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文彦と八重をつなぐもの [読後の感想]

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「言葉の海へ」高田宏、新潮文庫、昭和59年 を読んで

先に大槻文彦という明治の巨人、日本の言語を辞書という形で構築した最初の人として紹介した。そのときは、言海という大辞書の“おくがき”を材料として先人の偉大なる功績について論じたが、ここに導いてくれたのは、高田宏氏の「言葉の海へ」という作品であった。辞書作成の着手から完成にいたる労苦は、文彦の執念とともに、“おくがき”に書き込まれており、「言葉の海へ」でもそれにしたがっている。この作品はむしろ、そこに至るプロセスと時代背景を詳細に書き加えることで、文彦が17年間という途方もない労苦へ突き進んだ理由を浮かびあがらせている。

日本は明治維新という特殊な国家変革プロセスを経、極めて短期間で西欧列強を追いかける体制を整えたが、その中核になったのは、諸藩選り抜きの若手下級武士である。生まれた年の順に、主要人物をあげると、西郷隆盛(1828年)、大久保利通(1830年)、吉田松陰(1830年)、木戸孝允(1833年)、坂本竜馬(1836年)、大隈重信(1838年)、高杉晋作(1839年)。徳川から明治に移り変わる時点では、ほぼ30代、大隈と高杉に至っては未だ20代であった。若い世代のエネルギーと気迫がなければ、越えられない壁が無数にあったということでもあろう。

こうした中核メンバーに少し遅れて生まれてきた俊才の一人が、1847年生まれの大槻文彦であった。この年齢では、維新の大変動に関与はしても中心的な役割は担ってはいない。1867年に慶喜が大政奉還した際にも、仙台藩主の代行として京都へ上っているが役割はあくまで補佐であった。翌年には鳥羽伏見の戦いが新旧勢力の間で始まったものの、仙台藩はこれに直接に加わってはいなかったが、若い文彦は戦場にあって諜報活動のような役割を果たしていたらしい。薩長を中心とする新政府は、さらに東へ軍を進めて4月には江戸城が開城される。

文彦は大童信太夫の指示で京の町をかけまわっている。京案内の地図で地理もおおよそのみこんだ。「藩の国事に奔走する者の最年少者」であることが、文彦の自負心にこころよかった。同時に、この時勢を、ことに町の様子を、できるだけ落着いてみようとする冷静さがある。

つい眠っていた。妙な衝撃音で目をあけると、すっかり太陽が傾いている。つづいて猛烈な砲声が次から次に響いた。鳥羽の薩長軍が、いつのまにか鳥羽街道にあらわれていた幕軍に、一斉砲撃をしていた。しばらくすると、伏見のほうからも、川向うの街道の幕軍に砲撃を開始した。戊辰戦争の始まりだったのだ。その夜じゅう、文彦は戦場を歩きまわっていた。これが戦争というものだ。何もかも見ておかねばならぬ。

仙台藩、会津藩など東北の諸藩は、新政府に対峙すべく列藩同盟を結ぶのだが、薩長中心の勢いを押さえることはできず次々に敗れ去り、朝敵として責任を徹底的に追及されることとなった。仙台藩でも重臣が多数処刑され、文彦の父である大槻盤渓も、新政府への対抗を指導した論客として禁固に処せられている。文彦は父親の助命嘆願を新政府に対して繰り返し繰り返し行い、その結果としてか、磐渓は処刑されることなく、やがて獄を解かれ自由な立場を手にいれている。

これだけ激しい新旧勢力の拮抗が戦争という形で進められていたにも関わらず、明治維新は旧勢力すなわち幕臣を排除せず、その中からも多くの登用を進めた。西洋列強に伍するためにまず時間が足りない、人の手がない。なにより旧体制の下で育ってきた地方の俊才を、即戦力として新政府に投入できれば、なによりの強化策となりうる。大槻文彦も旧幕臣であったにもかかわらず、その能力を高く評価されて新政府で文部省に採用されている。その3年後には、当時の文部省報告課長・西村茂樹から国語辞書の編纂を命じられることになる。これが、大いなる「言海」への出発であった。

明治維新と東北といえば、1月から大河ドラマの始まった「八重の桜」だが、主人公の山本八重は1845年生まれで大槻文彦よりほんの少し年上である。維新の動乱の中で、どこかで出会いはあったかもしれないが、残念ながら記録には残ってはいない。怒涛の明治維新の中で、二人はおそらく出会うこともなく、自らが選んだ役割を全力で果たしていったのだろう。時代の激しい流れに翻弄されながらも、同時代の東北人として、教育という共通の分野において、日本の骨格を形成する大きな事業を成し遂げたということに間違いはない。「八重の桜」をさらに興味深く鑑賞するためにも、ぜひ「言葉の海へ」を一読されることをお勧めする。(残念ながら現時点では廃刊中なので図書館にてどうぞ)











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