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ついて行きたいと思うのは [新聞記事]

390px-Futabayama_Sadaji.jpg「師の威厳体罰では保てず」チェンジアップ:豊田泰光、日本経済新聞1月31日を読んで

毎週木曜に掲載されている豊田泰光氏のスポーツ欄のコラム“チェンジアップ”。日経を買うのは、これを読むためというくらい毎回楽しみにしている。切り口がつねに鋭いし、誰にもおもねる所がなく、しかも上から目線ではないところは特に爽快である。

その豊田氏の体罰に関する意見。
偉い指導者は手を出す前に、存在によって弟子を畏怖させ、言うことを聞かすのだ。
ぐさっと刺さる。スポーツの指導者として、相撲の双葉山と野球の川上監督の二人を挙げ、いずれもその圧倒的な存在感で周囲がぴりぴりする雰囲気があったという。

そして次のように付け加えている。
川上さんは選手を飲みに連れ出して、子分にするという手法はとらなかった
さらに
飲んでおごって、人についてこさせようとするのは能力のない管理職がやることで、それは痛みによって選手を縛るのに通じるところがある

飲食で人を取り込むのは、腕力に頼る暴力となんら変わらないというこの指摘はすごい。人としての尊厳を奪い隷属させ支配することが目的であり、手段は暴力か酒かの違いしかない。

ちょっとおごってもらったくらいで「一生ついていきます」などという部下は必ず裏切る”とも一刀両断に切り捨てている。おそらく豊田氏も若い時代には、そうした苦い経験をいやというほど積んでいるのではないか。

そして最後にこうしめくくっている。
暴力による恐怖や酒席をベースとするような指導者と選手、上司と部下の関係は長続きしない。選手は力を伸ばしてもらい、それにより指導者はチームを勝たせる、といった実利のみで結ばれる師弟もあり、それはそれでまだ健全といえる。

言い回しは微妙だが、実利のみで結ばれる(ウェットな関係を持たない)師弟は、ほとんどいないということらしい。いても周りからは奇異な目でしかみられないのか、良い結果を出すことができないのか。いずれにしても日本という社会で才能を伸ばし成果を上げるには、この問題が避けて通れない。体罰の後ろにはとんでもない闇があるということか。





ロンドンの悪夢が60年の時を越えて [新聞記事]

_38553143_smog300pa.jpg今年の北京の冬は大変なことになっているらしい。

2月1日の日経朝刊でも「大気汚染、中国経済に波及 過去60年で最悪」というタイトルで深刻な状況を伝えている。原因は今年の冬が例年になく厳しく、石炭を用いた暖房に多く依存する中国では、どの都市でも真冬のこの時期は、強い風が吹かない限り、硫化物を多量に含む濃い霧に覆われ、昼なお暗き状態が続いている。中でも、人と産業が過度に集積する北京は症状が極めて深刻のようだ。昨年は、北京の米国大使館が独自に計測した大気汚染の値をTwitterで公表(@BeijingAir)し、中国政府とすったもんだをしていたのだが、もうそうした事実を隠すような余裕さえ消えうせ、企業の操業停止と減産を命じ、公用車の利用を大幅に減らすことを決め実行している。

これと同じような、そして信じられないほど深刻な結果を招いた現象が、今からほぼ60年前のロンドンで起きていた。1952年の12月のことである。

もともと、おそらくローマ時代のころから、ロンドンは霧深いことで広く知られていた。ごく最近まで、土産品として「ロンドンの霧」という缶詰が売られていたくらいなのだ。しかし、1952年の冬に起きたのはそんな情緒あふれるようなことではなかった。

12月5日にロンドンを包んだ濃い霧はそのまま4日間居座り、首都を完全に機能麻痺に追い込んだ。日中でも視界がほとんどないため、路上に車が捨て置かれ、汽車は破損し、空港は閉鎖された。硫酸ミストを体内に吸い込んだ多くの人が肺に疾患を生じ、実に1万2千人がそのために亡くなったとされている。これが、"The Great London Smog of 1952" として知られる英国の歴史的大惨事である。

当時は今のように報道が密ではなかったこともあって、ロンドンに住む人のほとんどが殺人霧の魔の手が次々に人々の命を奪っていることにしばらく気づかなかった。なにか様子がおかしいと人々が気づき始めたのは、棺桶を担いだ葬儀屋と花束を抱えた花屋があわただしく街を駆け回り始めたときであり、その時にはすでにロンドンの街は何もなすすべがない状況に陥っていたのだ。

この大惨事の原因は、現在の北京で起きていることと大きくは変わらない。厳しい冬が長く続き、暖房は燃料費の安い石炭に依存している。モータリゼーションや産業が一気に進展して、対策は常に後手を打っている。しかし、それにしても時代は60年以上進んでいる。まさか、あのときのロンドンと同じ惨事が繰り返されるとは到底思えない。近代的な気象観測体制と情報管理が危機を乗り越えるはずなのだが...

