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メルケルの転向 [読後の感想]

「なぜメルケルは『転向』したのか」熊谷徹、日経BP社、2012.1.30刊 を読んで

3.11に福島第一原子力発電所で起きた事故は、日本から1万キロ以上も離れたドイツに大きな衝撃を与えた。

それまで、原子力推進政策を支える側にいたと思われていたアンゲラ・メルケル首相が、ほとんど瞬間的に(日本人の感覚で)反対派に転向してしまったのだ。

この本の著者、熊谷氏は、1990年からフリージャーナリストとしてミュンヘンに在住、その後21年間ドイツを中心として、統一後のドイツの変化、欧州統合、安全保障、エネルギー・環境問題を中心に執筆活動を続けている。

福島の事故後4ヶ月も経たない6月の末に、ドイツ連邦議会は遅くとも2022年の末までに、原子力発電所を完全に廃止することを決定した。620人の議員のうち513人(83%)が賛成した。原子力の代替エネルギーについては、再生可能エネルギーの拡大と省エネの促進、石炭やガス火力など代替施設の増強など、関連7法案も可決した。

それまで、まちがいなく原子力推進派だったメルケルが変節した。日本にはドイツの「勇気ある撤退」という部分だけが伝えられ、それに比べて日本は何をしているのかという論調はあったものの、この変節の裏にある社会的な背景についてはほとんど触れられてはいなかった。事故の直後に行われた地方選挙で原発反対派が大幅に議席を獲得したことが大きく影響したという程度の分析はあったが、それだけではこの大きな選択を十分に説明したことになったようには思えなかった。この本の中で熊谷氏は、まずメルケルという女性の生い立ちから、大ドイツのトップに就くまでの道筋を丁寧に追いかけている。そこには、メルケルの行動を裏打ちする時代の流れと勢いがあった。

メルケルは、ハンブルク生まれ。プロテスタント教会の牧師であった父親が派遣された東ドイツに暮らすことになる。当時、東ドイツでは社会主義体制に批判的なキリスト教徒の子どもの多くは大学へ進むことができなかったにもかかわらず、メルケルはそうした差別にあわず、ライプチヒのカール・マルクス大学へ進み、理論物理学を専攻、その後ベルリンの東ドイツアカデミーの理化学中央研究所に科学者として職を得ている。この経歴から、メルケルは優秀であっただけでなく、体性順応力が飛びぬけて高かったであろうことが推察できる。風見鶏だったと言えるかもしれない。

ベルリンの壁崩壊後、政治活動に入り、キリスト教民主同盟(CDU)の中で首相のヘルムート・コールに抜擢され頭角を現すことになる。ここで重要なことは、研究所時代の研究対象に放射線分野が含まれていたことであろう。コール政権下で環境大臣を務めていた際には、物理学者としての知見から、原子力は安全に使用できる技術であるとして、反原発運動に対して批判的な態度を一貫してとっていたし、2005年に首相となった後にも、原子力発電の延命を図った原子力法改正を主導するなど、「ぶれない」政治家であった。

それが、3.11で反転した。それまで、「原子力は過渡期のエネルギーとして必要だ」と言っていたものが、「経済に影響を与えない限り、原子力をできるだけ早く廃止すべきだ」と主張を一転させた。以下に連邦議会において6月9日に行ったメルケルの演説の一部を引用する。

「……(前略)福島事故は、全世界にとって強烈な一撃でした。この事故は私個人にとっても、強い衝撃を与えました。大災害に襲われた福島第一原発で、人々が事態がさらに悪化するのを防ぐために、海水を注入して原子炉を冷却しようとしていると聞いて、私は“日本ほど技術水準が高い国も、原子力のリスクを安全に制御することはできない”ということを理解しました。
 新しい知見を得たら、必要な対応を行なうために新しい評価を行なわなくてはなりません。私は、次のような新しいリスク評価を行ないました。原子力の残余のリスクは、人間に推定できる限り絶対に起こらないと確信を持てる場合のみ、受け入れることができます。
 しかしその残余リスクが実際に原子炉事故につながった場合、被害は空間的・時間的に甚大かつ広範囲に及び、他の全てのエネルギー源のリスクを大幅に上回ります。私は福島事故の前には、原子力の残余のリスクを受け入れていました。高い安全水準を持ったハイテク国家では、残余のリスクが現実の事故につながることはないと確信していたからです。しかし、今やその事故が現実に起こってしまいました。
 確かに、日本で起きたような大地震や巨大津波は、ドイツでは絶対に起こらないでしょう。しかしそのことは、問題の核心ではありません。福島事故が我々に突きつけている最も重要な問題は、リスクの想定と、事故の確率分析をどの程度信頼できるのかという点です。なぜならば、これらの分析は、我々政治家がドイツにとってどのエネルギー源が安全で、価格が高すぎず、環境に対する悪影響が少ないかを判断するための基礎となるからです。
 私があえて強調したいことがあります。私は去年秋に発表した長期エネルギー戦略の中で、原子炉の稼動年数を延長させました。しかし私は今日、この連邦議会の議場ではっきりと申し上げます。福島事故は原子力についての私の態度を変えたのです。(後略)」 

21年間ドイツに暮らし、欧州各国を取材で回っている中で、熊谷氏は南欧諸国の人々が概して楽天的なのに比べて、ドイツ人には悲観的な人が多いことに気づいたという。日本人が好んで使う「喉元過ぎれば、熱さを忘れる」という諺はドイツにはないらしい。ドイツ人はなにごとも「はじめにリスクありき」だという。彼らはリスクの萌芽を見つけると、むしろ最悪の事態を想起するという。そこにドイツ人の完全主義と徹底性、そして完全を何より重く考える姿勢が表れている。確かに、我ら日本人は不徹底でなおかつ曖昧だ。(ドイツと日本は国民性が似ているなんて誰がいったんだろう?)

熊谷氏はこうした日本とドイツの考え方の違いを理解しなければ、メルケルの突然の転向を理解できないだけでなく、ドイツ的な思考法から何も学ぶことができないとしている。日本がだめでドイツが優れているというのではなく、何が違っているかを今こそ知るべきだという。以下に「第4章 はじめにリスクありき」から熊谷氏の主張を引用したい。

「何かにつけて批判的で疑い深いドイツ人に比べると、(日本人は)政府や企業の言うことを無批判に受け入れがちで、どちらかと言えば人の良い国民である。“寄らば大樹の陰”とか“長いものには巻かれろ”という諺はドイツにはない」

「ドイツ人が運命に対して不平を言ったり戦おうとしたりするのに対し、我々は、“どうせ抗ってもむだだ”と考えて、運命を受け入れようとする傾向が強い」

そして、最後に次のように結論づけている。

「福島事故によって、われわれは、“エネルギーについて不安を抱かなくてもよい社会”が幻想であることを理解した... 福島で爆発したのは、原子炉の建屋だけではない。リスクを考えずにエネルギーを湯水のように使える社会、そして人間と安全よりも成長と経済効率を優先した社会も爆発したのだ」


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