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ロンドンの悪夢が60年の時を越えて [新聞記事]

_38553143_smog300pa.jpg今年の北京の冬は大変なことになっているらしい。

2月1日の日経朝刊でも「大気汚染、中国経済に波及 過去60年で最悪」というタイトルで深刻な状況を伝えている。原因は今年の冬が例年になく厳しく、石炭を用いた暖房に多く依存する中国では、どの都市でも真冬のこの時期は、強い風が吹かない限り、硫化物を多量に含む濃い霧に覆われ、昼なお暗き状態が続いている。中でも、人と産業が過度に集積する北京は症状が極めて深刻のようだ。昨年は、北京の米国大使館が独自に計測した大気汚染の値をTwitterで公表(@BeijingAir)し、中国政府とすったもんだをしていたのだが、もうそうした事実を隠すような余裕さえ消えうせ、企業の操業停止と減産を命じ、公用車の利用を大幅に減らすことを決め実行している。

これと同じような、そして信じられないほど深刻な結果を招いた現象が、今からほぼ60年前のロンドンで起きていた。1952年の12月のことである。

もともと、おそらくローマ時代のころから、ロンドンは霧深いことで広く知られていた。ごく最近まで、土産品として「ロンドンの霧」という缶詰が売られていたくらいなのだ。しかし、1952年の冬に起きたのはそんな情緒あふれるようなことではなかった。

12月5日にロンドンを包んだ濃い霧はそのまま4日間居座り、首都を完全に機能麻痺に追い込んだ。日中でも視界がほとんどないため、路上に車が捨て置かれ、汽車は破損し、空港は閉鎖された。硫酸ミストを体内に吸い込んだ多くの人が肺に疾患を生じ、実に1万2千人がそのために亡くなったとされている。これが、"The Great London Smog of 1952" として知られる英国の歴史的大惨事である。

当時は今のように報道が密ではなかったこともあって、ロンドンに住む人のほとんどが殺人霧の魔の手が次々に人々の命を奪っていることにしばらく気づかなかった。なにか様子がおかしいと人々が気づき始めたのは、棺桶を担いだ葬儀屋と花束を抱えた花屋があわただしく街を駆け回り始めたときであり、その時にはすでにロンドンの街は何もなすすべがない状況に陥っていたのだ。

この大惨事の原因は、現在の北京で起きていることと大きくは変わらない。厳しい冬が長く続き、暖房は燃料費の安い石炭に依存している。モータリゼーションや産業が一気に進展して、対策は常に後手を打っている。しかし、それにしても時代は60年以上進んでいる。まさか、あのときのロンドンと同じ惨事が繰り返されるとは到底思えない。近代的な気象観測体制と情報管理が危機を乗り越えるはずなのだが...

今年の冬の寒さは、いつもに増して厳しく長い。"The Great Beijing Smog 2013"、などという墓碑銘が立たねばよいのだが。


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