今年の冬の寒さは、いつもに増して厳しく長い。"The Great Beijing Smog 2013"、などという墓碑銘が立たねばよいのだが。


千葉から逃げ出したのか [新聞記事]


総務省が毎年公表している人口移動調査の結果が新聞などで取り上げられている。切り口のほとんどは、震災の影響が2年目に入ってどう変わったかにある。震災と原発の影響で当初は多くの転出が生じたものが、時間の経過とともに回復に転じているというものだ。地域によって差異はあるものの、そうした想定に近い数字がでているようにみえる。

ここで指摘したいのは、産経新聞1月28日の記事の中の東北ではなく「千葉県」の変化についての説明だ。
千葉県も2年連続で転出超過となったが、超過人数は前年(3935人)から4253人増えた。大震災の液状化現象で住居被害を受けた住民らが県外に出るケースが多いとみられる。
2年連続で転出超過となったというのは驚きだが、その理由が「液状化」で県外に出たというのは、どういう調査結果に基づいているのか示されてはいないが、にわかには信じがたい。確かに、浦安市の海岸部の一部で住居が著しい被害を被ったというのは衆知の事実だが、それが2年連続の減少、しかも県全体の数字として表れるとは考えにくいように思う。

実は、ほぼ1年前にも人口移動調査結果が公表され、同じように千葉県が転出超過に突然転落したと報じられていた。直後の報道では、原因は浦安市などの被災が引き金かとされていたが、千葉県ではこの事態を重く捉え、原因を究明することとなったらしい。その結果が昨年の8月に、「人口動態分析検討報告書:千葉県事項動態分析検討会議」として公表されている。震災の影響で千葉という地域のブランドに傷がついてはたまらないということであろう。調査は、転出が転入を越えた市町村の分布と、ここ数年の推移に注目したもので、結論は、「ネットでマイナスになったのは、転出が急増したからではなく、転入が減少したから」ということである。さらにわかり易く言うと、しばらく続いていた千葉への人口流入にややブレーキがかかったのであって、決して震災で逃げ出したのではないということになろう。

確かに、この説明を聞いてから総務省の新しい報告を少し詳しく見てみると、納得できるところが多い。例えば、過去3年の転出超過数上位20市町村というランクによると、平成22年では市川市が全国1位、23年では市川市(6位)、浦安市(8位)、松戸市(12位)、24年では市川市(1位)、松戸市(3位)、浦安市(6位)、我孫子市(11位)となっている。確かに震災でランク入りの市町村が増加はしたが、市川市はその前から首位だった。つまり、地震の前から転出超過は始まっていたのだ。さらにランク入りしている市町村は例外なく、東京との隣接域に位置する。東京の人口増が江戸川を越えて、東ににじみ出た地域である。若い世代向けの都市開発が急速に進んでいたものが、何かをきっかけに減速していたということなのだ。その何かには、都心での超高層マンションの大規模開発なども含まれるだろう。東に離れずとも住まいを確保できるという状況の変化が、新規の転入を鈍らせたのかもしれない。そして、それに震災が後押しをした、結果として転出超過を加速させたという理解が正しいように思える。

千葉県が傷ついたブランドを守るために主張している「逃げ出してはいない」というのは、なんとか認めるとしても、ネットで減少傾向にあるという事実は否定することはできない。東京という巨大な化け物の吸引力が、隣接する自治体に過剰に作用したのだ。それを正直に認めたうえで行政として何ができるか、今の時代での魅力ある街づくりとはなにかという問いに正面から応えていくべきであろう。

それにしても産経の記事はいただけない。少し調べておけば、「液状化で県外に出た」という表現にはならないはずだが、これでは完璧な憶測による風評記事ではないか。千葉県からクレームが来たらどうするつもりなのだろう。



無人称は無責任 [新聞記事]

シンポジウム スポーツを読む基調講演:「スポーツを書くということ」沢木耕太郎、日経朝刊2012.12.25より

ノンフィクション作家の沢木氏は多くのスポーツものの執筆で知られている。「敗れざるものたち」では円谷幸吉を「一瞬の夏」ではカシアス内藤を取り上げて注目されたが、それまではスポーツというテーマに対して長文のノンフィクションを受け入れるということが日本ではなかったらしい。スポーツライティングという新しいジャンルを日本に定着させたと言ってもよいのだろう。

