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QRIOはどこへ行った [読後の感想]

ヤン先生の"Different"(邦題:ビジネスで一番、大切なこと)に、既存の分類を書き換える「ブレークアウェー・ブランド」の代表的な例としてソニーのAIBOが取り上げられている。十数年前のことで、ソニーとしては当初、皿洗いや洗濯をするような家庭用ロボットをイメージして開発を始めたのだが、その当時では人工知能技術もロボット工学そのものも未熟すぎて、無理に製品化しても消費者を失望させることになることは容易に想像がついた。そのときに開発の責任を負っていた土井利忠氏は、当面は誰もが想像する人型ロボットではなく、子犬のような姿のロボットのようなものをペットとして市場に出す(1999年)ことにした。これがAIBO(アイボ)である。

AIBOのマーケティングは一風変わったもので、心を持つ(ように見える)自立的なペットとして、ユーモア交じりに売り出された。購入者の遊び相手という位置づけである。内部に込めたテクノロジーはソニーらしく最先端だったが、お値段も20数万円ととんがっており、そんな高いおもちゃに手を出す人がいるのかと最初はささやかれた。しかも、ハードとソフトの連携がいまひとつのままで市場に出された製品であったこともあって、なかなか思うようには動いてくれない。普通なら、大枚を叩いて購入した機械なのだから、きっちり仕事をしてくれないと困るというか、それができないのなら返品しか選択はないはずだ。ところが、購入者の多くは、そのなかなか言うことを聞かない、賢いようでとんちんかんな動きをするペットとしてのAIBOに愛着心をそれも半端ではないものを抱くようになった。

これが、ヤン先生いわく「ブレークアウェー・ブランド」効果。例えば、どこから見てもチーズにしか見えないが、実はこれは空飛ぶ絨毯なんだと頭の中を切り替えさせるブランディングのことを指す。口先で言いくるめるのではなく、飛んでみてくださいと常識からの逸脱を要請する。AIBOでいえば、道具ではなく玩具という切り替えを提示すること、すなわち、私たちに別の枠組みを示し、私たち自身に変容を求めることになる。私たちが手にし使っているものの定義の多くは、昔からの慣れの中で作られ刷り込まれたものがほとんどで、実は違った価値観や切り口を示されただけで目から鱗が落ちることはよくある。このはまり方とタイミングが大事であることは言うまでもないが、AIBOはまさにその代表例と言ってよいできだった。

しかし、その後AIBOは開発・改良が中断された。ソニーの業績の低迷が影を落としたことも影響したかもしれない。

AIBOのマーケテイングの研究を終えて、数年前にソニーの開発部隊を再び訪問したヤン先生は、そこで2足歩行型ロボットであるQRIO(キュリオ、AIBOの兄弟の一つであったのだろう)に出会った。ヤン先生は、よちよちしか歩けないそのロボットに幼児特有のの愛らしさを見つけ、少し進んではつまづきなかなか動かない様子にすっかり夢中になってしまったと述べている。

やっぱりソニーだね、経営が少しくらい苦しくなっても押さえるところはしっかり押さえてるねというグッドな話しで終えたいところなのだが、実際にはこのQRIOも新規開発をもう止めている。人工知能の研究開発は継続しているということだが、ヤン先生の本にはそこまでは書いてない。AIBOのマーケティング戦略を高く評価する部分を読んでいて、逆に切なくなってしまった。あのAIBOやQRIOはどこへ行ってしまったのだろう。


「違う」ことをつきつめて「同じ」になる罠 [読後の感想]

「ビジネスで一番、大切なこと」ヤンミ・ムン著 ダイヤモンド社 を読んで

ハーバードビジネススクール(HBS)のヤンミ・ムン(Youngme Moon)教授と言えば、最も数多くダウンロードされた(広く読まれている)ケース・スタディ"Starbucks:Delibering Customer Service"の著者として知られているように、マーケティング分野の専門家。そしてハーバードのMBAコースで学生に最も人気のある講義をすることでも有名。

そのムン先生が始めて書いた本がこれ。原題は"Different"で、いわゆるマーケティングにおける差別化戦略を題材としている。では、マーケティングの教科書かというと、そうではない。ムン先生が冒頭に書いているように「本書はビジネス書を装ってはいるが、私たち自身についての本である」ということで、ここが本書の最大の特色であり魅力になっている。

