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平成の203高地 [雑誌記事]

220px-PortArthur2006.jpg“日本人につきまとう「旅順症」という病” 和田宏、週刊朝日2011.10.28号、「坂の上の雲」の世界〈第6部〉日本海海戦の栄光と影、週刊司馬遼太郎,204 より

和田氏は、文藝春秋社で司馬遼太郎の担当編集者として長くつとめており、司馬氏の作品や時代背景についての評論なども多い。クレメンス・ウィルヘルム・ヤコブ・メッケル(以下メッケル)は、明治の初期にドイツから陸軍大学校の教官として招聘され、日本陸軍兵制の近代化に貢献したとされる。大学校での最初の生徒の中に、あの秋山好古がいたことでも知られている。そのメッケルの日本軍、というより日本人に対する、深い洞察が紹介されている。

前半略--
 日本人の特性とはなにか。以下はその一例。明治18年に陸軍がドイツから招聘したメッケル少佐は、日本軍参謀の通癖として、「状況を安易に判断する」「希望的観測で行動する」といった点をあげている。まるで20年後の旅順戦を予見したかのようだ。  相手が十分な装備で待ち受けているところへ、無定見に攻撃を仕掛け、うまくいかないとヒステリー発作を起こして同じ手順を繰り返す。この「旅順症」については、司馬さんは「小説ノモンハン」で再登場させるはずであった。これはのちの太平洋戦争では、ガダルカナル戦からインパール作戦にまで発症する日本軍の痼癖 となる。  しかし、これは過去のことであろうか。百数十年前のメッケルの指摘は、このたびの東日本大震災にともなう福島の原子力発電所事故の対応に、そのままあてはまるという見方がある。司馬さんの見解が聞きたかった。

 旅順港にたてこもったロシア艦隊を、バルチック艦隊が到着する前に無力化することが旅順攻略の目的だったのだが、結果として203高地にあった要塞を落とすのに半年を要しただけでなく、実に6万にも及ぶ死傷者(死者1万6千)を出している。「坂の上の雲」でもこの攻略戦の記述が長く、つまり戦いの推移をこれでもかと実に詳細に示しており終わらない。読んでいてへとへとである。外から見れば、まったく理解しようのない消耗が、あたかも野の石を次から次へと煉獄の釜へ投げこむかのように、果てしなく続いていく。その無間地獄のような不毛感と浪費感を読者は身をもって体感せよと司馬遼太郎に叱られているような気がしたことをいまでも憶えている。

 組織を動かすことが得意ではない、組織的に行動することができない、戦略を考える参謀機能がない、などなどいつもの日本の弱点論に行き当たってしまうのだが、それにしてもフクシマは203高地の平成版だったとは。

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Tadalafilo

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