その沢木氏が12月4日のシンポジウム「スポーツを読む」の基調講演でスポーツを書くとはどういうことかについて熱く語っている。

そこで、“この数年、僕は気になっていることがある。あるタイプの記事がスポーツ紙からあふれるように出てきた” と、氏は述べている。あるタイプとは、記事に人称がないこと。その例として、巨人の原監督のコメントの後に、「あくまでも正攻法。横綱相撲で日本ハムを倒す」とあったのだが、倒すのは誰なのか。監督がそう言ったのか、そこまでは言わなかったが話を面白くするために尾ひれをつけるとそうなるというのか、よくわからない。誰が言ったかは、あえてあいまいにして、含みを持たせているつもりかもしれないが、確かになにか気味の悪さが残る。

これを氏は、“無人称は、無責任でもある”と断じている。書いてあることに対する責任はどこに、誰にあるのかと追求している。確かに読むほうは分かったような気になるが、そこには何の根拠もないという。確かにそうだ、読後の気味悪さはこれであろう。談話に基づいて、記者が自らの意見を述べるのならはっきりとそう書くべきなのだが、なぜかそうはしない。あたかもあいまいにすることが美徳であるかのように。

摩擦を恐れる、あるいは自分の責任を回避することが無意識のうちに行われているのではないか。スポーツだけに限らない。読み手にも関係してくるのかもしれない。

この「読み手に関係する」というところはドキッとさせられる。記者の手になる記事は世相の反映であり、こうしたものしか書かないのは、実は世間が厳しいものを望んでおらず、あいまいをよしとしているのではないかという痛烈な指摘であろう。

自身の責任を明らかにして物語をつくるのは恐ろしいことだ。勇気が必要だ。最大限取材して、こういうことなんだろうと勇気を持って世界に向かって接線を1本投げかける。それがスポーツライティングであり、広くノンフィクションと言われている書き物だ。その覚悟はフリーランスのライターにも、記者にも持っていてほしいと僕は思う

ここまでくると、ことはスポーツを書くということに止まってはいない。なんらかの書き物を世に問うすべての人、つまり職業記者から、作家、エッセイスト、最近ではブロガーに対して、勇気と覚悟を持てと強く求めている。確かに、事実に基づいていても、いくつかの事実から一つのストーリーを紡ぎだすのは創造であり、それを公開するのは非難や攻撃を正面から受け止めるという覚悟があって初めてできることなので、恐ろしいと思えばこんな恐ろしいことはない。まず恐ろしさを回避しようとするような雰囲気が社会全体に蔓延しているのだとすれば、物書きにこそ真の勇気が欠かせないということになるだろう。

そしてその一方で、読む側は、誰が言っているのかよくわからないことや、誘導ともとれるような記事に対して、はっきりと拒絶の姿勢を示さなければならない。選挙で大衆の水準以上の候補者を選べないのと同じで、無反応無表情の読者には尖ったところのない「ぬるい」記事で十分ということになりかねないのだから。

ネット上で雑文を書き散らしてはいないか、結果として社会のぬるさに加担するまねをしてはいないか。そしてなによりも「ぬるい」生き方をしてはいないか、もういちど自分を見直すきっかけにしなければ。


ミュージシャンの反対運動 [新聞記事]

シェールガス革命によって米国はエネルギー問題から解放された。こうした見方が主流になってきたのは、ほんのこの何年かのこと。天然ガスの埋蔵量の大半はロシアや中東の一部に限られており、石油と同じような地勢リスクを米国は抱え続けていたのだが、大深度ボーリング技術の開発と頁岩層に化学薬物を含む大量の水を注入することで新しいエネルギー源を手に入れる目処が立ったのだ。

“ニューヨーク州デラウェア郡の北部、キャッツキル山地の麓の小さな丘の間をオーレアウト川が緩やかに流れサスケハナ川に注いでいるところ、私が生まれる前に両親が購入した農場がそこにある。”
という書き出しで始まるこのニューヨークタイムズ紙の論説に投稿したのは音楽家のショーン・レノン。すなわち両親というのは、ジョン・レノンとオノ・ヨーコのことである。


「天然ガスによる貴重な土地の破壊」という題が示すとおり、環境破壊に対する警告が主たる内容だが、ショーンはこの論説の発表と期を合わせて、Artists Against Frackingというシェールガス採掘反対運動を母親のオノ・ヨーコと共に主催し、今後活動を拡大することを発表している。

ショーンにとって、少年時代に最も大きな影響を受けた(ジョン・レノンは彼が5歳の時に亡くなっている)場所であるその農場を含む地域で、数ヶ月前唐突にガス会社による開発計画の説明会が開かれた。それは、シェールガス採掘のため、手つかずの自然を切り裂いてパイプラインを張り巡らせるという計画である。説明会に参加した住民(多くが有機農業に従事)は、強烈に反発姿勢を見せたが、ガス会社はそうした反応には気にもかけぬふりで、(反応がどうであれ)この小さな町で掘削開発を推進するという意図を見せつけた。

