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ムラ社会を越える者 [雑誌記事]

「時代を切り開いた土木技術者たち」北河大次郎(ICCROM)、土木学会誌 vol.97,no.1,Jan.2012より

“技術が高度化することで専門分化が進み、事業や分析の効率・精度が高まる一方で、専門の枠組みを超えた新たな課題に対応できない。これまでの問題解決のシステムがうまく機能しない”
「技術の進歩がすべてを解放する」といった、ほとんど信仰ともいえる技術万能論と戦後の高度成長が重なり合って、日本はいつか世界第二位の産業を有する国になった。こうして到達した高みは、維持され改善されることで連なり山脈を形成していくと信じられていたが、フクシマが示した現実はそうしたことが幻想であったことを見せつけた。

北河氏は、フクシマの事故を生じた原因が、産官学トライアングルにによって築かれた強固な閉鎖集団、すなわち“ムラ”にあるという見方は、誇張もあるものの事実の一面も示していると述べており、さらにこのことから「道路ムラ」「ダムムラ」と呼ばれている土木の世界を思い浮かべてしまったという。

土木の世界に限ったことではないが、技術ノウハウを有する専門家が事業に突っ走ると、いつか社会の理解とかみ合わなくなり、これが高じると社会の信頼さえ失い、事業を減速させる。場合によっては原因さえわからぬままにすべてが破棄され原始にもどることさえある。社会との関係を修正することができなかったと言ってしまえば簡単だが、これでは誰一人として幸せにはなれない。明治維新以降、産業革命を経た西欧列強諸国に伍して国富の増大を目指し、全力を尽くしようやくたどりついたところがこの閉塞と停滞とは。

こうした状況に対して北河氏は、打開へのヒントを近代土木の歴史に求めている。取り上げているのは、「使命とビジョン」「アイデンティティ」「分野を跨ぐ交流」などだが、ここではそれらの中から「問題提起」の部分を紹介したい。

“近代化に突き進んでいた頃の日本では、問題を提起するよりも、もっぱら眼前の問題を整理・分析し、解決することに重点がおかれていた”
“問題は改めて提起するまでもない。すでに社会でコンセンサスを得られている問題を、技術的に理解し、迅速かつ合理的に解決する”

技術が社会基盤を築き、それが重層的に増大するなかで、国を牽引しているのは技術であり技術に裏打ちされた物づくりの力だと、誰もが語りそして信じるようになっていった。しかし社会は発展し拡大することで、質的にも量的にも変容を続ける。入れ物はハードかもしれないが、構成する中身は人間という不確かでソフトな存在なのだ。技術がよかれと考えて作ったものが、いつか人間によって嫌悪され最後は破棄される。社会という多様な人間の器の変貌を想像することができるか否か、社会の現在の有様を深く理解し、その先の姿を思い浮かべることができるかどうか。

フランスの技術者資格認定委員会では、「技術者」という職業を次のように定義しているという。
“複雑な問題を、より達成された形で提起し、解決することにある。そのため技術者は、確かな科学的素養に基づく技術・経済・社会・人間に対する知識全体を有していなければならない”

解決する前に、提起できなければだめだということなのだ。解決にたどりつくには起きている事象の本質を見極めなければならないことは言うまでもないが、社会が抱える問題を明示することも欠かせない技術者の役割だとしている。

こうした考察を経て、北河氏は次のように論を閉じている。
“作家が優れた物語を紡ぎ出すように、国土や社会に対する理解を深め、その描写を通じて自らの世界観を表現し、問題提起に結びつける努力をもう少ししたほうがいいのかもしれない”

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