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チェルノブイリから25年、変わらないもの [雑誌記事]

threemile_map.gif「二つの事故がだぶって見えた」小林和男氏、AERA2011.5.30号より

小林氏は元NHKモスクワ支局長。25年前の4月25日にチェルノブイリの事故が起きたとき、特派員として現地で取材にあたっていた。その小林氏が当時と現在を重ね合わせ、感じていることをまとめている。四半世紀離れて生じた二つの事故が投げかけるものはあまりに重い。

3月11日の地震と引き続いて起きた福島第一原発でのありうべからざる事故。この事故に関わる専門家と称する多くの識者の論評は、「チェルノブイリとは違う」「いっしょにしてくれるな」というダイジョーブ前振りから始まった。確かに、国民の目の前でなんらかの爆発が生じたものの、これはそんなに深刻な事象ではなく、炉を冷やすことができれば問題は徐々に解消するという解説が、いいかげんにしてくれと言いたくなるほど執拗に繰り返された。

25年前、チェルノブイリの事故はソビエトの国民には何も知らされてはいなかった。事故の2日後に、放射能の極端な異常値に気づいたスウェーデンがモスクワ駐在大使を通じてソビエト政府に問い合わせたのが最初のアクション。そして29日になってテレビのニュースが「原発で事故があり2人が死亡した」とだけ伝えたが、モスクワの街では大きな騒ぎにはならなかった。そのとき実際には、現地では大規模な避難が始まっていたのだが、その後のニュースも「事故の拡大はない」「事態は収拾に向っている」「心配はない」という内容であった。情報統制の利いた共産主義国家だから、こうした情報操作もあたり前に行われていたのだろうと容易に想像できる。

では、言論自由の日本では、事実を正しく伝えられていたのだろうか。事故から2ヶ月以上経過してから、炉の数値を詳しく分析してみるとメルトダウンが生じていたことがわかったという説明を聞いて、適切なタイミングでの状況報告だと感じる国民は、おそらく一人もいないのではないか。

小林氏はこうした状況に対して「国民に“余計な”不安を与えないよう配慮するのは当然だが、非常事態にはまず真実が伝えられ、国民が納得する対策がとられねばならない。」と述べ、さらに「知恵の結集が不可欠なのに、東電や政治家や原子力関係機関が、“それぞれの言葉”でしゃべっている。そのそれぞれにどうやらメンツというものがあるらしい。意図的な嘘は言っていないのかもしれないが、必要なことは全部言っているとは感じられない。」と喝破している。

氏の指摘のとおり、嘘をついているかどうかなど重要なことではない。問題なのは、もし大いなる破滅の絵姿が頭に一瞬でも浮かんだのであれば、それに言及するのは自分の役割ではないと決め付ける心の持ちようであろう。官僚主義的なという例えが適当ではないかもしれないが、いつしか精緻に組み上げられた頑強な組織とその風土がもたらした宿痾であることはもう疑いようがない。

この小林氏の文を読んで、25年前のことを思い出そうとしたが、恥ずかしいことにどうも記憶が明瞭ではない。地球の向こう側のこと、対岸の火事のようなことと軽く考えていたように思う。新聞やTVなどのメディアはどの程度騒いでいただろうか。そんなことから、20年前に出版された「放射能汚染の現実を超えて」小出裕章、河出書房新社(1992年に北斗出版から刊行されたものの復刊、2011年4月)を読んだ。おそらく福島の事故がなければ、手に取ることもなかったのではないだろうか。この内容については、また稿を改めたいと思っている。

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