この説明会の後、ショーンはシェールガス採掘で深刻な汚染が生じたペンシルバニアの現状を自ら調べて、開発計画の中止を訴えるべきと考えるに至ったという。ショーンによれば、”天然ガスはクリーンなエネルギーとして売られているが、地中の頁岩層を大量の汚染水で破砕する手法を採っており、むしろダーティなエネルギーと呼ぶべきである。有毒な化学物質を大気と地下水にばらまくことになる”、という。さらにショーンは、ニューヨークの近辺は、きわめて清浄な地下水に恵まれており、ニューヨーク市民は世界一うまい水を享受できるのだが、これも地下水の汚染によって喪われると指摘している。

ショーンはさらに、ニューヨークのブルームバーグ市長の、“ガスの開発計画は、ガスの汲み上げは適切な場所を選定し、その作業は慎重に行われることを確認している”、という型どおりの発言にも、“ニコチンの少ないタバコを、適切な場所で適切な時間に吸えば、喫煙も安全だ“と言うのと変わらないと噛みついており、行政や政治にはまかせておけないという思いが運動をスタートさせたと述べている。

ショーンの批判のすべてが正しいかどうかは判断の難しいところだが、影響力のあるアーティストが何かに感ずるところがあれば忽ちに活動を立ち上げ、共鳴する仲間を募って世に問うていくという行動力は、高く評価すべきだと思う。このニュースが日本ではあまり積極的には取り上げられていない(朝日新聞のみ?)のは、芸術家の活動に対する社会の受け取り方の違いからくるのだろうか。あるいは、動機があまりに情緒的だと決めつけられているのだろうか。


それにしても、ジョン・レノンとオノ・ヨーコの話を持ち出されると思わず身を乗り出してしまうのは、これも小生の年齢のなせるわざか。ちなみに、オノ・ヨーコは79歳だそうだ。

伊達政宗の運河開削 [新聞記事]

teizan.jpg仙台平野の南端、阿武隈川の河口から海岸線に沿うように北へ向かって走る一本の水路がある。これは「貞山堀」と呼ばれている運河で、はるか50キロ先の石巻まで続いている。

作家で仙台出身の佐伯一麦氏が、日本経済新聞の夕刊コラム:あすへの話題で2回(2012年7月28日、8月4日)にわたって、この貞山堀のことを取り上げているので紹介したい。

仙台で生まれ育った私には、海岸へと出る前には、小さな水路を渡るものだという感覚がある。水泳部だった高校生の頃、水泳大会で東北各地の海辺の町を訪れるようになり、競技が終わると、現地の海で泳ぐのが楽しみだった。そのときに、何の前触れもなしに突然海があらわれると、違和感を覚えることがあった。-中略- 私が、海の前には必ず存在しているもののように慣れ親しんできたのが、仙台平野の海岸線と並行して流れている日本最長の運河、貞山運河である。

400年前に、伊達正宗が命じて開削した水路を正宗の諡(おくりな)である貞山にちなんで貞山堀と呼んだのは、明治の土木技師で後に仙台市長を務めた早川智寛だそうだが、この長大な水路は、成立の歴史などから次のように幾つかの堀に区分される。

木曳堀:阿武隈川河口から名取川河口閖上
新堀:閖上から七北田川河口蒲生
舟入堀:蒲生から塩釜市牛生(ぎゅう)
東名運河:牛生から松島湾経由で東名(とうな)から鳴瀬川河口野蒜
北上運河:野蒜から石巻

これらのうち、最初に着手されたのが木曳堀で慶長年間後半とされている、これに少し遅れて舟入堀の開削が続いたようだ。ここには戦国時代の終焉と伊達正宗の仙台築城が深く関わっている。

関ヶ原の戦いの後、慶長6年(1601年)に、政宗は居城をそれまでの岩出山から仙台へ移し、併せて城下町の整備・構築を急いだ。そのために、必要な物資、特に建築資材(木材)を南から大量にしかも急速に運ぶ必要に迫られていた。比較的平坦な仙台平野ではあるが、大規模な土木・建築工事の資材を運ぶには陸路より水路という選択になったのだろう。最も急ぐべきは、福島と仙台の連結、したがって阿武隈川と名取川を海岸沿いの水路による最短ルートで結ぶのが、時間的にも経済的にも最善策と判断したのだ。運河の活用というと、商都大阪や江戸を思い浮かべがちだが、東北の地にも大胆な発想があり、しっかりと実現されていたのだ。

