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煤つきガラスで日食は見るな [ニュース]

eclipse.jpgついに、5月21日の朝、日本で金環食がみられる。しかも、太平洋ベルト地帯を南九州から四国、大坂、名古屋、静岡を経て東京に至る人口稠密地帯を食が通りぬける。こんなチャンスはもう当分ないので、これを見逃す手はない。天空に金環が出現する数分間を挟んだ日食は、文字通り世紀の天体ショー。再現のできない興奮の時を、どれだけ多くの日本人が目撃することになるだろうか。

日食は、年に数回必ず地球上のどこかで生じる現象なので、それ自体は珍しいことでもないのだが、太陽に月が完全に重なる皆既食か金環食は年に一度あるかないか。さらにそれが小さな日本列島をかすめるのは数十年に一回程度。つい最近では2009年に沖縄のトカラ列島で皆既日食が見られたが、国内の陸地で見られた皆既食としては、1963年の北海道東部での皆既食以来なんと46年ぶりだった。最近の金環食としては、1987年の沖縄本島を通ったものが八丈島を通った1958年以来29年ぶりという頻度。しかも、食の中心帯は狭いため、たまたま住んでいる場所で、もしその現象に出会え、しかもお天気がよくてしっかり見ることができたら、それはもう幸運としか言いようがない。世界には日食ハンターとか呼ばれるマニアがいて、世界中の皆既食、金環食を追い続け、自分の目で見ることに全力を注いでいるというが、それだけ人の心を引きつける魅力があるということだろう。

小学校のころに日食を見るといえば、煤つきガラスと相場が決まっていた。ガラスの小片(当時はどこの家庭にも普通にあった)に、蝋燭(これも当時の必需品だった)の炎を近づけ、煤(すす)をべったりと付着させて作ったものだ。こうやって作るんだというのを、授業で教えられたようにも記憶している。それくらい当たり前で、必須アイテムだった。中学のときには、露光したネガフィルムでもよいという話になり、これなら煤で手が汚れなくていいなと感心したものだった。

ところが、21日の金環食では、そうはいかなくなってきたらしい。うかつに日食を見ようとするとえらいことになりますよという警告がたくさん出されている。日食を見ることで目に深刻な障害が生じるという。障害の名称は「日食網膜症」。大鹿哲郎・筑波大学眼科教授によれば、日食網膜症とは、眼球によって集光された太陽光が眼底を傷つけることで起きるもので、網膜の中でも最も感度の高い部位であり、多くの視神経が集まっている中心窩が傷つくことで起きる。日食網膜症の主な症状は、次の三つ。中心暗点;視覚の中心に黒い点が発生し、そこだけ見えなくなってしまう。変視;視覚の真ん中が歪んで見えてしまう。視力低下、霧視;視覚がぼんやりとしてしまう。しかも、傷害の程度は「曝露量率」と「曝露時間」の積で決まるので、「短時間に強い光を見る」「長時間にそれほど強くない光を見る」といういずれのケースでも、同じように傷害が発生する。すなわち、「直視できるくらいの光なら、しばらく見ていても安全」ということはないという。なるほど、何かが昔と変わったのではなく、そもそも太陽を直接に見ることは昔から危険なことだったらしい。

これはかなり重要な情報だ。そして、障害を避けるための予防として次の点に注意すべきとしている。「普通のサングラス、色つきの下敷きやカラープラスチック板、CD板、カラーフィルムなどは、全て予防効果はありません。ローソクの煤をつけたガラスについては、昨今のローソクでは煤が出ないので、期待できるほどの予防効果はないといえます。太陽を直接観察する方法としては、市販されている「日食グラス」を通して見る方法が、最も適当といえるでしょう。」

そうか、煤ガラスはだめなのだ。露光したネガフィルムもだめそう。もっとも、アナログのカメラも使わなくなって久しいので、フィルムも身近にはないのだが。

21日の金環食は果たしてどれだけ多くの人が空を見上げるようになるかはわからないが、どうも今の様子では少なくない相当数の人が、日食後に目の不調を訴えることになるのではないか。書店やコンビニに置いてあるたくさんの「日食グラス」が品切れになるような雰囲気は、いまのところまったくないようなので少々心配だ。ちなみに、少々古い話しだが、1912年のドイツにおける日食では、眼の傷害を訴えた人が3500人を超えたとされている。また、1983年のインドネシアの皆既食では、失明リスクを避けるために、「見せない」運動が起こされたという。そこまでやってもなあとは思うが...