著名な企業(IKEA、ダヴ、スウォッチ、ハーレー、ミニ...)の戦略を材料に、差別化の形をいろいろな切り口から示し、ざっと整理はするが、解答を示してはいない。サービスや商品を手にするユーザーにとって、差別化とはどんな意味を持つのか。それを考え続けているうちに、「違っている」ことが大事なのはビジネスだけではなく、人間としての生き方考え方そのものなのだというところに思考が広がっていくことに気づかされる。

ビジネスで差別化が最も重要な戦略要素であることは誰でもわかっているにもかかわらず、差別化を追及していくうちに類似性の罠にはまりこみ、結果として同質化競争の群れができてしまう。ホテルのケーブルテレビが無料になっているのに市外通話はすべて有料のままになっているように。

ムン先生はこうした状況に対して、次の二点を主張している。第一に「偏り」にこそ価値があること。それは、常に物事をいつも慣れ親しんでいることとは別の角度から眺めようとしなければ決して見つけられない。第二は「挑発」にも価値があること。対話に貢献する最善の方法は、私たちがあまり注意を払っていない、何かに対して注意を促すことである。

しかし、こうも述べている。「独創的なアイデアは生まれたての段階では極端にもろい。最初はくだらないアイデアと区別がつかないから、偉大なアイデアの多くが早死にしてしまう。」その例として、「20年前に私がお客に家具を組み立てさせる家具店のアイデアを見せられていたら、お客に調理させるレストランみたいねと笑い飛ばしたことだろう」とIKEAの例をあげている。大事なのは、柔軟に考えることだと言うだけならば誰にでも出来るのだ。

新しいビジネスプランを作るはめになった人、来期の計画をゼロから組み立てなければならない人などなど、資料を集め手を動かす前にまずこの本を読んではどうだろうか。メモをとらずにスッと読めるタイプの内容なので心配無用、まず肩の力を抜いて「はじめに」からお読みください。

宇宙から覗く人間の欲望 [読後の感想]

Google Earth が登場して、地球上のありとあらゆる場所を空から眺めることができるようになった。人工衛星が撮影した画像を切れ目なくつなぐことによって、デジタルの地球儀を手にいれたことになる。Google Earthに初めて触れたときは、まさに鳥になったような擬似的な飛翔感覚が生じたことを今でもよく覚えている。

Google Earthの仕組みは、可視センサーを搭載した商用や学術用の衛星が数多く利用されるようになり、その撮影蓄積が膨大になってきたことからこれを地図に代わる画像データベースとして提供しようとすることから始まった。写真帳を一枚一枚めくるのではなく、視点をどの方向にでもしかもどこまでも制限なく動かすことができるという、きわめてわかりやすいユーザーインターフェースを採用したことで一気にこの分野の標準となった。

「地球診断」太田弘、齊藤忠光:講談社は、Google Earthのように詳細な衛星画像を多数集めたものだが、美しいだけの単なる写真集ではない。アマゾンの密林の消失が緑の絨毯を引き裂く傷のように拡がる様子など、いま地球上で起きている環境・エネルギー、災害、戦争、貧困、などの主に人間が原因となって生じた事象が、宇宙からの画像にはっきりと刻まれていることを、それぞれの分野の専門家(22名)の解説が明らかにする。地球と人間との関係に視点を置き、事象の広がりを空間的に捉えるために、鳥の目を持つ衛星画像を有効に使っている。

本書には地球に関する多数のテーマがあげられているが、中から主なものをあげると

直線が示す保護と開発の境界:アルゼンチン・ブラジル、イグアス国立公園
美しき大氷河は環境変動の窓:アルゼンチン、パタゴニア氷原
彷徨える黄河の河口:中国、黄河
砂漠上に増殖する無数の碁石:サウジアラビア、ヨルダン国境付近
急速に融けている永久凍土:ロシア、シベリア地方
美しき山に刻まれた正円のデザイン:ニュージーランド、エグモント国立公園

画像を紹介できないのは残念だが、いずれも事実の持つ強烈なインパクトが伝わってくる。中でもイグアスの画像は、とめどない森林伐採と農地拡大の現状を表わしており、人間の欲望に限界がない証拠を突きつけられるような衝撃画像である。眺める視点が変わることではっきりと浮かび上がる事実がここにある。