この木曳堀の開削を指揮したのは、政宗がこの工事のために毛利家からスカウトしてきた川村孫兵衛重吉である。

政宗から五百石で召し抱えると言われたときに、重吉は、それなら領内の荒地を賜りたいと答えた。それで与えられたのが、現在の岩沼市の阿武隈川河口に近い土地で、湿地だった荒地の溜まり水を阿武隈川へと排水することで広大な田畑を作ろうとした。その排水路が木曳堀であり、同じ時期に徳川家康より進上築城を許可された政宗が、仙台に城を築き、城下町を作るのに必要な木材の運搬にも役立つこととなった。

使い道のない沖積平野の湿地に手を加え、耕地や居住地商業地として開発し、同時に運輸手段としての水路も確保するという、近代的な土地利用のさきがけが、江戸や大坂ではない東北の仙台平野にもあったということ。しかも、貞山堀がその歴史証拠だというのだが、これはぜひ仙台の誇るべき歴史の一つとして地元の教育カリキュラムに乗せてほしいものだ。

そして、佐伯氏はこうした運河開発譚に加えて、もうひとつの重要な事実に気づいたと記している。それは、木曳堀完成の前に慶長三陸津波(1611年)に襲われていたということである。津波によって、水路も被災したであろうが、なにより侵入した海水の排水に堀が機能したはずであり、さらには水路や周辺地の本格改修は江戸時代の震災復興でもあったのだろうと述べている。

実は小生の高校時代に、この貞山堀を競技用の四人漕ぎ艇(ボート)で毎週のように行き来していた。時には遠漕と称して松島を越え、野蒜まで足(?)を伸ばしたりしていたのだが、そこにまさか政宗の深い知略が埋まっていようとは露も知らなかった。

その地名はあぶない [新聞記事]

「地名で災害予測の困難」今尾恵介、2012年4月11日、読売新聞朝刊、文化欄を読んで

今尾恵介氏は地図エッセイスト。地名に対する深い論考が多く、著作でも多数取り上げている。今回の記事は、地名には大災害の記憶が残されているといった意見が、3.11後に多くメディア等で流れていることに地名の専門家としての反論を示したもの。

その土地が災害を受けやすいかは地名をよく読み込めばわかるという話だ。水害であれば、池・沼・沢・江・浦・谷・田・浜・島・橋などのついた所は、かつて沼沢地か汀線地であった可能性が高く、低地で湿地でもしかすると地盤も柔らかいと疑うべきであるという。都心であれば、月島、芝浦、溜池、四ツ谷、市ヶ谷、曙橋、京橋、日本橋、湯島などがそれにあたるだろうか。3.11後は、特に津波の襲来履歴が地名に刻みこまれているという意見が力を得ているようで、雑誌やTVなどでも繰り返し流されている。例えば、東北の太平洋側に多い「おな」や「かま」という音のつく地名。女川、小名浜、釜石、塩釜、鎌倉はかつて巨大津波に襲われたことを子孫が忘れないよう、その事実を地名に刻み込んでいる可能性があるという類の話しだ。

今尾氏は、こうした意見に対して「しばしば不確実な材料を根拠にいたずらに不安をかき立てるものが見受けられるは残念だ」と述べ、さらに「日本の地名が単純に字面で解釈できないのは地名学の常識だ」と明確に断じている。

「実在の沢や沼に基づく『沢・沼』の地名が多いこともまた事実であるが、そうだとしても命名された時点における地名の対象が具体的にどの沢・沼なのか(現存しない可能性もある)を確定するのは至難の業だ。それにもし、沢や沼のつく苗字の豪族が開いた土地だとすれば、危険度などまったく無意味になる」

「特に古い地名は何通りもの解釈が可能なので、どうしても論者の『我田引水』に陥りやすい。仮に地名の由来が完璧に判明したしても、その地名の範囲は町名地番整理などでしばしば大きく変わっている」

「結論を言えば、『この地名が危ない』などと一般化して断定する言説の信頼度は、たとえば『これを食べるとがんになる』類と同程度である。歴史的な地名が安全性を知るヒントになる場合があることは否定しないが、土地の安全性をもっと確実に知りたいのなら、むしろ『土地条件図』などを子細に検討したほうがはるかに合理的である」

「地名に隠された真実」といった話は確かに目を引くのだが、なにより科学的でないところがつらい。日本の地名の由来を深く観察してきた専門家からすれば、言葉遊びもここに極まるといった思いなのではないだろうか。今尾氏のような冷静な立場からの意見は、決して煽動メディアに取り上げられることはないのだろう。

煽り立てる意図はメディア側にあって、主張している側は単に一つの意見を述べているだけなのだろうが、3.11の後は、先に煽ったほうが勝ち的な雰囲気が充満しており、これは時間が経過しても落ち着く様子が見えていない。高知に30mを超える津波が来るらしいといった話しも、途中経過を飛ばして結論だけをぶん投げられた住民はとまどうばかりであろう。煽動メディアの次の標的はすぐに対応策を示さない行政に向かうのだろうが、この騒いでさえいればよいという杜撰さはいったいどこから来るのか。