太陽のかくも長き不在 [ニュース]

- 太陽が17世紀以来の長い静穏期に突入か -
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2011年8月18日のBBCニュース Sun storms 'could be more disruptive within decades' より

太陽がほぼ11年で活動の盛衰を繰り返していることは、ガリレオが自作の望遠鏡で太陽の表面に現れる黒点の出没を観測して以来、良く知られている。英国Reading大学のMike Lockwood教授によれば、このあたりまえに繰り返されてきたサイクルが数十年にわたって止まってしまうという。

既に数年前から、どうも太陽の様子がこれまでとはかなり異なっていることが指摘され始めていたが、今年に入ってこの変調がただならぬ物であることが太陽物理学者の間で共有されるようになっていた。太陽の表面に多く出現する黒点がまれにしか現れなくなってしまったのだ。黒点が出現しないからといって、太陽が急に衰えてその生命が尽きんとしているというわけではない。これまでも人類が太陽の観測を始めてから(といってもほんの数百年だが)の間にも同じようなことが起きている。17世紀半ばの50年間(1650-1700)に黒点が現れない長い太陽活動の静穏期があった。

こうしたドラスティックな変化がなぜ生じるのかはまだよくわかっていない。それでも、静穏期が半世紀も続いても人類は滅んでいないので、こんども(もし起きても)過剰に心配する必要はないだろう。それはそれで安心なのだが、無線通信やラジオやTVといった身近なものから電波航法まで、現代の活動に欠かせない道具が、この長い静穏期には大きなリスクに曝されかねないという。

これまでも、太陽の表面で生じる爆発が高エネルギー粒子を大量に吐き出し、地球を襲う時に電離層を刺激して著しい電波障害を生じることは頻度は少ないながらも時々生じてはいた。その原因である太陽が静穏期に入るのだから、そうした障害も少ないはずと思いたいところだが、実際は全く反対で太陽活動が静かなときほど爆発が大きくなりより大きな障害を地球上にもたらすらしい。これは、極地方の氷河ボーリング調査によって1万年前まで遡って確かめられており、これはどうやら避けがたい現象らしい。さらには、太陽活動の静穏化は、銀河宇宙線の地球への到達を活動期に比べて容易にさせるといった効果ももたらすと考えられており、地球の厚い大気が防御してくれるはずだが、どうもあまり気持ちのよい話ではない。

実は、17世紀の太陽静穏期と重なるように、北半球はかなり寒冷化したことがわかっている。しかし、メカニズムの説明ができているわけではなく、太陽活動の停滞は寒冷化の原因ではないと否定する意見も多い。確かにそのときには、衛星も飛んでいなければ、太陽も地球さえも十分に観測されてはいなかった。まさにBBCが指摘するように、現代文明を謳歌する我ら人類が、始めてこの太陽の変節に直面することになる。これから何が始まるかはまだ霧の中だが、心の準備だけはしておかなければならないだろう。




東北の酒で花見を [ニュース]

今年の春はいつまでも暖かさが遠慮がちなまま4月に入ってしまった。いつもの年なら3月の末には桜がほころび始め、都内のここかしこでお花見が始まっていたように思う。千代田区ではなんといっても千鳥ヶ淵の桜。満開のころには、ここをゆっくりと歩いているだけで東京のそして日本の春をしっかりと噛み締めていた。

