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代償は大きかったのか [新聞記事]

「電力制限令9日終了 大きかった節電の代償」日経朝刊、2011.9.8より

「代償」という言葉に代表されるように、日経は「節電強要、ひどいことを」という非難論を展開したいらしい。この方策(電気事業法第27条に基づく措置で500キロワット以上の大口需要家に対して発動、違反者には罰金も)の発動によって産業界は大きな打撃を受けたという。具体例として武田薬品をあげており、蓄電池や自家発電設備の新増設に50億円の投資を行うとある。また宮地鉄工所(大田区)では、鍛造機の一部を軽油で動くものに変えたためレンタル費用に加え毎月50万円の燃料費が嵩むという。

たしかにこれだけ読むと、政府が採った方策は中小企業をも含む国民いじめかと思わざるをえないところがある。しかし、本当にそうだろうか。

電力の使用が事業運営の要になっている事業者にとって、その安定供給は欠かせない要件であり、これが仮に不安定であれば事業継続に疑義があるということにもなりかねない。まさに企業にとっての命綱であろう。これまでは、世界で最も安定した電力供給を継続してくれる優れた電力事業者が全国に均等に配置されていたために、企業はどれだけ多くの電力を消費するとしても、なんの不安もなく中長期的な事業計画を編むことができた。しかし、3.11以降、永遠に続くと固く信じていた安定供給が、実ははかない幻想であったかもしれないと多くの事業者が気づいたのだ。

その結果が自前のエネルギー調達や備蓄につながったのだ。少しでも自らの事業の持続可能性を維持しようと考えるならば、将来に生じるかもしれないリスクはできるだけ適切に排除あるいは回避しようと考えるのは当然であろう。自前のエネルギー装置を準備しリスク回避に備えることを、あえて「大きかった代償」などとということばで表わすのは、視点がずれているように感じるし、違う方向に世論を誘導しようとしていると疑わざるをえない。

制限令が発効して起きたことは、電力事業者に支払っているエネルギー代金の一部を自前に置き換えてもよいという発想が自然に出てきたということだ。たしかに、電力供給専業者によるエネルギー提供に比べれば、効率的にも信頼性でも劣ることにはなるのだろうが、首までどっぷりと電力事業者に依存していることが企業の長期的な持続と発展にとって正しいのかということになる。生命線を安易に他人に委ねておいてよいのかという論点だ。これが国と国の関係であれば、天然ガスでのロシアとウクライナの交渉や上水道をめぐるマレイシアとシンガポールの関係など、一歩も譲らない厳しい争いは世界中に掃いて捨てるほどあるではないか。

3.11以降の世界では、エネルギー供給についての自社戦略を持てない事業者はその存在が極めて危うくなるものと考えられる。電気は空気と同じように、いつでも好きなだけ手に入れることができるというパラダイムでは、まったく残念なことに、もう先には進めないと覚悟すべきだろう。

しかし、無限エネルギーという幻想世界から一瞬にして有限の現実世界に引きずりおろされたのだから、原則は自己防衛とはいっても、そのすべてが自己責任でというのではたまらないところもある。制限環境に適切にあるいは先取りして対応した企業に対しては、税の減免(設備投資などへの)などの優遇措置を積極的にとるべきだと考える。このまま放置しておくと、またぞろ、お上の命令で歯を食いしばって努力し、それなりの成果をあげました、よかったよかったで終わりかねない。世界で最も優れた社会主義国日本などという自虐ネタはもう止めなければいけない。


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