3.11以降、科学者や技術者の多くが、感情に支配された誹謗中傷に晒されることを恐れ、口を開いて正論を述べることを避けるようになっているように感じている。これでは、ファッショに声を出さなかった何十年か前のどこかの国の知識人と同じではないか。国を亡ぼすのは一人の独裁者なのか、独裁者を産み出し育てたい国民なのか、いまの日本はその境目にさしかかっているように思う。

再生可能エネルギーはエコではない? [新聞記事]

「再生可能」の限界 認識を;石井彰氏(エネルギー・環境問題研究所代表)
日本経済新聞、2012.2.8 経済教室、新エネルギー戦略(中)を読んで

“「3.11」が文明史的転回点といいながら、現代文明のエネルギー面の基盤を理解していない議論があふれている” とのっけから叱られて始まってしまうのは、おそらく石井氏の流儀なのでこれはこれでしっかり受け止めたほうがよさそうだ。しかし、その少し前でエイモリー・ロビンス氏の「ソフト・エネルギー・パス」1976年の内容を “歴史と原理を軽んじ、深い洞察力を欠いていたからだろう” とまでコキ下ろすくだりは、さすがに言い過ぎではと首をかしげざるをえない... まあ、そのあたりはあくまで前振りなので、つかみとしては効果的だともいえるのだが。

この論考の中心は、さまざまなエネルギー源について「エネルギー産出/投入比率」と「出力密度」を基本して検討すべきというところにある。最初の産出/投入比率は、エネルギーを獲得するために要した労力とそれから得られるパワーの比のことで、薪炭(まき、すみ)ではわずか数倍だが石炭では数十倍、石油や天然ガスになると数百倍。これに対して太陽光発電は5~7倍、風力発電では10倍前後で化石燃料の平均である40~50倍と比べて見劣りする。

もうひとつの出力密度は地表面積あたりの出力を示し、土地利用への負担、生態系への直接負荷表す指標となる。 “再生可能エネルギーはエネルギー密度の低いフローの太陽光を直接・間接に利用するので、火力発電所や原発並みの大出力を得ようとすると、膨大な地表面積を占有せざるを得ず、温暖化ガスはほとんど出ないが、生態系に大きな直接的負担をかける。例えばメガソーラー発電所は、出力密度が最も高い天然ガスのコンバインドサイクル発電所の2千分の1程度しかなく、生態系への直接負荷もその分圧倒的に高くなる。すなわち大規模利用すれば決してエコではない。”

この部分の石井氏の主張は強烈で、石油や天然ガスの価値はその高密度さと高効率にあり、太陽光や風力では及びもつかないことを最初に知るべきであり、 “再生可能エネルギーの比率を一定以上に高くできる社会は、人口密度が低く土地が相対的に余っているところしかない。” と断定する。

温暖化を加速させる主犯として化石燃料を取り上げるのではなく、その有効な活用を徹底追及すべきだという意見には賛成だが、一方で再生可能エネルギーを化石燃料と比較して桁違いに効率の悪いことから「エコではない」というのは同意できない。これでは、山手線の内側にソーラーパネルを敷き詰めても原発一基分にしかならず、日本では基幹エネルギーの代替にはなりえないという議論と変わりない。

薄くありふれているものを利用できるというのは、濃密だが希少なものを扱うのとは当然にパラダイムが異なる。両極の端からもう一方の端を罵っているようなもので、不毛だとまでは言わないが、あまり生産的ではない。どんなに薄くとも、自然が届けてくれるエネルギーをこつこつと蓄え利用することが仕組みとして保証できるのであれば、チャレンジの価値は大きい。

なにより、持続可能な世界のありようを考えれば、化石燃料といった限りある資源に依存し続けるリスクと、それらの利用によって生じる廃棄物や廃熱の処理リスクは決して小さくはない。これらは、文明が人の何百倍もの大きな力を獲得し発展するための代償であり、社会と産業の発展はこの代償の克服の歴史だったともいえる。

太陽光や風力といった再生可能エネルギーでは、新しく社会に受け入れられるための努力や仕組み・制度が欠かせないといったことはあるにしても、化石燃料に比べれば「償う」べきものは十分に低いと見込んでよいだろう。資源枯渇も廃棄処理も、エネルギーの密度が低いことがプラス側に効き、エネルギーにおける持続可能性を担保することにつながるはずである。