石原知事が29日の記者会見で、「桜が咲いたからといって、一杯飲んで歓談するような状況じゃない」と述べ、被災者に配慮して今春の花見は自粛すべきだとの考えを示した。さらに知事は「同胞の痛みを分かち合うことで初めて連帯感が出来てくる」と指摘し「戦争の時はみんな自分を抑え、こらえた。戦には破れたが、あのときの日本人の連帯感は美しい」とも語っている。 以上、時事通信社3月29日19時11分より

そうだろうか?日本中が喪に服すようにひたすら自粛することが正しいとは思えない。被災しておられる多くの方がほんとうに癒され励まされるのは、元気を出すことのできる者(たとえそれがから元気でも)が、とにかく明るくふるまっていること、そしてそこから明るい先行きがほのかにでもよいから透けて見えることだと思う。未来への望みを失ったとき、人はその生命力を喪うのだ。

こうした自粛ムードの中で、岩手県の達増拓也知事は4日の定例記者会見で、花見について「被災地の復興支援のためにも力強い経済が不可欠。経済が活性化するよう工夫してもらえればいい」と述べた。 以上、河北新報4月6日より

岩手県二戸市にある蔵元「南部美人」の久慈浩介さんの支援要請メッセージは必見。

東北の酒はうまい。福島も宮城も岩手も銘酒を挙げればきりがない。私は、浦霞や一ノ蔵の昔からのファンなので、酒蔵がどうなのか気になるところだし(浦霞は塩釜なので心配)、いまこそ花見を自粛せず東北の酒を飲まねばと心に決めている。今年は東北の日本酒飲むぞぉ。

東北の桜は例年であれば、4月の終わり頃から5月にかけてになる。今年は寒かったので少し遅れるのかもしれないが、必ず咲いてくれるはず。深く傷ついたこころをいやすように。

スペインの風に吹かれて [ニュース]



21%にまで風力発電が増えてきたのは確かに驚きではある。ヨーロッパはいずれの国でも(フランスはやや趣を異にしているが)再生可能エネルギーの比率を高めようとしているので、競争になっているが、スペインは地の利もかなりあるのではないだろうか。大陸の西端に近く、大西洋からいつも吹いてくる強い西風を期待できること、広い国土面積の割には人口が少なく、未利用地が大きいことなどの理由があるものと推測できる。それにしても、2008年のIEAの統計値によると風力の比率はまだ10%なので、この伸びはすごい。

スペインは電力エネルギーの柱を天然ガスに置いていることが特徴(フランスは原子力、ドイツや米国は石炭)で、例えば石炭依存のドイツとはこの点でかなり異なっている。これは、自国内のエネルギー資源があまり豊かではない国(日本のように)のエネルギー政策の選択の結果と考えるべきであるが、結果としてよりクリーンでかつ原発にあまり依存しないエネルギーミックスになっており、それがさらに向上していることになる。

しかし、この公表値は少し注意して見る必要があるかもしれない。3月の単月の値が前年値を5%上回っているというのだが、スペインにとって3月は冬が終わって暖かくなり始めた月で、季節の変わり目で一年の中でも風の強い月なのではないだろうか。今年はその傾向がより強かったということかも。また、春になって急に暖かくなって全体の使用電力が減少して分母が小さくなったということもあるかもしれない。もっとも、スペインが国策として風力発電の開発に注力していることは良く知られたことなので、新規の設置台数も確実に増えてはきているのだろうが。

日本ではなかなか普及の進まない風力発電だが、やはり地の利がないのがつらいところ。わずかに北東北から北海道に適地が散在するものの、日本はどんなところにも人が住んでおり、環境への配慮を欠かせないので、設置のハードルがどうしても高くなる。欧米で多く採用されている洋上設置についても、遠浅の地形が狭く適地が豊富とは言い難い。それでも、福島の事故がきっかけで日本のエネルギー政策が見直されることになってくれば、できないできないとばかり言っていても何も変わらないので、良い方向への動きが出てくることを期待したい。
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