銀杏の色づく街に [雑誌記事]
東京では街路樹に銀杏が多い。今年もいつまでも色付かないなと思っていたら、寒さの到来に合わせるようにいつか黄色に衣替えし、ここにきてせわしなく散り始めている。そんな季節の動きを追うように、福岡伸一氏が「ドリトル先生の憂鬱」AERA2011.12.26では落葉樹と常緑樹の違いについて語っている。
植物は、条件さえよければいつでも光合成をして栄養物を作り出し、それをエネルギーにして生存・繁殖できるのがいちばんの理想です。だから、できれば常緑樹でいたい。光と水と温度にめぐまれた熱帯雨林地域の植物は、だいたい常緑です。
葉っぱはエネルギーの製造工場であるとともに、ゴミ貯蔵庫でもあるのです。でも液胞にもキャパシティーがあります。そこで葉っぱは一定の期間ごとに捨て去らなければならないわけです。
有害物質や老廃物を溜め込んでは一気に捨てる。この切り離しプロセスによって、本体の状態を長期に渡って最善に保つことができるということか、なるほど。しかしエネルギー製造工場と廃棄物貯蔵庫が同居しており、自ら更新を繰り返すことで成長するというのは、なんという不可思議ですてきな仕組みだろう。使い古したソーラーパネルを脱ぎ捨てるとまっさらな新品のパネルが生えてくるということか。自然にはかなわないな、やっぱり。もっとも、光合成という最も基本的な仕組みさえ、人類はまだ再現できていないのだが。
しかし、なぜ葉があんなに美しく鮮やかな赤色や黄色に染まるのか、その生物学的意義はまだよく解明されていないのです。葉緑素がなくなると緑色が退色するのはわかりますが、代わりにわざわざ赤や黄の色素を生産する意味は不明なのです。落葉準備に必要な代謝の変化がたまたま人間の目にそう見えるだけかもしれません。
なるほど、落葉するのは樹木にとって必然なのだが、紅葉は意図して成ったものではないということか。樹木は落葉の準備に入ると、切り離される葉の根元にコルク状の物質ができてくるために葉の中で形成される糖分が幹に送られず葉に貯まるようになり、これが低温と日光によって赤や黄の色素に変化するという。温度と日射で紅葉の色づきが決まるというのはこうした機構によっているらしいが、これがたまたまで起きているというのは、にわかには受け入れ難い。樹木と共生している多くの動物(たぶん人間も入っている)に対して、落葉で姿を一変しますというメッセージ、あるいはシグナルを送っていると捉えるのが正しいように思うのだが、違うだろうか。
ちなみに、福岡先生は生物学者だが、昆虫少年出身で植物はあまり得意ではないそうだ。それにしても、紅葉の理由が実はよくわかっていないというのは意外だし、これからも理由がわからないほうがいいような気もする。
2011-12-21 00:21
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