリネックススタジアム宮城で行われ、二高が3―2で逆転勝利、2年ぶりに優勝した。  両校合わせて6400人の生徒、OBらが詰め掛けた。東日本大震災で春の公式戦が中止になる中、戦後66回目となる伝統の一戦は盛り上がった。  二高は1―2の八回1死満塁から安田慎太郎捕手が2点適時打を放ち逆転。一高は五回以降、打線が散発2安打と振るわず、逃げ切れなかった。  一高は、地震と津波の被害で若林区荒井の練習グラウンドが使えなくなり、二高で合同練習も行った。  一高の本内大吉主将は「二高は全力でぶつかってきてくれた。練習環境は今も厳しいが、夏の勝利を目指す」と誓った。二高の柴田健吾主将は「最高の試合をして互いを高め合えた」と語った。  試合前、両校野球部OBが募金活動を行い、集まった37万2239円を一高野球部に贈った。  戦後の優勝回数は二高が29回、一高が28回、引き分け9回となった。通算成績は二高の69勝62敗2分け。 仙台一 001100000=2 仙台二 00100002×=3
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