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ついて行きたいと思うのは [新聞記事]

390px-Futabayama_Sadaji.jpg「師の威厳体罰では保てず」チェンジアップ:豊田泰光、日本経済新聞1月31日を読んで

毎週木曜に掲載されている豊田泰光氏のスポーツ欄のコラム“チェンジアップ”。日経を買うのは、これを読むためというくらい毎回楽しみにしている。切り口がつねに鋭いし、誰にもおもねる所がなく、しかも上から目線ではないところは特に爽快である。

その豊田氏の体罰に関する意見。
偉い指導者は手を出す前に、存在によって弟子を畏怖させ、言うことを聞かすのだ。
ぐさっと刺さる。スポーツの指導者として、相撲の双葉山と野球の川上監督の二人を挙げ、いずれもその圧倒的な存在感で周囲がぴりぴりする雰囲気があったという。

そして次のように付け加えている。
川上さんは選手を飲みに連れ出して、子分にするという手法はとらなかった
さらに
飲んでおごって、人についてこさせようとするのは能力のない管理職がやることで、それは痛みによって選手を縛るのに通じるところがある

飲食で人を取り込むのは、腕力に頼る暴力となんら変わらないというこの指摘はすごい。人としての尊厳を奪い隷属させ支配することが目的であり、手段は暴力か酒かの違いしかない。

ちょっとおごってもらったくらいで「一生ついていきます」などという部下は必ず裏切る”とも一刀両断に切り捨てている。おそらく豊田氏も若い時代には、そうした苦い経験をいやというほど積んでいるのではないか。

そして最後にこうしめくくっている。
暴力による恐怖や酒席をベースとするような指導者と選手、上司と部下の関係は長続きしない。選手は力を伸ばしてもらい、それにより指導者はチームを勝たせる、といった実利のみで結ばれる師弟もあり、それはそれでまだ健全といえる。

言い回しは微妙だが、実利のみで結ばれる(ウェットな関係を持たない)師弟は、ほとんどいないということらしい。いても周りからは奇異な目でしかみられないのか、良い結果を出すことができないのか。いずれにしても日本という社会で才能を伸ばし成果を上げるには、この問題が避けて通れない。体罰の後ろにはとんでもない闇があるということか。





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