地球と人間の関係に興味を持つ人には強く薦めたい。まず書店で、手にとって画像をご覧いただきたい。

なお、本書で使用されている衛星画像は2006年に日本のJAXAが打ち上げた人工衛星である「だいち」によるもので、690kmの高さから地上分解能10mの画像撮影を現在も続けている。

たけし vs 毒の達人 [読後の感想]

ビートたけしがサイエンスに挑戦するという設定で、様々な分野の専門家と交わす軽妙なトークをまとめた「たけしの最新科学教室」。新潮社から2008年に出版されていたものが文庫本になった。ロボット、気象、天文、遺伝子、恐竜、素数、などなど、対象とする分野の広さにもかかわらず、ビートたけしの対談の切れ味がすごい。

文庫版あとがきにも書いてあるが、たけしは対談に先がけて相手の著書や資料をみっちり読みこむだけではなく、「この人が今まで一度も聞かれていない話しを聞いてやろう」と心がけ、他の人が聞いたら怒りだすようなことなんかでもいいからとにかく聞いてみる。「たけしに聞かれたんだからしょうがねえや」って答えてくれたら大成功としている。しかし、それにしてもちょっとした一夜漬けではこの対談はできないように思う。たけしの芸人としての本気の入り方というべきか、これこそが神髄なのではないか。ひらめきや勘だけで世界のビートたけしがあるわけではないことの証明の一つかもしれない。

数ある対談の中で、おすすめは「毒にも薬にもなる話」。お相手は、日本薬科大学の船山信次教授。殺人にときどき使われるトリカブト毒の権威と言えば泣く子もだまる船山先生、らしい。毒の専門的な話しはともかく、毒物というけっこうアブナイかもしれない話題を扱いながら、軽妙な二人のやりとりが不思議に面白い。例えば、女生徒が痩せ薬を飲んで死亡したことから、それを飲むと本当に食欲がなくなるんですか?というたけしの問いに、「さて、飲んだことがないので(笑)」という先生の答え。

また、メチルアルコールで目をやられるという話しで、そういえば昔は危険を承知でメチルを飲んで目をやられ、マッサージ師になっちゃったのが多いという浅草の思い出が出てきたり、ヒロポンというのは披露がぽんと取れるからだと浅草では言われていたのに、実はギリシャ語の「仕事を好む」Philoponos のことらしいなど、蘊蓄とか専門性とかを通り越していて愉快になる。

大学進学では理系を選択したビートたけしの、科学分野へのこだわりと愛着が垣間見えることもこの対談集の特徴になっている。たけしファンにはぜひおすすめ。


タグ:毒薬 たけし

「20台を過ぎてから英語を学ぼうと決めた人たちへ」を読んで [読後の感想]

英語の話が続きます。「ペラペラバカ」を書いてから、まだ言い足りないというか、大事なことが出てこないなともやもやしていたとき、この不思議な本に出会った。おそらく干場さん(@hoshibay)のつぶやきで見かけたのだろうと思うが、書名が英語本にありがちなキャッチだったので敬遠していたのだが、書店でいつもの立ち読みパラパラ、期待していなかったのにホントに一瞬で引き込まれた。

日本人にとって、英語ができるということの、主に米国での価値とその実体的な意味を、自らの体験を下にして、荒々しく書き切っている。決して丁寧で深みのある表現、文章ではないが、不思議に納得させる力がある。現状をなんとか打破したい、そのために英語をという明確な目的を持つ若い世代にこの本を勧めたい。筆者の HIroyuki Hal Shibata氏(@HAL_J)も、試行錯誤で這い上がった自らを振り返り、この本を過去の自分に捧げたいと書いている。

この本のタイトルは「米国でちゃんとした職につくための英語習得法」とすべきではなかったか。HAL氏が掲げる最低限の目標はTOEIC860点。これはTOEIC受験者の2%しかいないので、普通に考えれば十分にすごいのだが、そんなものでは英語圏の国、少なくとも米国ではまともな職にはつけないと断じるところがこの本の神髄。英語が第二言語というハンディでは、交渉や説得の力が必要な営業職や事務職はまず無理で、専門性で勝負できる理系やシステム系でしか職につける可能性はない、それがだめだとすると社会の底辺を構成するような職しかないという現実。

