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ここには津波は来ないと言われていた [講演を聞いて]

20111216-979790-1-L.jpg「想定外を生き抜く力」片田敏孝群馬大学教授の講演を聴いて

3.11後の巨大津波から釜石の子供たちを守った片田先生の津波防災教育のことは、前に紹介している

巨大津波に繰り返し襲われるという宿命の土地でも、災害の恐怖から目を背けることなく、歴史が教える事実を学び、その中で生き残るすべを身に着ける努力を続けた結果が、3.11の巨大津波で確かな成果となって結実した。「奇跡」は幸運などではなく、必然であったということだろうか。

あの巨大津波から1年以上が経過し、3.11の「その時」に起きたことを住民一人ひとりへの聞き込みなどを重ねて精査し、住民の行動分析を加えた結果、津波災害に対する取り組みを考え直すべき点が少なからず明らかになったという。

津波は事前の想定をはるかに超えた巨大なものではあったが、巻き込まれ命を失った人と際どくも逃げ切った人との差はどこにあったのだろう。片田教授は、ハザードマップへの過度な依存がその一つの鍵になったと指摘している。津波のハザードマップは、その地域に将来生じるであろう災害の規模と範囲を過去の実績に基づいて推測し、災害時に選択すべき避難場所や避難手順を予め決めておくことを目的として自治体によって作成される。災害想定は科学的な知見に基づいた数値シミュレーションを用いて行われるのだが、ここに検証の難しい仮定がいくつも積み重ねられているにもかかわらず、そこから導き出された結果は間違いのない「真実」あるいは神の御宣託であるかのように見えてしまう。

岩手県のある湾奥に位置する街では、津波で多くの命が失われたのだが、その平面分布は決して一様ではなかった。被害者が集中していたのは、海に接した地区ではなく、むしろ海から離れた地区であり、ハザードマップ上では津波到達の可能性が低いと示された場所であった。津波が来る可能性が高いと言われていた地区に住む人は、地震のあとすぐに逃げることを試みたが、ここは大丈夫だろうと思っていた地区の人はすぐに逃げようとはしなかったのだという。マップ上の安全と危険の線引きが、皮肉なことに命の線引きになってしまったのだ。

「この場所は津波が来ないと言われていたので逃げなかった」と線引きの外側、つまり安全と色分けされていた場所に住んでいた住民は、災害後の調査で答えている。行政が作成したハザードマップの上で、危険側には入っていなかったという主張だが、結果的にいえばこれは思い込みでしかなかった。このことを片田教授は、防災に対する「主体性の欠落」が招いた事象と断じている。巨大災害に対する防災で最も重要なことは、行政(お上)に依存しない「主体的」姿勢の醸成にあるという。

自分の、家族のかけがえのない大切な命だからこそ、誰かに頼ればよいという他者依存からまず脱却しなければならない。防災の意識を広く普遍的なレベルに高めるための教育に必要なことは、単なる災害知識の詰め込みではなく、自ら主体的に取り組む以外には命は守れないという「姿勢」を重視した教育であるべきだという。

ここは大丈夫という思い込みは、絶えることのない災害の恐怖を和らげる精神安定剤なのかもしれないが、本当の危険への対応力を長い時間をかけて麻痺させていく毒薬でもあるということなのだ。人の心に関わるところだけに、ここを切り開くのは容易ではない。しかしこれこそが、日本の防災の本質なのだと悟るところからしか津波の教訓を生かせないということなのだろう。




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