もちろん高密度で高効率の化石燃料を持続可能性の面から上手に扱うことができれば、これを二項対立的に否定する必要などないので、異なるタイプのエネルギーの並存を当面は目指すべきであろう。そうした意味で、石井氏の “再生可能エネルギー中心の電源の中だけの「部分最適化」だけではなく、エネルギー利用の「全体最適化」の議論が重要だ” という意見と重なるのだが、再生可能エネルギーが部分に捉われて全体を見ていないというところは納得ができない。

再生可能エネルギーでは、薄いが有り余るエネルギーを対象とするからこそ、エネルギーに関わる全体像を把握することが欠かせないのだが、 “自給自足や地産地消だけでは答えにならない” とされ、 “他の分野に比べてエネルギー問題は巨大、長期、複雑であり、単純で拙速な方法は通用しない” と決めつけられては、とりつく島もないというか...

明日にも地震が来るのか [新聞記事]

風知草:首都地震、不安と油断=山田孝男 毎日新聞 2012.1.30掲載より

急に騒ぎとなっている「首都地震M7級、4年以内に70%の確率で発生」だが、よく考えるとこれは科学の話しのようで、必ずしもそうではないことに気づく。

東京大学の平田直教授(地震予知研究センター長)によれば、「4年で70%も30年で98%も同じことを言っている」ことになる。つまり、地震の規模と出現確率が対数則に乗るという経験則に基づき、3.11後の新たなデータで見直すと出現確率が従来の評価より上昇したということなので、ひとつの事実として地震への備えを一層高めるべきと受けとめればよい。

地球物理的に言えばその通りのはずなのだが、まさに平田教授の指摘するように、98%の確率といわれても一方で30年と言われたとたんに、明日のことではないと勝手に決めつけ、緊迫感が薄れてしまうということなのだろう。そこに「4年」という30年後に比べれば具体的(なような気がする)で目の前の時間軸を示されたとたんに「話しが違う」と爆発的反応が生じたということのようだ。

地震の観測結果から、規模と発生確率の関係を導くことは科学そのものだが、その関係式をどう読み解き、どう公表するかはかなり社会的な色合いが濃いはずである。地震のように人々の不安や恐れを連鎖的に呼び起こす可能性のある事象を発表する場合には、誰に話させるかをよく考えた方がよい。社会という枠組みに興味のない、あるいはできれば関与したくないと考えている学者に、真実は一つしかないという類の主張をさせることは、あまりに無用心だと言わざるを得ない(もちろん地震研の誰かがそうだと言っているわけではない)。

もっと注意すべきことは、こうした科学的見解の表明が「地震を予知」できる予言者の言として受けとめられていることであろう。誰も東大の先生が予言者だと思っているわけではないのだが、大新聞やTV等のメディアがいっせいに「4年以内に首都地震」と騒ぎ立て始めると、いつしか尾ひれがたくさんついて「間違いのない予知」と解釈され広まってしまう。

以下に、毎日の山田孝男氏のコラムの一部を紹介する。

(略) 初報は読売新聞23日朝刊だった。1面で「首都直下型/4年内70%/M7級/東大地震研試算」と特報した(東京本社最終版)。日経、東京、毎日が夕刊で追い、朝日と産経は24日朝刊で伝えた。各紙とも見出しは読売と同じである。テレビは報道部門だけでなく、各局ごとにいくつもある情報番組が一斉に反応した。オールマスコミの怒とうの攻勢に音を上げた地震研が、ホームページ上に読売報道の背景解説のための特設サイトを立ち上げたというのが実情だった。しかも、地震研の研究チームのこの見解は昨秋、公開の研究発表会で報告され、報道もされている。

しかし、地震研のサイトを見る限りでは、これで混乱が収まるとはとても思えない。このサイトで言いたい(らしい)ことは、「首都地震の発生が4年で70%」とは(東大では)言っていないことと、東北地方太平洋沖地震の誘発地震活動の挙動と首都地震の関連はよくわからないということの二点なのだが、このところのTVのニュースショーでの解説をみると、こんな寝ぼけたことを言っている人は誰もいない状況になっている。

(略) 平田によれば、「30年以内に98%」と「4年以内に70%」は同じである。だが、人間、30年ならまだ先と侮り、4年と聞けば驚く。読売は公表ずみのデータを鋭角的に再構成し、「4年以内」を強調したことで反響を呼び、他のマスコミも追随せざるを得なかった。

どちらの方がインパクトがあるかを考えるのはメディアの仕事。地震研では、活発化した地震活動と首都地震の発生との関連性はわからないと言っているにもかかわらず、これらを一体のものとして論じてしまうところがいかにもと言えばいかにも。

(略) 「マグニチュード7のエネルギーは東日本大震災(M9)の1000分の1ですよ。首都直下と予測したわけでもない。誤解を招きやすい報道でしたけれども、関東地方の油断に警鐘を鳴らす意義はあった。大地震の発生確率は前より高まっており、備えは大事です」 (略)