日本の英語教育は、英語圏で誰の助けも借りず自分の力で職を得るなどということを想定していない、英語圏の人とコミュニケーションがとれれば十分としている。HAL氏は、米国で「英語は何年やってるの?」と聞かれるのが一番つらかったと書いている。受験英語だけではTOEICで高得点もとれず、かつTOEICは日本人と韓国人しか受験しておらず、英語圏ではなんの証明にもならないという事実はどう受け止めればよいのだろう。

この本のもう一つの特徴は、Twitterとblogをフルに使って書き上げられたことだろう。これは、手法や技法の最新情報や、より優れた方法へのアドバイスを積極的に受け入れるなど随所に生かされており、ともすれば秘密主義に陥りがちな(というか○○流が一番の売りにしたいはず)ノウハウ本の新しい形を示したとも言えるのでなないか。この著者のさらなる挑戦を期待したい。


タグ:英語 TOEIC

貯蓄率が米国より低い日本は ”ハーバードの「世界を動かす授業」” から [読後の感想]

ビジネス書第一位!「正義」の次は、「国家と経済」の話しをしよう! おお、マイケル・サンデル大受けで、柳の下になんとやらか。火曜(8月31日)の日経にこの広告があり、すぐに近くの書店に走ったが、ない。売り切れです。暑いのでそれ以上探し回る気にもなれず、速攻でAmazonで注文、すぐ手もとに到着。ぱらぱらとめくった第一印象は、難しそう。だいたい絵が一枚もないよ。しかし、この本がなんで1位なの?

と、なめてかかるとえらい目にあいます。たいへんにしっかりした、重厚でしかも受け取り方によっては、かなり深刻な内容なので、寝転がって読んではいけない。いけなくはないが、決して頭には入らない。誓ってもいい。

そして、これはいちおうビジネス書ということになっているが、実は少し違うように思う。ヴィートー先生も中で述べているように、真正面からこの本のテーマを受け止めてほしいのは、国民のひとりひとり、企業経営者、メディア、政治家、そして官僚。もっと言えば、この本から知識だけを得て一人納得し、書棚にこの本をしまいこむことは、おそらく著者の望むところではない。現状の世界がそして特に日本が、経済・社会的にいかに危うい状況にあるかを一人でも多くの人にまず気づいてほしい。そしてその苦境を打開するために、どのような行動をそれぞれの立場にある人がとるべきかを、事実を丁寧に積み重ねながらヴィートー先生独特の言い回しで説いている。この本は、いつまでも何もせず立ちすくんでいる日本人への警告の書であると感じた。

この本の内容はハーバードのビジネススクールで実際に行われている、ヴィートー先生の講義に基づいている。基づいているというのは、この本がいわゆる書き下ろしではなく、講義を再構成したうえで、改めて一つの独立した著作としてまとめなおしたものであるということと、内容を日本の読者向けにはっきりと色をつけてあるということである。それは、この本が、ハーバード大学のヴィートー先生(Richard H.K. Vietor)と仲條亮子(なかじょうあきこ)さんの共著であることからも窺い知ることができる。

この本の構成としては、世界の各国の現状とそこに至る道筋を他の国との比較という物差しをあてながら進めるという形式で、国の選択もグループ化して抱える課題をマクロに捉えやすく導いている。グループすなわち大きなくくりとして、アジアの高度成長国、挟まって身動きが取れない国々、資源に依存する国々、欧州連合、巨大債務に悩む国々というように分けられている。

さて、重量級の本なので、これから挑戦しようという方にアドバイス。この本のいわゆる「あんこ」の部分である上記の各グループの記述に入る前に、第7章 国の競争力とは何か、から読み始めてはどうだろう。次いで、第8章 私たちのミッション、さらに、あとがきへと読み続けていただきたい。この過程でこの本が何を主張したいのかがほぼつかめる。そこから、巻頭に戻り、序 世界の動きをいかに読み解くか、第1章 国が発展するための8つの軌道、で総論を終えて頭の整理ができたところで各国編である第2章以下にすすむことを薦めたい。なお、第3章以下の「あんこ」の部分は指標となる数字が重要な役割を果たすので、図表なしでは正直つらい。興味のある地域に絞り込んで読み進めるというのもいいかもしれない。

現状の世界はきわめて多くの難問を抱えていることがこの本の中で繰り返し述べられているが、その中でもヴィートー先生が最も危惧しているのは米国と日本という二つの主要国の厳しい現状である。特に日本の「なにもしない状態」が一年一年繰り返され、打つ手がさらになくなっている現状にはアドバイスの言葉もないという心境に違いない。貯蓄にあれほど熱心であった勤勉な日本人はもうどこかに行ってしまったという指摘は痛烈である。

この本を少しでも多くの人にと先に述べたが、誰よりまず国会議員の方に読んでもらいたいと思う。この本の内容が腑に落ちるところがあるならば、国の方向を定める責を負う方々に次にどう動くべきかをぜひ考えてはもらえないだろうか。

街場のメディア論:内田樹著を読んで [読後の感想]

今年のMyベストブックは既に「日本辺境論」に決めている。その内田樹氏がメディア論。面白くないはずがない。とは言っても、なにせ同氏の本も専門領域に近いものは正直深すぎて、オモシロいというにはやや無理があったりもする。この本は、神戸女学院大学の2年生向けに準備された講義「メディアと知」がもとになっている。学生の反応を確かめながら授業を進めているかのような流れと雰囲気がある。心地よいともいえるが、話題がしばしば横道に入りなかなか本論にもどらないことも多い。慣れないと戸惑うかもしれない。

キーテーマは「メディアの不調はそのままわれわれの不調である」。iPadの登場で出版は激変するか、という目の前の話題とどう切り結んでいるかが気になるが、そういう期待はあっさり裏切られる。ITにももちろん言及してはいるが、論点は違うところにある。

内田氏は、”日本のメディアは新聞も、図書出版も、テレビも、音楽産業もきびしい後退局面にあり「先がない」”、として、”この凋落の原因はジャーナリストの力が落ちたことにあり、ジャーナリストの知的な劣化がインターネットの出現によって顕在化してしまった。それが新聞とテレビを中心として組織化されていたマスメディアの構造そのものを瓦解させつつある”、としている。

さらに、メディアの本性として、報道に値するものは「news」であって決して「olds」ではなく、「変化」という昨日との違いそのものであること。メディアは、「変化」が政治でも経済でも文化でも起こり続けることだけを切望するという業病に取り憑かれており、時には「変化」を自らが創り出そうとさえ考える。こうした本性が日本の社会そのものを根底から浸食しつつあるとする。

こうした主張の具体的な根拠の一つとして、内田氏は医療と教育という日本社会の根幹にある重要な社会システムを急速な崩壊に追い込んできたのは他ならぬメディアであり、さらに深刻なことはメディア自体にその自覚がないという点をあげている。

”批判さえしていれば医療も教育もどんどん改善されていくという考え方がメディアの手によって社会全体に蔓延した”、と指摘し、この刷り込みによって、”市民の側に「身銭を切って、それを支える責任が自分たちにはある」という意識がなくなったために、制度が急速に劣化した”、としている。そしてその根底には、”社会関係はすべからく商取引モデルに基づいて構想されるべきであるという「市場原理主義」が、行政改革にも医療にも教育にもさまざまな分野にゆきわたった”、ことが大きく影を落としているとしている。

さらに、”メディアが急速に力を失っている理由は、「誰でも言いそうなこと」だけを選択的に語っているうちにそのようなものなら存在しなくなっても誰も困らないという平明な事実に人々が気づいてしまったこと”、であると断じており、手厳しい。こうしたメディア論はおそらく多くの異論があるだろうが、そもそもなんで存在するの?という素朴な議論がメディアの中で起きないことが本質的な問題だという氏の指摘は強く共感できる。新聞がなくなるなんてありえない!と口にした瞬間に思考停止に陥るのだから。

この本では、他にも「書棚の効果」、「能力開発と召喚」、「Sauve que peut」、などなど取り上げたくなるテーマが満載なのだが、書ききれない。好みの合う方にはおすすめします。




タグ:メディア iPad

「第4の産業革命」藤原洋著を読んで [読後の感想]

藤原洋氏の「第4の産業革命」朝日新聞出版 : 読み終えたが、これは熱い。

タイトルや帯コピーに「グリーン」が入ると本の売れ行きが違う、というわけではないだろうが、とにかく増えてきた類書に食傷気味だが、この本はそうしたものと全く異なっている。なぜか、理由はいくつかある。まず、内容が人から聞いてきた話をきれいにまとめているだけのいわゆるコピペ本でないこと。次に、著者が日本のインターネット黎明期から日本のITの先頭を走り続け、産業の興亡に対する深い洞察を持っていること。さらに加えれば、来るべき次の革命において指針を示しているだけでなく、自らが既にその渦中にあることなどがあげられる。