“千分の一”とそう簡単に言い捨てることはないのにと思うが、平田教授にこう決めつけられてしまえば、もう身も蓋もない。それにしても、警鐘を鳴らせたからよしとするというのはいかがなものかと...。

果ての国に潜むもの [新聞記事]

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原発に潜む「ブラックスワン」滝順一、日本経済新聞2012年1月16日朝刊「核心」を読んで

金融工学の専門家でヘッジファンド運用者でもあったナシム・ニコラス・タレブ氏は著書「ブラックスワン」2007年において、確率論や従来からの知識経験からでは予測できない現象が発生し社会に大きな衝撃を与えることの例えとして、ブラックスワンすなわち黒い白鳥の存在をとりあげた。想定の範囲外でありながら、影響が衝撃的に大きく、発生した後になって実は想定可能であったと、したり顔で語られるのがブラックスワンであるとしている。

“人間という生き物は、何かにつけてわかりやすい講釈や理屈をつけて、物事を単純化して見たがる性質をもっており、この単純化を通して見えてくることを過大評価し、単純化によって切り捨てられることを過小評価(もしくは全く無視)する傾向があり、その過小評価したものの中からブラック・スワンはやってくる”

事象の発生と言う観点からすると、世界には正規分布に支配される「月並みの国」とべき乗分布に支配される「果ての国」に分けられるという。「果ての国」では、予想もしない黒い白鳥が突如現れ、結果として経験のないような極端な事象が生じる。世界恐慌のような経済上のクラッシュを黒い白鳥の出現に例えているのだが、こうした考え方は巨大事故にも同じように適用できるという。

日本工学アカデミーがまとめた報告書「福島第一原子力発電所事故後の電気エネルギーの円滑な供給に向けて」2011.9.18では、“どのような手当てをしようとも過酷事故は必ず起きると考える理由がある。それが近年「べき分布」「ロングテール」と呼ばれる低確率巨大事故のメカニズムである”としている。

確率的安全評価手法を用いて、原子力発電での安全性を量的に求めたラスムッセンMIT教授による報告以降、多くの批判があったにもかかわらずこの手法が主流とされ、原発安全神話の礎となってきた。システムの安全に関わる危険要素を、それこそ“しらみつぶし”に洗い出し(可視化する)一つひとつの構成部品の信頼性を高めたり冗長性を持たすことで全体としての安全性を確保するという考え方は、プラントの設計や巨大事故の原因調査などで有用とされてきた。

しかし、まさに福島の事故が見せつけたのは、きわめて稀にしか生じない事故に対してこの評価を適用してしまったことにある。レブソンMIT教授が繰り返し指摘してきたように、事故の原因となる事象は時間軸上で線形であるという仮定の上ですべてが構築されている(だからこそ事故の発生確率を個別の部品要素の発生確率の掛け算として求めているのだが)。にもかかわらず、稀にしか起きない類の事故の多くは、共通原因の下で同時に複数の事象が平行して、しかも相互に関連し合いながらという非線形事象であり、かつ生じる場合の数も爆発的に増加するため、どうしても見落としがでてしまう。衛星打ち上げなどの宇宙航空分野では、事故原因の多くが“しらみつぶし”をすり抜けて生じたことがわかっている。

システムを構成する部分の品質と信頼性を十分に高めれば、極端に低い事故発生率が求められ、したがって事故はありえないという神話が形成されることにつながった。しかし現実に事故は起こり、高信頼性が高安全性とは限らないことをみごとに証明してしまった。計算によって求められた桁違いの、天文学的とさえよべるような、低い事故発生率の議論は、現場を知る者からは、エンジアリングではなく空想であるとまで言われていたという。

滝氏は、こうした議論をふまえ資料としてべき分布のグラフを示した上で、“原発事故の発生頻度と被害規模の大きさもべき分布になるとの指摘がある。もしそうなら、従来の安全対策の考え方を大きく見直す必要が出てくる”と述べているが、これでは巨大災害や事故の発生がべき分布にあてはまることを誰も知らなかったかのようなことになりはしないだろうか。経済分野はともかく、自然災害やそれに伴う過酷事故がべき分布をしていることはすでに1950年代から指摘されており、決して新しい知見ではない。

問題は、そうとわかっているにもかかわらず、安全性の定量的な評価という領域にあえて確率論を持ち込んだラスムッセン報告やその亜流の人々の仕業にある。個々の安全率を掛け合わせると最終的には意味のない天文学的な数値になるようなことを、予めわかっていて仕組むのは科学とは言わない。こうした人たちには、いまそこで羽繕いをしているブラックスワンの姿が見えないのだ。

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