内容の構成としては、最初に産業革命の歴史を俯瞰し、いままさに「環境エネルギー革命」という4番目の産業革命が始まりつつあること、そしてそれが間違いなく歴史の「必然」であり、さらに、革命の起爆剤として期待できるものは「大規模な太陽光発電を実現するためのスマートグリッド(次世代送電網)と電気自動車(EV)」であると断じている。こうした強烈な主張、方向感を裏付けるのは、やはり第3革命であるIT産業を牽引してきた経営者としての肌感覚ではないだろうか。現状のIT、クラウドに象徴される処理能力向上の限りない加速要請は、データセンターの巨大化を招き、これが結果として怪獣(エネルギー・クランチャー)を増殖させ、気がつけば怪獣のためにエネルギーを賄っていることになるという仮説には、現場で闘っている当事者としての切迫した危機感を感じることができる。

同書では、この強烈な仮説提示のあと、「世界のエネルギー事情」「世界の取り組み」「日本型モデルの確立」と展開していくが、本当に引き込まれるのはこの後の部分である。すなわち、第5章「太陽経済」、第6章「電気自動車」、第7章「スマートグリッドの革新技術」の三つの章がこの本の魂である。この部分を読んで共感することがないようであれば、エネルギー関連の領域には近づかないほうがよいのではないか。それくらいの迫力がある。著者の全霊がいまそこにあることが理解できる。

特に、0.8Gという驚異的な加速度性能を実現した「エリーカ」という電気自動車の開発に関わる話題と、巨大データセンターなどの集中型電力消費における送配電ロスを解決する高温直流超伝導技術の導入に関する話題は、そのいずれも当事者にしかわからない切迫した臨場感にあふれている。これこそが現在の閉塞した日本の政治と経済に欠落している「夢」なのではないか。それをとほうもない大ぼらだと切り捨てる安逸を選ぶか、先導者の夢に魂を震わせるか。

藤原氏は同書の中で、夢の実現の前には多くのしかも相当に手ごわい抵抗勢力があることをはっきりと認めており、そこを解きほぐすのに時間が必要であるとも述べている。確かに歴史の必然がやがて解決してくれるかもしれないが、今のままでは「うねり」に気づいている他国に遅れをとることは明らかである。同氏は「あとがき」の中で、読者とともにこの革命を牽引していきたいと述べており、このブログもそうした熱いビジョンに共感して書いたものである。

とにかく、ぜひ一読を。すぐに。



白洲次郎の宿敵チャールズ・ケーディス [読後の感想]

NHKのBSで白洲次郎の再放送(全三回)を見る機会があり、未読のままであった「占領を背負った男」北康利著を一気に読み終える。吉田茂の側近として戦後政治の中枢にいた人物の姿を資料に基づいて丁寧に描いている。著者の白洲次郎に対する思い入れが強く(こうした伝記では止むを得ない)首をかしげざるをえないところもあるが、全体としては筆が安定しており、最後まで飽きさせない。戦前から戦後の混乱期、特に米軍による占領がその後の日本に何をもたらしたかを考えるきっかけを与えてくれる。

敗戦から独立(講和条約)を勝ち取るまでのかなりの間、日本は米国にではなく、米軍という米国の中の軍隊組織に支配されていた。占領に関わる「全て」の権限をマッカーサーという太平洋戦争の英雄に与えていた。この事実だけでもかなり尋常ではないのだが、敗けた国が口をはさむことではないということか。むしろ注意しなければいけないのは、その時の米国は、国家として誤った道へ進んでしまった日本を、自分達(他のどの国でもなく)が正しい道へ導かなければならないと強く信じていたことであろう。

それを現場で具体化させようとしていたのが、GHQ民生部のチャールズ・ケーディスだった。ケーディスは、来日時に40歳。コーネル大を卒業後、ハーバード大のロースクールを経て、ルーズベルトの下でニューディール政策の実行部隊として鍛えられている。いわゆるニューディーラーと呼ばれる「ルーズベルトの子供達」の中でも最も優秀な一人であったようだ。その駿才が、廃墟の日本に降り立った。自分がこの封建的で暗黒の国を目覚めさせ、民主化と現代化を推進する先頭に立つという強烈な意思を持って。

ケーディスの東京着任のわずか一週間後に、マッカーサーから新憲法の草案作成を命じられる。昭和21年の2月初旬のわずか10日間が与えられた作業期間だった。これは、占領後最初の総選挙を目前にした時点で、当然日本側でも新憲法の策定作業は進められていたが、旧帝国憲法の部分「改定」の範疇から逃れられず、その概要が新聞にリークされるに至って遂にマッカーサーがブチ切れたことによる。しかし、まさか一国の憲法を、たまたま占領状態にあるからといって、占領国が一方的に押し付けるという流れが国際的に通るものかどうかという議論はあったようで、GHQの中でもこの草案作成作業は極秘で進められた。

いかに草稿とはいえ、一国の憲法をわずか10日間で作るという異常プロセスの後、これが日本側代表団に示され細部の交渉が行われたが、案を先に出されてしまっては勝負は既についており、その大筋を変えることはできなかった。この激しい交渉を通じ、ケーディスは最大の宿敵として白洲次郎の前に出現し、その後数年に渡って彼と日本を苦しめることになる。憲法策定作業後のケーディスは極めて大きな権力をGHQ内で得たことは間違いなく、その後の日本に対する施策や指導に専横さと傲慢さが目立つようになり、GHQ内部での権力抗争に巻き込まれるなど完全に泥まみれ(どこまでが事実か判別できない)なのだが、北氏の著書ではあまりに悪役に描かれすぎているようにも感じる。

ちなみに、ケーディス氏はその後米国に帰り、退役後に弁護士活動に入り、1996年に90歳で死去。その際のニューヨークタイムズの記事は、”Architect Of Japan's Postwar Charter” と題され、同氏が新憲法の策定に際して国民平等を第一義とすることで日本を前時代的な専制国家から近代的な民主国家へ導いたとして高く評価している。


「低炭素社会」小宮山宏著を読んで [読後の感想]

前の東大総長の小宮山宏さん(現在は三菱総研理事長)が新しく書かれた「低炭素社会」を読了。小宮山さんのエネルギー削減に関するお話しは、これまで何回か拝聴する機会があり、そのたびに多くの示唆をいただいていた。今回の新書では、一般向けにより平易に、しかもより深く持論を展開されており、論調も力強く明快である。ぜひ一読を薦めたい。

「低炭素社会」の内容は、その目次でおおよその内容を掴むことができる。

第1章 「温室効果ガス25%削減」で新しい日本へ
第2章 そもそもエネルギーってなんだろう
第3章 エネルギー消費量の正しい減らし方
第4章 街づくりで低炭素社会を実現
第5章 人類の知を構造化する

この中から、特に印象に残ったところを抜粋して示したい。文章は原文に忠実であることを心がけているが、ブログ用に調整を加えていることをお許し願いたい。

・科学技術が起こした環境問題は科学者が解決すべきだ。
・日本は決してモラルが高かったからエネルギー効率を高められたわけではない。
・CO2の削減に邁進することは、産業の不活性化を招き、GDPが減って国際競争力が低下する、日本の経済が破綻するという論調があるが、誤った考え方である。
・環境のために我慢するのではなく、これまで通りの同じサービス、利便性を享受しながら、それに使うエネルギーを減らすことができる。
・エコ家電やエコカーに買い換えると、電力やガソリンの削減効果により、7年くらいでお金を取り戻せる。年率に換算すれば12%か13%のリターンになり、優れた投資行為である。
・アメリカはセメント1トンあたり日本の1.6倍のエネルギーを使って生産している。今まではエネルギーを安くする政策を取り続けてきたためであり、省エネへのインセンティブは働いてこなかった。
・市民と自治体が主役を演じる「低炭素な町づくり」運動がCO2削減を実現するために有効になる。
・アジアをはじめとする世界に、日本の町づくりをモデルとするエコシティの姉妹都市の輪を広げていく。それが日本の新しい競争力になる。
・低炭素社会に一番近い国であり、世界をリードする力のある国は日本だ。

小宮山さんの主張はきわめて明快。しばしば日本のエネルギー政策論に登場する、乾いた雑巾は絞れないという議論についても、誤りではないが視点が違うと断じておりわかりやすい。こういう理由があってできないやれないというよりも、やるべきことをポジティブに打ち出して行くべきだと繰り返し語っている。またひとつ勇気をもらったように思う。


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